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「老城廂」散策

高原=文・イラスト 馮進=写真

お恥ずかしいことだが、浅学な筆者は、ずっと「老城廂」は「城隍廟」のことだと思い込んでいた。

上海を訪れるたびに、城隍廟の商店街や廟のあたりをぶらぶらする機会はあるが、その存在を特に気にかけることもほとんどなかった。城隍廟は老城廂、要するに老城廂とは城隍廟のことなのだと思い続けてきた。実際には、老城廂とは上海市の東南(今の黄埔区)一帯を指すということをまったく知らなかったのである。

上海開港以前、老城廂から十六鋪までの川沿いのエリアが、上海の中心であった。開港後には、租界が次第に上海の新しい中心となっていった。そして、我々のイメージは、外灘に立ち並ぶ「万国建築」、南京路の「十里洋場」、或いは「百楽門(パラマウント)」、「大世界」、きらびやかな光あふれる夜だけになってしまった。上海はこのときから、二つの世界に分けられた。一つは租界内の西洋スタイルの世界で、ゆっくりと昇り始めていた。もう一つは老城廂内の中国世界で、一歩一歩前に進んではいるものの、時代からどんどん立ち後れてゆく。

次第に、老城廂は昔日の生活の標本となっていった。引き続き老城廂で生活している人々にとって、老城廂は生きているが、より多くの上海人及びよその土地の人々にとっては、次第にぼんやりとした記憶となっていった。

以前、城隍廟は旧市街の核心であり、城隍廟は老城廂の守り神であった。毎年清明節、盂蘭盆、祭祖節には、人々は城隍神を担ぎ出してねり歩き、寄る辺なくさまよう霊を救う、盛大な活動を行う。これは三巡会で、旧市街全体にとってのにぎやかなお祭りである。

記載によれば、巡行する隊列は執事に先導され、二十四頭の大きな馬に乗って道の両側に分列する。その後ろには上海県衙門の三班六房(明、清時代の州県の役所の小役人や使役を指す)の捕吏の頭や捕吏、その後ろには四組の先払いをする銅鑼、十六名のラッパ吹きが続き、百メートルあまりの長い舞龍隊、十六人でかつぐ芝居や物語の場面を再現した役者を乗せた台、鼓手隊、人物や山水などが刺繍された大きな錦、銅鑼をさげた旗羅隊、美しい銅製提灯を掲げた花灯隊、弾き語りをする若い女性を乗せた美しい立派な車馬隊、竹馬隊…最後に城隍神の輿が続き、威風堂々と、またとない光景が広がる。

上海城隍廟 上海城隍廟商店街

普段は、城隍廟は上海でもっとも大衆化された娯楽場所である。作家の楼適夷は『城隍廟礼賛』の中で述べている。「ガラスのウインドウの外から百貨店を眺めていることしかできない大多数の上海人は、城隍廟で欲望を満足させることができる。わずか二角(一角は○・一元)のガラスの指輪であっても、きらきらと輝いていれば、他人がダイヤモンドを身につけているのを見ても、自分はガラスで慰められ、他人に対して不公平を感じる必要もない」

この城隍廟は不変である。親しみやすく、いつまでも肩ひじ張ったりしない。

いまでは、特色ある小さな店が並んでいるが、そこで売られているのはいずれも値段が安く悪くないものである。チャイナドレスを売る店、扇子を売る店、箸を売る店、さらにさまざまな軽食、工芸品、アクセサリー、おもちゃ……狭い道にはいつでも観光客がいっぱいで、その目に「すごく欲しい、欲しい」という欲望がきらめいているのは、昔と同じである。

唯一異なるのは、老城廂地区もっとも特色ある地元の習俗――三巡会が、二十世紀に入ってから、人々の「文明」生活に対する追求に伴い、鳴りをひそめて姿を消してしまったことである。

城隍廟はにぎやかではあるが、いまや単なる地名にすぎず、南京路、淮海路、徐家匯はどの繁華街と変わらない。城隍廟にはすでに神はいなくなってしまった。

城隍廟と同じような廟に文廟がある。現在でも、受験生たちは文廟に参拝して小さな絵馬をかけ、願掛けをするが、受験生以外の人々はここにきて孔子にお参りすることなど、とっくに忘れてしまったのではないだろうか。ここにやってくる人の多くは文廟の書籍市が目的である。市が立たない日であっても、文廟の書籍交易市場がある。

フェリーで浦東、浦西両岸を往復する人々

文廟付近には多くのアニメ関連のおもちゃを売る小さな店が並んでいる

若い人であれば、文廟近くにある日本のアニメ、漫画のショップを目当てにやってくる。文廟の入り口には、アニメ、漫画のショップがすらりと並んだ通りがある。少なくとも十数軒、大きなものではコレクション価値のあるフィギュア、巨大なぬいぐるみ、小さなものではキーホルダー、バッジ、シールなど、一通りそろっている。すらりと並んだそれらの店の中には、韓流スターファンのための韓流グッズショップもあり、スターのブロマイドが数珠つなぎになって、まるで暖簾のようにぶら下がっている。廟の中で孔子の魂はどんなふうに感じているのだろう。

老城廂では、前世紀に属するといえるような生活風景を目にすることもできる。現代化された上海ではもはやほとんど見られない光景である。

たとえば夢花街の低い建物は、二層に仕切って暮らすことができる(?)。二階のおばあさんがベランダで、下の階の人とおしゃべりするのも、ごく気軽にできる。朝には、住民が馬桶とよばれるおまるをならんで洗いに出てくる光景が目につき、やがて、朝ごはんの屋台が通りに並び始める。昼になると、道端に座り込んでおしゃべりする人が出てきて、小さな子供を載せた乳母車が道の真ん中に止められたりしている。屋内からはマージャンをしている音が聞こえる。ドアは大きく開かれており、マージャンを楽しみたい人はいつでも入っていって交代できるとでもいう雰囲気だ。屋外には座って散髪をしている人がいて、家の外の壁にかけた小さな鏡のなかの自分をじっと見つめている。

お昼ごはんは、小さな店のご飯やスープ。シンプルだが、お腹いっぱいになる。真っ赤なバラのエッセンス入りの腐乳で煮た肉、煮卵、小松菜とひき肉のチャーハン…ごくたまに、ご飯のなかに落花生が紛れ込んでいることもあり、香ばしさを楽しめる。

文廟の近くの軽食の店で。 東門路の渡し場で売る5角のフェリートートン

食後には東門路の渡し場からフェリーに乗る。黄浦江にはたくさんの立派な橋が架かり、地下トンネルも通っているけれども、フェリーも残っている。フェリーの料金は、一人五角、自転車は一元三角、バイクは八元、いまでも多くの人が毎日このフェリーで通勤している。五分で黄浦江を渡る。速くもないが、遅くもない。川面を吹き付ける涼しい風に、心が落ち着く。

老城廂をのんびりと一日歩いてみたが、見もかもを見尽くしたかのようでもあり、かといって何かが印象に残っているというわけでもはない。地元の人々はずっとこのシンプルな、粗末とさえいえる生活を続けてゆく。けれもど、彼らの目に不平はない。彼らはカメラのレンズを向けても、それが喜ばしいことではないまでも、逃げることもしない。もちろん、本人たち以外には、そんなことを言う権利などないのだけれども。彼らはそこにいる、ということしか言えない。ぜひ、ご自分の目でご覧になってみていただきたい。

 

人民中国インターネット版 2010年7月7日

 

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