高原=文 馮進=写真
コロンス島(鼓浪嶼)は、もともとは圓沙洲、圓洲仔と呼ばれていたが、島の南西部に海水の浸食によってできた岩の洞窟があり、波が押し寄せると太鼓のような音を出すことから、明代以降この名で呼ばれるようになった。
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路地を散策し、静かに両側の古い建物を見て、昔をしのぶ | 面積はわずか1.87平方キロで、20分歩けば端から端まで行けるこの小さな島は、福建省アモイ(廈門)市思明区に属し、アモイとの間を隔てる海峡の幅はわずか600メートル、フェリーで5分の距離である。全国に名を馳せる観光地として、この10年間、コロンス島は不動の人気を誇り続け、アモイにおいて最も人気のある観光スポットだとも言える。こんな小さな島のどこに、そのような魅力が秘められているのだろうか。
まず、島の「容姿」はごく平凡だ。アヘン戦争後、米国、英国、フランス、日本、ドイツをはじめとする13カ国が相次いでここに領事館を設け、商人や宣教師らが続々とやってきて、教会や公館、学校、病院などを建設した。そのため、「万国建築博覧」という美称を持つが、上海、青島などの洋風建築群と比べると、ここの風景はさほど感動的とは言いがたい。それに、ここの古い建築は現在、ほとんどが私邸あるいはホテルになっているため、自由に参観ができず、「万国建築博覧」の魅力も大いに割を食っている。
さらに自然景観について言えば、美しい砂浜や岩浜、ヤシやガジュマルの木などは暖かくて過ごしやすい亜熱帯風情を醸し出しているが、海を隔てて望むアモイも同じような風景を持ち、この島だけのものではない。そして、アモイにある万石植物園の熱帯植物はより生気に満ちており、アモイ大学の前に広がる金色の砂浜は、夕日に照らされるとさらにその美しさを増す。では、なぜ観光客は四方八方から、東海に浮かぶこの猫の額ほどの小島を目指してやって来るのか。
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夜の散策はまた特別な趣がある。柔らかな海風が路地の隅から吹いてきて、やさしく頬をなでて、とても心地よい | それは、コロンス島がいつでも変わらぬ姿を保ち続けているからではないだろうかと、私は思う。外の世界がいかに変化しようが、外の人々がいかに進歩のために苦慮していようが、この小さな島はいつでも自分のペースを守り、悠然と落ち着き払い、動揺することはないのである。
まだ島に上陸する前からこの落ち着きは感じられる。例えば、島への唯一の交通手段はフェリーであり、台風がやってくると、台風が通り過ぎるまで、埠頭で待つしかない。しかも、フェリーの営業は夜10時までで、10時を過ぎても漁船に頼んで乗せてもらうことはできるが、これは運まかせだ。そもそも海上大橋を造るのはそれほど難しいことではない。島とアモイの埠頭は600メートルという、手を伸ばせば届くほどの距離しかない。それでもこの島は、フェリーという時代遅れで面倒な交通手段を踏襲し、世間との距離を維持している。
また、島内には車がない。交通手段は徒歩あるいは自転車だけである。山奥の辺鄙な村々では、道路と郵便の開通が近代化した豊かな生活のシンボルだと考えられているが、この地は逆に車を拒否している。ハンドルを握ると急にせっかちになる人がいるように、車がないと、人々の行動ものんびりとしてくる。車がないということは、北京のように信号を2回待たなければ渡れないほどの広い道路もなく、立体交差橋も信号もないということだ。こっちの店を覗いたあと、向かいのカフェに直接行ったり、通りの向こう側を歩いている知り合いにあいさつをし、おしゃべりをしたりすることもできる。ペットの猫や犬でさえも、自由気ままに街をうろつき、仲間のところに行くことができる。街全体が一瞬にして昔のままの人情味や親近感を取り戻すことができるのだ。
コロンス島の一番得がたいところは、完全な観光地でありながらも、頑固に自然のままの生活感を保っているところだろう。
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行商人は果物の入ったかごを担いで街中を回って売る。これらの台湾の色鮮やかな果物は、とてもおいしそうだ |
夜になると、狭い道の両側にびっしりと名物屋台が立ち並ぶ。海鮮の焼き物はとくにおいしく、観光客に喜ばれている |
コロンス島に行く前、観光情報を調べていたとき、この島になんと百以上のビジネスホテルと民宿があると知り、驚いた。商業的なにおいが強すぎるのではないかと心配していたが、来てみたらそれは余計な心配に過ぎないことが分かり、ほっとした。確かに民宿やファッションショップ、カフェが立ち並び、観光客も続々とやってくるが、市井の暮らしはまだ街角に残っていて、それはたくましく生き延びている。
例えば、夜になると、街角に現れる海鮮屋台、魚団子の屋台、沙茶麺(インドネシアのサテーソースを使った麺料理)の屋台。粗末なプラスチックの腰掛に座って、魚団子のスープを味わいながら、東北方言でも河南方言でもない、店主とおかみさんの地元方言による取り留めもない会話を耳にしながら、しみじみと来てよかったと感じる。また、てんびん棒を担いで街中を回って、奇妙な形をした熱帯の果物を売る行商人もいれば、にぎやかな魚市場もあり、一列になって朝のジョギングをする生徒たちもいる。三々五々、家の前で中国茶芸を楽しむおじいさんたちは、ついでに「洗濯」「ご飯の準備」「休み」などの文字が書かれたさいころを売っている。若者たちはこのようなさいころを振って家事分担を決めるのだ。彼らのそばに立っている看板には、「民主はここから」と書かれている。銃を手にした警備員2人に付き添われ、現金の入った大きな麻袋を持って、歩いて銀行に向かう送金員の姿もたまに見かける。護送車はこの島に上陸できないからだ。コロンス島はかたくなに自分のこだわりを守り続けているからこそ、ほかの観光地では見られない風景を見ることができる。
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コロンス島の観光名所である菽荘花園 |
海に伸びる菽荘花園の四十四橋 |
最後に、菽荘花園をぜひ紹介しておきたい。岩場の横に建てられたこの庭園は、代表的な江南式庭園で、巧みに設計され、きわめて美しい。その中にある四十四橋はくねくねと海まで突き出ていて、その足元はもはや江南庭園の静かな池ではなく、満ちたり引いたりする、ごうごうとうず巻く潮である。ここが江南地方とまるで異なる度量を示すところである。
四十四橋の先端に立ち、向かいにある高層ビルが立ち並ぶアモイを眺めることも、コロンス島ならではの体験かもしれない。「絶世独立(この世で並ぶものがないほど優れている)」という気分を味わうことができるだろう。
人民中国インターネット版 2012年7月
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