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現在位置: コラム茶馬古道の旅

天険をゆく 巡礼者たち

 

 

ラウ湖を離れたころには空はすでに明るく、大型トラックが次々に道行く人々の脇を、砂埃を巻き上げながらビュンビュンと通り過ぎてゆく。

 

スケジュールでは、その日のうちにタンメ(通麦)天険を通過することになっていた。タンメ天険は茶馬古道の雲南・チベットルートでもっとも険しい部分である。出発前に隊長から隊員全員およびドライバーに詳しい状況が説明され、これまで以上に気をつけるようにとの注意があった。

 

「いったいどれほど危険なのでしょう?」誰かが心配そうに尋ねた。隊長はそれに答えて言った。「パランズァンボ川(帕隆藏布江)を越えてからしばらく、舗装されていない非常に走りにくい川沿いの道があります。もろい地質のために、そのあたりではたびたび地滑りが起こります。しかも道が非常に狭いため、車一台通るのがやっとです。山の天気は変わりやすいので、一度雨が降ると路面はぬかるみ、車が通るには非常に危険です。気を抜くと川へ滑り落ちてしまいます。ですから、できるだけ急いでタンメの街まで行きましょう。遅くなると、その日のうちに天険を越えることが難しくなりますから」

 

千里の五体投地

 

ボミ(波密)を経てタンメに向かう道は、およそ200キロあまり。隊長の話を聞いてみな黙り込んでしまい、車内は緊張したムードに満ちていた。走っているうちに、突然前方の道路の真ん中で、チベット族の人々が五体投地をしているのが目に飛び込んできた。ドライバーに声をかけ、車を止める。カメラを担いで巡礼者たちのそばに寄り、シャッターを切っているうちに、先ほどまでの緊張した気分はどこかへ吹っ飛んでしまった。

 

 

一心に五体投地をしている七、8人のチベット族の人々のほかに、道端に4台のタルチョを挿した台車があり、数人の年寄りがその横に立っている。台車には鍋や碗やひしゃくや盆などの生活用品と、1歳になるかならないかの子供が2人乗っている。1人の年長者が、そこから鍋や碗などを取り出し、道ばたにかまどをつくって食事の準備を始めた。アーウーと舌足らずな言葉を発していた子供は、五体投地から戻ってきた母親を見ると小さな両手を伸ばし、その胸に飛び込んだ。五体投地をしていたほかの人も、自分のいた場所に2つの石を置いて目印をつけてから道路脇にやってくると、食事を始めようとした。言葉が通じないために、私たちはしばし困り果てた。あれこれと身振り手振りを交えながら伝えようとしたが、相手は目を見張って首を振るばかりで、どうにも理解できないという表情を浮かべている。幸い、このとき通りかかった車から幹部らしきチベット族の男性が降りてきて、通訳を買って出てくれた。

 

その12人は2つの家族で、四川省ガルズェ(甘孜州)石曲県にある東曲瓦曲郷舎竜村というところから来た人々であることがわかった。ラサに詣でるため、家や家畜を親戚や友人に託し、子供連れで5月に故郷を出発したという。故郷を離れて半年あまり、風に吹かれ日に晒されながら、1600キロあまりの道を五体投地をしながらここまでやって来たのであった。

 

「まだ全行程の半分も過ぎていないので、先は長いです。年末までにはラサに着きたいと思っています」

 

静かな、それでいてきっぱりとした口調で彼らは言った。そんな彼らのタコのできた額と毅然としたまなざしを見ながら、このような敬虔な巡礼者が、一路どれほど大変な気力と信念で苦しみに耐えてきたかは、想像を絶するものであろうと考えた。

 

五体投地は、チベット仏教の信徒の礼拝のスタイルであり、「身」(行動)、「語」(呪文)、「意」(意念)による3つの敬意を示すと同時に行動をもって仏陀、仏法への崇敬を表す。五体投地は「身」で敬い、口で「六字真言」を唱え続けることは「語」で敬い、心の中で念仏することは「意」で敬うことである。六字真言「嗡嘛呢唄咪吽」は、漢字の音訳で唵(アン)・嘛(マ)・呢(ニ)・叭(ベ)・咪(メ)・吽(ホン)とされ、チベット仏教では、六字真言を唱え続けていれば、病の苦しみ、刑罰、死の恐怖は取り除かれ、寿命が長くなり、財産が豊かになると考えられている。

 

 

仏を参拝する方法は、長距離、短距離、その場で参拝、の3つの方法に分けられる。そのうち、数カ月ないし1年以上に及ぶ時間をかけ、故郷からラサに仏を拝みにゆく長距離の五体投地がもっとも苦しく、十分な気力と堅い信念なくしては成し遂げられない。

 

チベット自治区内に入ると、ラサへ向かう途中の道で、五体投地をしている巡礼者の姿をたびたび目にする。みな両手に木製の保護具をつけ、足には膝あてを巻きつけ、大きな毛皮の前かけ(普通の布のものもある)を体に巻きつけ、3歩進むごとに五体投地をしながら前に向かって進んでゆく。五体投地の動作には非常に厳格な基準があり、気をつけの姿勢から始まり、六字真言を唱えながら、両手は合掌して高く頭上に掲げ、そして一歩進む。両手は引き続き合掌して前方に伸ばし、さらに一歩進む。合掌したまま両手を胸の前に戻し、3歩目を踏み出すときに両手を胸の前に伸ばして広げ、地面と平行に前に伸ばして手のひらを地面に向け、まず膝から地につけてから全身を地に伏せ、軽く地面に額づき、再び手を収めて立ち上がる。ここまでが1つの五体投地である。参拝の道ではこれを繰り返し、千里はるばる困難や危険を恐れず、ラサのポタラ宮に到着して初めて十分な御利益があるとされる。

 

五体投地の巡礼者はほとんどが家族あるいは同郷者で構成され、途中には専属で衣食の管理をする人が付き添うが、この人は五体投地をする人と交代してはならない。五体投地をする人はいささかもおろそかにすることなく、一心に続けなくてはならない。川にぶつかってそれを越えなくてはならないときには、まず岸で川の広さに等しい距離を五体投地で額づいてから、川を渡る。休憩など特殊な状況のときには、足を止める前に石を置いて目印をつけ、再び五体投地を始めるときにはその印のところから再開し、引き続き前進する。

 

食事を終えると、巡礼者たちは黙々と道具を片づけ、再び路上に戻り、引き続き「身」「語」「意」で3つの敬意を表す五体投地の動作を繰り返す。聖地に思いを馳せる彼らの顔には、いずれも希望の微笑みが浮かんでいる。考察隊の人々は出発前に巡礼者たちに敬意を表し、彼らが一日も早くラサにたどりつけるよう祈った。

 

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