変貌遂げる安徽省 ハイテクとエコで強み発揮(二)水源守り農業や観光に活力

2020-01-07 14:52:00

 

 

現在、中国はエコ文明建設を非常に重要な地位に押し上げており、習近平総書記は「緑の山河は金山や銀山にほかならない」と繰り返し述べている。近年、安徽省南部のエコ都市黄山市は、エコ文明建設分野で以下のような出色の答えを出している。新安江源流域エコ補償メカニズムの実施。有機茶栽培の普及の推進。農村住民の生活排水とごみの対策。高齢化の深刻な「空心村(空洞化した村)」をインターネット上で人気の民宿群に改造……などだ。黄山市のグリーン発展理念の徹底的な実施は、新安江源流地区を一新させただけでなく、環境保護を通じて豊かさを実現する道を歩むよう現地の人々を導いている。

妙案と連携で水質改善

源流の水は新安から流れ、蛇行を繰り返し銭塘に注ぐ。黄山市に源を発する新安江は、浙江省西部の人工湖千島湖を経て蘭江と合流し、銭塘江となって杭州湾に注ぐ。新安江は安徽省南部と浙江省の人々にとって、共通の母なる川だ。

新安江の源流にある黄山市休寧県は美しい山河に囲まれ、茶畑や村落、樹林、小川など田園風景が広がっている。しかしここの風景は、新安江源流管理対策行動が始まる前とでは全く違っていた。県内には小さな工場がたくさんあり、一部の養殖場や工業企業が汚染物質を排出し、地元の村民の生活排水にも集中的な処理が行われておらず、新安江の水質と周辺環境は悪化する一方だった。環境汚染の影響は、黄山だけではなく下流の銭塘江や千島湖にも及んだ。国家財政部の主導によって安徽、浙江両省は2012年、中国で初めて省をまたいだ流域エコ補償メカニズムのモデル事業を共同で立ち上げた。黄山市はモデル事業の最前線となり、源頭にある休寧県は新安江エコ建設保護センターを設立し、補償メカニズムの展開を専任で推し進めた。

保護センターの韓少俊主任は設立当初からここで働き、新安江流域エコ補償メカニズムを知り尽くしている。「補償メカニズムはまず国家財政から一部の資金を拠出し、流域全体の管理費用に充てました。次に安徽省と浙江省が新安江上下流のための業績補償協議を結びました。この協議は、安徽省から浙江省に流れ込んだ水の水質が基準に達していれば、浙江省が安徽省に毎年1億元の水環境補償金を支払い、基準に達していなければ、安徽省が浙江省に1億元を支払う、というものです」

モデル事業の先頭に立つ休寧県は、インセンティブメカニズム(4)によってますますモチベーションを高め、水質と生態環境を改善する四つの措置を打ち出した。韓さんによると、農業廃棄物と農村の生活ごみが新安江源流の水質と生態環境に対する主な汚染源だったため、休寧県の第1の措置は現地の200カ所近い養殖場を閉鎖することだった。また農業生産分野では、化学肥料の代わりに有機肥料を、化学農薬の代わりに生物農薬を使うよう農家に推奨すると同時に、有機農業を発展させた。農村生活の汚染源対策分野では、政府が各農家に1600元の補助金を出し、くみ取り式トイレを改造して浄化槽を設置させた。統計によると、18年と昨年に計6400世帯余りの改造が終わった。し尿は浄化槽で分解されて最終的に有機肥料となって農業に使われ、環境を汚染することはない。第2の措置は、水質の管理責任を厳正にし、県政府で指導グループを設立し、完全な責任の連鎖を構築することだった。第3は水源涵養事業をしっかりと進め、植樹と造林を行って上流地域の生態環境全体を改善し、水源を保護することだった。第4は厳しく法を執行し、違法な河川しゅんせつ工事や漁業などの行為を厳しく処罰することだった。

科学的で高効率の措置により、新安江源流の水質は急速に向上した。韓さんによると、モデル事業が成立したばかりのころ、一部の流域の水質は15類の指標のうち飲用に適さない4、5類と評価されたが、3年後に1期目のモデル事業の活動を終えた時、全流域の水質は浄化処理後に飲用可能な2類にまで向上した。安徽省は1年目に補償金を浙江省に支払ったが、水質審査基準が毎年上昇する中で毎年任務を達成し、下流の浙江省に良質の水を流している。「ここ数年は、浙江省が安徽省に補償金を支払っています」と韓さんは誇らしげに語る。

現在、新安江源流域エコ補償メカニズムは成功した事案として全国的に普及推進され、非常に素晴らしい効果が現れている。

政府は汚染処理や水源保護をするとともに、人々の生活の分野でもグリーン農業発展を指導し、泉水魚(中国南方の河川に生息するコイ科の魚)の養殖は現地の特色ある産業の一つになっている。湧水で育てられた魚は美味で、健康にも良く、特に市場で人気だ。現在の休寧県はすでに全国的に有名な泉水魚養殖拠点となっており、養魚池は全県で5000カ所以上ある。養魚池1カ所で年間約1万元の利益を生み出せるため、休寧県の農民増収の重要プロジェクトの一つになった。

有機茶で海外進出

茶の栽培は、新安江源流地区で古くから行われている地元農家の主な収入源の一つだ。黄山市は安徽省の有名な茶産地でもある。近年、国内外で頭角を現しつつある(5)新安江の有機茶は、エコ補償メカニズム実施後に大きな発展を遂げてきた特色ある農業だ。新安江源流地区の左右龍村は、1998年に農業協同組合を設立してから20年以上有機茶栽培を行っている。ここで発展した有機農業と村内で推進されたエコ生活モデルは、新安江上流の水源涵養と水質改善に確かな基礎を築くとともに、地元の村民の収入倍増を実現する手助けとなった。それだけでなく、左右龍村の生活環境は大きく改善され、ごみは見当たらなくなり、人々のマナーも改善された。

左右龍村党支部副書記の張国良さんは、有機茶栽培が村にもたらした変化を感慨深げに振り返る。「村民は当初、有機茶が大量の剪定を必要とすることに納得できず、茶の木が大きい方が葉も多くなるのだから剪定はもったいないと感じていました。その後、企業が来て皆を説得し、剪定後すぐ生産量が上昇しました。今、私たちは高品質のお茶の栽培に向けて徐々に成長しています。以前の茶の買い上げ価格は5003040元でしたが、現在は600~700元で、10倍以上になりました」。彼の言う企業とは黄山市新安源有機茶開発社のことだ。まさにこの企業が、グリーン有機生産発展モデルを左右龍村に導入し、企業が統一的な有機管理モデルの制定に責任を負い、かつ販売を保証し、農家が茶の木を栽培し、肥料をやり、茶を摘み取り、拠点が統一的な農薬配送と技術訓練を行う「企業+拠点+農家」モデルを切り開いた。有機茶は高品質で、市場のニーズが高い。現在、村の農家は茶の栽培だけで毎年3万元以上の収入を上げられる。農閑期に村民は出稼ぎに行くため、その収入を合わせると一部の家庭の年収は7、8万元にもなる。ここ数年、現地では貧困脱却事業が展開されており、左右龍村にいた若干の貧困世帯については、政府が農民に茶畑を請け負わせ、栽培を伝授しており、現在は大多数がすでに貧困から脱却している。

同社董事長の方国強さんによると、90年代初めに欧米市場を視察した際、欧州人が有機食品を特に好み、茶の消費量も多いことに気付き、有機茶こそ発展の方向性だと考えた。また、近年になって県内で水域の環境対策を実施し、水質や土壌環境が共に好転したことも茶の品質のさらなる向上につながった。新安江源流地区では現在、すでに800戸余りの茶農家、3万ムー(1ムーは約0067)余りの茶畑が協同組合に加入しており、新安源有機茶はブランドとして確立している。製品の60%は欧州に輸出され、国内市場でのブランド力も絶えず高まっている。

有機農業の普及推進以外に、農村で他の汚染源による汚染防止対策を強化することも現地の環境改善にとって重要な意義を持つ。農村のトイレの改造、環境美化スーパーの建設は共に地元が打ち出した優れた手段だ。環境美化スーパーは「スーパー」の名を持つが、実際は全村民が環境保護を身近に感じられるよう奨励するごみ回収ステーションだ。村民がペットボトルやたばこの空き箱などのリサイクル可能な生活ごみを持っていくと、スタッフが村民にポイントを積み立て、たまったポイントでせっけんや歯磨き粉などの生活用品と交換できる。村民にごみを分別して捨てる習慣を身に付けさせるための方法だ。張さんによると、導入当初は困難もあったが、村民委員会が家ごとにごみ箱を送り、ごみのポイ捨てをしないよう指導したという。後に環境美化スーパーが設立され、村民はごみを生活用品と交換できるようになっただけでなく、一定のポイントをためるとコンテストに参加して「環境美化ボーナス」を受け取れるようになった。村民は当初、公共の場でごみを拾うことに恥ずかしさを感じていたが、時間がたつと積極的に拾うようになった。これはポイントのためではなく、村を清潔なままにしたいと全員が思うようになったからだ。

農村民宿がネットで人気に

黄山市がある安徽省南部は古名を徽州といい、徽文化の発祥地だ。徽文化は白壁と黒瓦の民家建築、人工物と自然が調和する水墨画のような美しい景色、巧みで上品な庭園設計、油っこく濃厚なしょうゆ味の食べ物などで知られ、近代以降の中国人の美的感覚に深い影響を与えている。

車で休寧県の西南へ出発し、山々を越え、さらに曲がりくねった石段を一段ずつ上っていくと、徽州建築の風格をはっきりと備えた古い集落が目の前に現れる。ここが祖源古村落民宿群だ。初めてここを訪れた観光客は、目の前の古風で飾り気のない(6)景観と純朴な気風に足を止めて見入る。

祖源村は山中の平地にあり、周囲を山々に取り囲まれている。自然の景観が美しく、「神樹」と呼ばれる村内最大のイチイは樹齢1300年以上で、村の繁栄と変化を見守っている。

祖源村の民宿業発展の話に欠かせないのは、上海宏森投資発展社董事長の龐煥泰さんだ。14年に龐さんは観光で祖源村を偶然訪れ、本物の徽州古民家、きれいな空気と水、甘くておいしい果物と野菜、周辺の美しい風景に魅了され、村で民宿観光業を始めることを決めた。古い村落の本来の環境や植生、文化、建築の様相を破壊しないという前提の下、古い物が古い姿をとどめるよう修繕し、都市住民がここで郷愁に浸れるようにした。16年に「夢郷源」民宿群が正式に営業を始めると、すぐに多くのインターネットユーザーの注目を集め、都市住民が次々と訪れ、山奥の祖源村はたちまちネットで話題の観光地になった。

龐さんによると、彼が初めて村を訪問した時、村全体の270世帯余りのうち、村に残っていたのは50世帯だけだった。1人当たりの平均年収はわずか6000元で、大部分が出稼ぎに頼っており、正真正銘の「空心村」だった。だが「夢郷源」プロジェクトの成功により、村全体の発展が促進され、出稼ぎに行っていた若者がUターン起業する(7)ようになった。2年間で村内に14軒の「農家楽(宿泊や食事などを提供する農村体験施設)」が開業した。このうち数軒はもともと出稼ぎに行っていた村民が帰郷して開いた施設だ。項永利さんもそのうちの一人。項さんは杭州で電気溶接の仕事をしていたが、帰省時に村内の民宿観光業が盛んなことを知り、Uターン起業を考えるようになった。17年、彼は先祖から伝わる建物を利用し、民宿「陋居」を正式にオープンした。初めは経験不足や売上不振などの問題に直面したが、項さんは積極的に他の民宿経営者から学び、心を込めてサービスを行い、売り上げが次第に上昇し、昨年には8万元以上の収入を得た。民宿経営者となった項さんは、「収入は出稼ぎよりも多くなりました。外でずっと苦労して働くのは、根本的な解決方法ではありません」と晴れ晴れしい表情を浮かべる。さらに、全国各地から訪れる観光客に毎日対応したことで、自分自身の素養やコミュニケーション能力も向上したと感じている。これは出稼ぎでは決して学べなかったものだ。常連客の一部は項さんの友人になり、さらに多くの顧客をもたらした。その上、項さんは自分で野菜を栽培し、家畜を飼い、宿泊客に新鮮な食材を提供している。

3年余りで祖源村の民宿観光業は急速に発展し、全国から30万人近い観光客を呼び込んだ。龐さんは祖源村の発展について感慨深げに次のように話した。祖源村に来たのはこの美しい自然や白壁、黒瓦、素朴な気風を残したいと思ったからであり、村民の生活の困窮ぶりを深く感じ、より良く暮らす手伝いをしたいと思ったからでもあった。現在、国は農村振興を実施しており、農村は自分たちの長所に合った活路を見つけなければならず、正しい発展理念も非常に重要だ。この3年間で最も心を打たれたのは、山も家も道も相変わらず元のままであり、村民の思想や観念にだけ変化が起き、皆が貧困を脱却して豊かになろうと意欲を燃やしていることだ。祖源村もこれによって、豊かな暮らしとエコの道を歩み続けると信じている。

祖源村だけでなく、黄山市の古い村落の民宿業はすでに一定の規模を持っている。潜口鎮の唐模村や西渓南鎮は十分に成長した民宿集中地になり、飲食、宿泊、観光、買い物を一体化した産業チェーンを確立している。そこでは至れり尽くせり(8)の旅を観光客に体験してもらうとともに、農家楽を経営する地元民に「心の安らぐ場所は自分のふるさとだ」という安心感をつくり出しており、人にも環境にも優しい経済成長方式が育っている。

 

人民中国インターネット版 2020年1月7日

 

 

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