2008年5月12日に発生した四川汶川大地震によって、四川省成都にある唐の詩人、杜甫の旧居、杜甫草堂の遺跡が大きな被害を受けた。遺跡の地面には亀裂が入り、土壌は崩壊し、多くの出土文物が壊れた。文化財の保護運動を続けている中華社会文化発展基金会は、大地震によって被害を受けた国宝や文化財の救援のため、国内外に募金を呼びかけている。
漂泊の詩人が愛した家
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大地震で崩れた杜甫草堂内の建物 | 「詩聖」と称えられる杜甫(712~770年)は、唐の玄宗皇帝即位の年に生まれ、下級官吏となったが、44歳で安禄山の乱を迎えた。戦乱の世の中、あまりの生活苦のため職をなげうって、家族を連れ、流浪の旅に出る。
蜀(四川省)の成都に到着したのは乾元2年(759年)の末であった。しばらくは古寺に住んだ杜甫は、次の年の春、時の剣南節度使で成都の尹(長官)であった裴冕の援助で、成都郊外の浣花渓のほとりに茅葺きの家を建てた。これが杜甫草堂である。
浣花渓水水西頭(浣花渓の水の流れる西のあたり)
主人為卜林塘幽(自ら占って林の窪地の幽境に居を定めた)
已知出郭少塵事(街を離れて俗事が少ないし)
更有澄江銷客愁(そのうえ愁いを解いてくれる澄んだ川もある)
と、杜甫はうたった。
杜甫草堂は杜甫自ら「錦里煙塵外 江村八九家」とうたった辺鄙なところにあった。杜甫はここに約5年住み、さらに蜀の地を放浪して唐の永泰元年(765年)、蜀を去るまでに240余首の詩を作った。その中には、有名な絶句(広徳2年春の2首のうち1首)もある。
江碧鳥逾白(江は碧、鳥はいよいよ白く)
山青花欲然(山は青、花は然えんと欲す)
今春看又過(今春、看すみす又過ぐ)
何日是帰年(いずれの日か、これ帰る年ぞ)
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地震前の杜甫草堂 |
発見された唐代僧塔銘碑
2001年、杜甫草堂の近くから1つの石碑が発見された。碑文の題は「益州正覚寺故大徳行感禅師塔銘并序」であり、通常「唐代僧塔銘碑」と呼ばれる。この碑文は唐の則天武后の垂拱3年(687年)につくられ、文中には当時のこの一帯の状況が描かれており、唐代の社会や風俗を知るうえで貴重な歴史資料である。
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杜甫の胸像 | また杜甫草堂の敷地から2ヵ所の唐代の生活遺跡が発掘された。民家の土台や井戸、かまど、地下貯蔵庫、排水溝などの跡で、銅銭(開元通宝)や陶器、鉄器、銅器などの生活用品や文化娯楽用品、仏具も大量に出土した。こうした発見によって、杜甫が生きた時代の蜀の文化を知ることができる。
杜甫草堂は、杜甫を記念する代表的な遺跡であり、規模がもっとも大きく、保存がもっとも完全で、全国重点文物に指定されている。また杜甫草堂博物館は国家一級博物館で、国の観光スポットに登録されている。
しかし四川汶川大地震によって、杜甫草堂の遺跡と博物館は大きな被害を受けた。出土した陶磁器や文物は壊れ、杜甫草堂に隣接する浣花渓の地下水の水位が上がったため、その湿気によってカビなどが生え、唐代の遺跡の地表の風化が激しくなった。
また唐代僧塔銘碑の表面の風化や剥落はかなり拡大しているので、科学的な方法で早急に修復する必要がある。文化財の保護や、国外に流失した国宝級の文物の買戻しなどを進めている中華社会文化発展基金会の初歩的な推算では、遺跡の保護と修復には600万元が必要だという。(中華社会文化発展基金会国宝工程副総幹事 牛憲鋒=文・写真)
人民中国インターネット版 2009年3月11日
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