People's China
現在位置: コラム茶馬古道の旅

伝説の桃源郷シャングリラ

 

「月光城」――ドゥクゾン

 

 

ドゥクゾン古城の四方街で踊りを楽しむ観光客と現地のチベット族の人々
 10月の雲南・チベット高原は、ひしひしと寒気が迫ってくる。日が沈むと温度が急激に下がり、冷たい山風に頬を打たれ、思わず身震いする。荷物を駐在地に置き、慌しく服を着込み、町のヤク鍋の店で夕食を取ることにする。せわしい一日を過ごし、すでに腹ぺこだ。小さな店の中は湯気が立ちのぼり、大勢の客であふれかえっている。夕食を終えると、人々は三々五々群れをなして古城の中へと消えてゆく。

 

中甸の街は新城と旧城からなる。団結通りを軸に、北は新しい市街地となっており、ひっきりなしに往来する車とにぎやかな商店街は、内地の県と変わらない。南は千年の歴史を誇るドゥクゾン古城で、建塘鎮とも呼ばれ、八つの花びらのハスに似た配置となっている。言い伝えによると、向かいの山から見た大亀山の形が、ハスの上に座っている大法師の姿によく似ていることに気づいた生き仏が、この古城を建てたという。城内の三つの大通りと33の横町が織り成すくねくねと入り組んだ道は、現地の人でなければすぐ道に迷ってしまう。

 

でこぼこした石畳の道に沿って歩いたが、街の両側に並んでいる店のほとんどが閉まっていた。薄灯りに照らされた古城のあちこちから立ち上る炊事の煙が、白い壁と杉の板でつくられた屋根のチベット民居の質朴さを引き立てる。旅館、茶楼、バーの灯し火が古城の夜に活気をみなぎらせている。各地から訪れた観光客は静かで安らかなここの雰囲気を気に入り、濃厚な高原チベット族の趣を楽しんでいる。これらの建物はほとんどが民家を改装したチベット民居の風格を残した内装で、竜と鳳凰、花鳥および八吉祥図が彫られたドアや窓、そして部屋にある家具にもチベット族の特色が強く感じられる。外壁は地元の白い粘土を塗ったもので、美しいだけでなく、外壁を守る役割も果たしている。白い城壁が月明かりに照らされると城全体が非常に明るくなるため、人々はここをチベット語で「月光城」という意味の「ドゥクゾン(独克宗)古城」と名づけた。 676年から679年にかけて、吐蕃が南下し、中甸を流れる金沙江の上に鉄の橋を掛け、雲南・チベット間を行き来する道路を貫通させた。また雲南の北西部に、16の軍事要塞を設けた。これらの施設はまとめて鉄橋16域と呼ばれている。現在古城の朝陽楼のある亀山は、当時の吐蕃の鉄橋東城である。吐蕃は高原の牧畜、水利、製錬技術を中甸および雲南北西部に伝え、南昭の伝統技術と茶葉もキャラバンによって中甸を経て吐蕃に伝わった。そのため、中甸では早くから畜産品と茶葉の交易活動が行なわれていた。

 

明代に至り、麗江の木氏一族の土司(当時の少数民族の族長)が中甸を占拠してから、雲南商人が毎年麗江、鶴慶、大理、普アールから大量の茶葉、砂糖、銅器および食糧を、中甸、康南、江カ、塩井などに運び、現地で販売した。またチベット族地区の畜産品、酥油(羊や牛の乳を煮詰めて作ったバター)、チベット香および冬虫夏草、麝香など漢方薬の材料を買って帰った。こうして次第に貿易が盛んになっていった。

 

清の康熙27年(1688年)、チベットは中甸に交易市場を設立。以来、雲南、四川、チベットからの商人やキャラバンがどっと集まるようになり、中甸は雲南・チベット商品の集散地のひとつとなった。

 

北門街66号の民家を訪れた。二階建ての古いチベット式の木造建築である。回廊の横梁に彫られた、とぐろをまく五匹の竜が人目を引く。齢70を超えたというその家の主人アブワントゥイさんは、部屋の外に座って居眠りをしていた。われわれの訪問で起こしてしまったが、茶馬古道について知りたがっていることを聞くと、キャラバンの話を聞かせてくれた。

 

かつて迪慶からやってきた馬鍋頭(馬方の頭)はチベット語がわかり山道をよく知っているため、非常に人気があった。チベットに入るキャラバンは普通旧暦の4月から5月の間に出発し、再び帰ってくるまでには、少なくとも半年近くかかる。出発前、店の主人は心遣い示すために、馬鍋頭に布製の服一着と皮靴一足を贈る。さらに徳欽に到着すると、店の中継所で楚巴(チベット族の服装)が配られる。続いてラサに着くと、防寒のチベット族の服とコーデュロイが何尺か配られる。道中、キャラバンは規模の異なるさまざまな馬宿で、休憩、調整する。チベット族地区に運ぶのは沱茶、黒砂糖、食品などが中心で、雲南に持ち帰るのは主にインド産の綿布、薬品、雑貨などである。キャラバンがチベットから無事に帰ると、馬鍋頭は店の主人から報酬として30枚の銀貨をもらえる。店のキャラバンで3年以上にわたって走り続けた馬方は、ラバ1頭を与えられる。年月を重ねるうちに、自分のラバや馬を数頭持つようになった馬方は、キャラバンを脱して自ら馬鍋頭となるのである。

 

   <   1   2   3   4   >  

同コラムの最新記事
国境の鎮にたどり着く
雪山群の麓を行く
奥チベットに入る
茶が時を刻むラサの暮らし
「太陽の宝座」ニンティへ