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現代工芸の逸品集めた白い洋館

汾陽路79号、上海徐匯区の目立たない小さな通りにあるごく普通のたたずまいである。入り口には「上海工芸美術研究所」と「上海工芸美術博物館」の2つの看板がかかっているだけ。これといって特別なところには見えない。しかし中に入って奥へと歩いてゆくと、米国のホワイトハウスにそっくりの建物が目の前に飛びこんで来る。この派手な建物の中に、上海の現代工芸美術の名匠たちの数々の最高傑作が収蔵されている。ここを訪れた人は、思いがけない収穫に、誰もが目を輝かせるはずだ。

「小さなホワイトハウス」

上海工芸美術博物館ホール

「小さなホワイトハウス」の典型的なヨーロッパスタイルの装飾が施された鉄製のバルコニー

上海工芸美術博物館のメインの建物は、ハンガリーの建築士ヒューデック(L.E. Hudec)の設計によるもので、1920~30年代に建設が始まった。ヒューデックは上海に数十棟に及ぶ人々の目や心を楽しませる建築作品を残しているが、おそらくこの「小さなホワイトハウス」はその中でもっとも保存状態がよく、もっとも豪華な邸宅建築であろう。

「小さなホワイトハウス」は敷地面積およそ5862平米、全体的にフランスのポスト・ルネッサンス様式で、白色で統一されている。南側から見ると左右対称の屋外階段が設けられ、1階の床及び天井はすべて大理石で、きわめて細やかで精緻な彫刻が施されている。特筆すべきは、2階の浴室の内装は建築当時のまま保存されていることである。そこには世界で唯一残っているアンティークの、複雑な構造のマッサージシャワーもある。

「小さなホワイトハウス」がある汾陽路はかつてフランス租界の中にあった。当時このあたりは農家や田畑ばかりの農村風景が広がり、ヨーロッパ人好みの別荘を建てるにふさわしい土地であった。完成した「小さなホワイトハウス」はフランス租界の総督の官邸となり、歴代十数名の総督がここで暮らしていた。そのため、第2次世界大戦の戦火の洗礼を浴びることなく、幸いにもほぼ完全な状態で残っている。

選りすぐりの工芸美術珍品

舞台衣装の工芸美術の名匠である謝杏生による「真翠劇帽」 「海派4刻」の1つ「留青」技法が見られる竹彫刻作品 上海工芸美術博物館内に展示されている美しい手作りの舞台衣装

1963年、上海市はここに上海工芸美術研究所を設立し、上海民間工芸美術の名匠たちが創作と人材育成に専念できるよう、十分な待遇で招いた。2002年、工芸美術の名匠たちが残したすばらしい傑作を人々が楽しめるようにと、さらに上海工芸美術博物館が開設された。

たとえば、「真翠劇帽」は舞台衣装の名匠・謝杏生による貴重な作品で、中国の伝統的な戯曲の中の帝王役が被っていた帽子である。この「劇帽」には金箔が貼り付けられ、装飾の青い色は、永遠に色が変わらないとされるカワセミの羽のもっとも青いものだけを顔料にしたものが塗られている。

また1930年代ごろから活躍した支慈庵(1904~1974年)による竹彫刻作品「和平頌」などは、「海派(上海スタイル)」の竹彫刻特有の「留青」の技法が用いられ、特殊処理を経た非常に薄い「竹青(竹の皮)」に、熟練した彫刻刀さばきで、水墨画の筆づかいと趣が絶妙に表現されている。支慈庵のこの作品には、花、鳥、木、石、水がすべて揃っており、水墨画のような豊かさが漂っている。時を経て竹の緑色は滑らかさを増し、含蓄の豊かさが際立ち、竹彫刻のすばらしい芸術品となっている。

上海工芸美術博物館の所蔵品の特色は、比較的よく見られる玉彫刻、象牙彫刻のほか、竹彫刻、硯彫刻、磁器彫刻、象牙細刻のいわゆる「海派4刻」の作品が多いことである。いずれの作品にも強烈な風雅の味わいがあり、海派芸術を代表するものであるといっていいだろう。しかし惜しむらくは、「4刻」のうちの磁器彫刻、象牙細刻の2つの技術は継承されずに失われてしまい、名匠の遺作を残すのみとなっている。優れた技術の数々が伝えられなかったことは、なんとも嘆かわしく、残念なことである。

失われゆく工芸技術

工芸美術博物館内で見学できる「面人(しん粉細工の人形)」の製作現場
現在、上海工芸美術研究所は7つの市級無形文化遺産、4つの国家級無形文化遺産が揃っており、全国でも貴重な研究所となっている。しかし工芸美術の名匠たちはすでに亡くなり、技術を受け継ぐ人材がいないという問題に直面している。

上海工芸美術博物館では、2階の展示室で工芸美術の創作過程を見学することができる。そこで作業をしている人々はみな45歳以上で、若者の姿はほとんど見られない。方陽副館長によれば、たとえば象牙彫刻などは、3年の修行を終えてようやく入門できるというもので、その修行に耐えるだけの忍耐力が備わっていなくてはならないという。しかし、現在、そうまでしてこうした技術を学びたいという若者はなかなかいない。多くの名匠たちはかなり高齢であるが、困ったことに弟子のなり手がいない。国家級無形文化遺産の1つ・黄楊(ツゲ)木彫の名匠である徐宝慶には、かつて百人以上の教え子がいたが、現在は一人として黄楊木彫を続けてはおらず、皆、より収入のいい実用的な美術品を作る商売にくら換えしてしまった。

方陽副館長は感慨深げに昔を振り返る。かつて工芸美術は非常に重視されており、政府は美術工芸の名匠たちを非常に厚遇していた。現在なら月収2万元ほどに相当する高給で、のびのびと創作に打ち込むことができ、みなここで自身の生涯の最高傑作を完成させた。しかし「改革・開放」後、社会全体の関心は経済建設に集まり、文化に投資する人はあまりいなくなってしまった。最近になって「無形文化遺産」が再び表舞台でスポットライトを浴びるようになりつつある。この勢いに乗って、こうした貴重な伝統工芸技術が未来へと継承されていくことを願うばかりである。(高原=文・イラスト 馮進=写真)

 

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