上海博物館で「宝探し」を
高原=文 馮進=写真
上海で博物館めぐりを楽しむなら、まずは上海博物館から始めなければなるまい。
上海博物館の第一印象は、わたしの場合、一枚の絵はがきから得たものだった。それは上海に住む友人が新年に送ってくれた上海博物館の記念絵はがきで、米芾の行書『参政帖』が精巧に印刷されていた。米芾(1051~1107年)は宋代の文人で、画家、書家として多くの優れた作品を残す。わたしは米芾が好きで、それに絵はがきのようなちょっとした記念品を集めるのも好きだ。こんなすてきな絵はがきが記念品として売られている上海博物館に自然と好感を抱くようになったのである。
文化的な違いからなのだろうか、北京の博物館では絵はがきのような小記念品をあまり売っておらず、ミュージアムショップにはたいてい大型の画集や写真集が並んでいるが、その値段の高いことといったら……。上海の博物館は、その点気配りが行き届いていて、どの博物館でも価格が安くて作りも精巧なキーホルダー、しおり、絵はがき、ノートなどを並べて売っている。ついつい、あれもこれもと買い求めて帰ることになる。見学者の常として、素晴らしい展示品を見た後には、きまってこうした記念品を買い求めたいと思うものなのだ。買い求めたあれこれの記念品は、結局、引き出しの奥深くにしまわれてしまうのだが、ある日、ふと取り出して、あの素晴らしい作品を鑑賞できたという美しい記憶にひたることもできるのである。
古さびて、えも言われぬ趣
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中国の青銅器は夏王朝の晩期に始まり、主として夏、商(殷)、周の3王朝の時代、前後1500年余にわたって制作された。世界の他の地域に発祥した古代文明においても青銅器が制作されているが、中国の青銅器は、そうした古代文明が残した数ある出土品のなかでも一頭地を抜くものである。
青銅は銅と錫、鉛との合金だが、錫は銅器の質を硬くするために、鉛は溶かした銅を鋳型に流し込む際、ごく細かいすき間にも流れ込んで精巧な紋様が浮き出るように、それぞれの働きをはたす。鋳型から取り出したばかりの青銅器は、いまわたしたちが目にするような黒緑色ではなく、黄金に近い金色をしている。展示されている青銅器がみな黒緑色なのは、長い長い時間を経て自然にさびつき腐食したためだ。館内に並ぶ青銅器がどれも金色に輝き、あたり一面に目を奪われんばかりの光を放っている場景を想像してみてほしい。その神々しいばかりの場景を想像しながら、それでもわたしは思うのである。転変常なき長い歴史を生きつづけて黒緑色に変色したいまの青銅器のほうがいいと。古さびて、えも言われぬ趣をたたえた青銅器の姿がことのほか好ましく思われてならないのだ。
多くが廃品回収所から
上海博物館に展示されている青銅器はおよそ400点。7000点以上の館蔵品のなかから厳選されたもので、どれも素晴らしい。驚いたのは、その中の多くが、上海博物館の担当者が廃品回収所から拾い出してきたものだということだ。1960、70年代には、大量の銅器が銅くずとされて廃品回収所に持ち込まれた。博物館の専門担当者が銅くずを溶かす炉の前にずっと控えていて、溶かされる寸前の宝を消失から救ったのである。青銅器は約10万点、古銭は270万枚。あの時代を知らない者にはとても理解できまい。
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上海博物館の外観 |
大克鼎は高さ93.1センチ、口径75.6センチ、重さは201.5キログラム。銘文のある西周時代の銅器の中では最も重く、2番目の高さを誇る。鼎の内側の側面に290字が28行にわたって鋳込まれており、その字形は端正で味わいが深い。西周の貴族「克」氏がその祖父の功績を称え、また周王が「克」に官職と土地および奴隷を下賜したことが、この290字で記されている。
大克鼎は出土から収蔵までの過程がはっきり分かっている有名な青銅器である。1890年に陝西省扶風県で出土し、清末の著名な収蔵家、潘祖蔭氏の収蔵に帰した。1937年に日本軍が蘇州に侵攻すると、潘家に踏み込み、何度も家捜しをして多くの貴重な文物を持ち去った。潘氏の孫の嫁、潘達于さんが早くに大克鼎を木箱に入れて地中に埋めておいたために、この貴重な文物は略奪の難を逃れることができたのである。潘達于さんが1951年に、この大克鼎を当時設立されたばかりの上海博物館に寄贈したおかげで、今日わたしたちは上海博物館でその威容に接することができるのである。
古代人の豊かな遊び心
数ある青銅器の陳列品の中で、わたしが好きなのは、ほかに子仲姜盤と牲尊である。
子仲姜盤は春秋時代早期の器物で、水盤として用いられた。盤の底は3頭の虎によって支えられている。ふちには2匹の龍が絡まり、盤内は魚、亀、かえる、水鳥などの水生動物で飾られ、あるいは浮き彫り、あるいは丸彫りで精巧に造形されている。丸彫りの動物たちは360度回転することもできる。水を注ぐと動物たちが水辺で戯れているように見え、その創造性の絶妙さには舌を巻く。古代人の遊び心の何と豊かなことか。
牲尊も同じ春秋時代のもので、牛をかたどった頭、首、胴体、両足はきらびやかな龍蛇紋でびっしりと装飾され、背に付いた鍋状の器の表面には虎や犀などの動物が浮き彫りされていて、その複雑な図案に驚かされる。この牲尊は造形が美しいだけでなく、実用性にも優れている。背に付いた器に酒を盛り、中空になっている牛の腹内に小さな穴から湯を注げば、酒をお燗することができる。
この牲尊と同時に出土した多くの貴重な青銅器のほとんどが海外に流出してしまった。幸いにもこのいちばん素晴らしい一点が残り、今日、上海博物館に陳列されて、わたしたちの鑑賞に供せられているのである。
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仲義父罍 西周中期 |
四羊首瓿 商(殷)代晩期 |
獣面紋壷 商(殷)代中期 |
人民中国インターネット版 2010年8月23日