1981年青島生まれの女性・劉洋さんは会計の仕事に就き、毎日山ほどある数字を相手にしているが、仕事を離れると青島の旧市街を歩いては、青島の見どころ探しを楽しんでいる。
古い建物のユーゲントシュティールを発見
「青島の古い建物には、感動させられる細部がある」劉洋は古い建築画集を手に持ちながら、気軽に紹介してくれた。「これはアイルランドのチュードル様式、これはフランスのマンサード屋根、これはドイツ瓦・・・」
劉洋は自分のミニブログ名を「Jugendstil」とつけた。ユーゲント・シュティールとは、ドイツ圏の世紀末芸術の傾向を指すもので、19世紀末から20世紀の初頭にかけて展開された。建築分野では、簡潔で機能を重視される一方、独自性も求められ、田園住宅もさかんに造られた。赤レンガでつくられた住宅はその典型的な様式だ。「青島にはそのような建物がいっぱいあります。例えば教会で、古典から現代へと移行する過渡的様式です」
彼女は、かつて新聞に掲載されたコラム『青島の古い建物』の万年筆によるドローイングの挿絵を研究したり、文化市場で青島の昔の面影についての古本を探したり、都市建設公文書館で史料を調べたり、さらに歴史研究者と交流し、意見を交わしている。
古建物すべてがドイツ人のデザインではない
2011年、民国期(1912~1949年)の青島の建築と建築家について書くために、劉洋さんはわざわざ南京に足を運んで民国期建物を調べ、青島の有名建築家の作品を見つけた。また、彼女は中国建築史における「中国固有の様式」という固有名詞を知った。青島にもそのような建物があり、例えば、青島美術館の中国風建物は、青島出身の建築家によってデザインされたものである。
その後、2000字ほどの論文『民国期の青島の建築と建築家』は『市南人文歴史研究』という雑誌に掲載された。文章には「青島の古い建物はすべてドイツ人のデザインしたものだと思っている人は多いが、実は民国期に、中国はすでに優秀な建築家を輩出していたのだ」とある。
歴史研究を通じて旧市街を守っていく
最近、劉洋さんは、買ったばかりの『黄砂と桜』という日本の小説を誰かに翻訳してもらおうと準備している。青島の竜口路には1軒の「不思議な」建物があり、その外壁はツタに覆われており、とっくに住む人もなくなっているようだ。実は、ここはかつて横浜正金銀行の副頭取の私宅だった。副頭取の娘の安西篤子さんは中国の多くの都市を訪ね、この自伝的小説を著した。彼女は、その中の青島に関する記述に関心があるのだ。
また、劉洋さんは市南区政治協商文史委員会によるプロジェクト「青島早期移民史」作りに参加している。若者として、ほかのメンバーとともに研究を担当しているのだ。 |