良渚(上) 玉器文化の宝庫
丘桓興=文 劉世昭=写真
長江は中国第一の大河である。黄河流域と同じく中華文明の発祥地とされている。筆者は長江下流から遡って、沿岸の重要な古代文化遺跡および稲作、船舶、玉器、陶器、村落、青銅器、文字、楽器、祭祀、信仰、崇拝と、異なった地域の文化について、現地で取材し、「長江文明を訪ねて」を連載することにした。
|
|
|
反山12号墓出土の「玉琮王」上の神の紋章(杭州良渚遺跡管理局提供) |
「良渚文化」と命名される
中国人は玉を好み、崇める。透き通るような玉器を飾りとするだけではなく、「以玉事神(玉をもって神に仕える)」といったとおり、玉を神聖化する。その後、人々は玉の堅さと瑞々しい光沢、きらびやかな彩り、透き通るような肌合い、澄んだきれいな音色を、それぞれ君子の仁、義、礼、智、信の5つの美徳の象徴とした。
中国の玉文化の歴史は長い。長江の下流の浙江省だけでも、大量の古代玉器が発見された。省都の杭州市から東北に20キロメートル余りの良渚は、古玉で遠く名を知られている。清朝の乾隆皇帝は、良渚産の美玉を好んで収蔵し、これを愛でて楽しんだ。もっとも、当時はこれが2、3000年前の周・秦・漢時代から伝わる宝物と勘違いしていたようだ。
1936年、西湖博物館の施昕更さんが近代考古学の方法で、故郷・良渚で発掘されたいくつかの墳墓から出土した一群の石器や陶器、玉器を炭素14法に基づいて測定したところ、正に良渚美玉は5000年前の宝物だったということが分かった。その後も、良渚とその周辺地区で5200~4300年前に属する各種の遺物が大量に出土した。1959年、考古学界はこれを「良渚文化」と名付けた。現在、良渚及び瓶窰、安渓、長命鎮などの周辺地方、42平方キロメートルの国家重点文物保護区内で、135カ所の遺跡が発掘されている。浙江、江蘇、上海などの太湖流域の3万6000平方キロメートルの範囲で、500カ所余りの良渚文化遺跡が前後して発見されている。
良渚文化は細工が精巧で、内包が豊かな玉器を特徴としている。その中でも、もっとも重要で、もっとも代表的なものは、1986年5月に反山で発掘された貴族墳墓群から出土した、等級の高い、価値のある玉礼器で、中国の考古学界にセンセーションを巻き起こした。
この発掘作業に携わってきた浙江省考古研究所副所長、良渚考古ワークステーションのリーダー劉斌さんが言うには、長命鎮のある企業が反山という荒地に工場を拡張しようとしていた。良渚の文化財管理部門はこの申請を受けて、法律に基づきまずは発掘を始めた。まさかそこが大宝庫とは夢にも思っていなかった。6つの10メートル四方の深い穴の中に、11座の貴族の墳墓が発見され、計3200個余りの玉器が出土したのである。
|
反山の玉器は等級が高く、種類も多い。一つには琮(内円外方の柱形をした玉)、璧(中央に穴があり平らな輪の形をした玉)、鉞(まさかり状の玉)と円柱形や三叉形、錐形の玉礼器が大量に出土したこと。二つ目は冠状の飾り、半円の冠の飾り、璜(半円形の玉)や玉鳥など身分を示す玉の飾りも発見された。三つ目は、一般の装飾や儀礼用の玉帯鈎、珠、镯と紡錘などである。中でも、12号墓から出土した最大の玉琮は重さ6.5キロあり、「玉琮王」と称されている。もう一点は幅広の玉鉞は「玉鉞王」と称されている。