佘山で知る上海文化のルーツ
高原=文 馮進=写真
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佘山風景区にある自転車レンタル場 |
ある朝早く、わたしたちは佘山に向けて出発した。この日はウィークデーで、私たちが乗ったのは郊外に向かう地下鉄。当然車内は空いているだろうと思っていたが、実際は始終満員状態だった。しかも、乗客はみな流行のおしゃれに身を包んだ若い男女なのだった。
かれこれ1時間、列車が佘山駅に着いた時、ほとんどの乗客が下車した。わたしは驚いて、「なぜこんなに多くの人が佘山に遊びに来るの?」と心の中でつぶやいた。後になって分かったのだが、これらの若者は佘山の近くに新しくできた「歓楽谷(ハッピーバレー)」遊園地に行くのだった。
ハッピーバレーから無料バスに乗り換え、あるいは自転車をレンタルして山林深くに向かって行くと、やっとほんとうの佘山風景区に到着する。果たして、そこは相変わらずの静けさだった。
山高きがゆえに貴からず
佘山風景区で最も有名なのが西佘山である。この山は海抜99メートルしかなく、多くの名山を知る人にとっては小さな丘にすぎない。しかし、山頂にある佘山聖母大聖堂と佘山天文台の名声によって、佘山自体も広く知られている。
佘山聖母大聖堂は、清の同治2年(1863年)に創建された。現存するのは1935年に落成した新聖堂で、東西に長さ56メートル、南北に幅25メートル、平面はラテン十字の形をしている。全体の建築は「四無」と称されるが、それはすなわち、無木、無釘、無鋼、無梁ということであり、非対称の調和の手本とさえ言われている。教会の大聖堂は、多くの建築スタイルが一体となっており、石畳の道はロマネスク様式、柱列はギリシャ風、オリーブ形の時計台はイスラエルのもの、「清水壁」と闘角地磚(床タイル)は中国民家式、瑠璃瓦は中国宮殿式である。大聖堂には正面玄関と通用口の区別がなく、四周にあるドアはすべて正式な出入り口となっていて、採光も非常によい。管理人が紹介してくれたところによると、この大聖堂は完成以降今に至るまで、四周の壁と丸天井の掃除をしたことがないが、少しもほこりがつかないため、人々の賞賛を集めているという。
巡礼の声だけが響く山道
佘山聖母大聖堂に隣接する佘山天文台も、カトリック教会の歴史的痕跡を残す。これは、1899年にフランス・カトリックのイエズス会が建設した、中国初の大型天体望遠鏡を装備した近代天文台で、南京紫金山天文台に次ぐ規模を持ち、中国天文学の進歩に重要な地位を占めてきた。
このほか、西佘山のあちこちにカトリック関連の施設が見られる。山の中腹には中堂があり、西側の開けた場所には聖心亭、聖母亭、聖ヨゼフ亭があって「三聖亭」と呼ばれている。ここにある聖像や聖堂は教会の中のものと特に異なるところはないが、山林の中に隠れ、花々や草むら、背の高い林に包まれているため、格別の静かさと落ち着きを持ち、とても親しみがある。
中堂から山頂に至る間には、ひとしきり「之」の字形の道が続き、「苦路」と呼ばれている。イエス・キリストがゴルゴダの丘に向かう途中で歩んだ道の意味である。「之」の字の曲がり角それぞれに、れんがを積み上げたあずま屋が数軒建てられている。その中には、キリストの受難を描いたレリーフが飾られていて「苦路像」と呼ばれている。巡礼のカトリック教徒が2、3人連れ立って山に登り、一つひとつのあずま屋で止まっては祈り、その後また続けて登って行くのがよく見られる。
林の木々がさえぎっているため、山に登って行く時には祈りの声だけが聞こえ、人の姿は見えてこない。このため、この山林は神秘的で敬{けん}虔な雰囲気に満ちているのである。
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聖母大教会のステンドグラス |
佘山聖母大教会 |
佘山三聖亭の一つ、聖母亭 |
松江から見える上海人
松江は「上海の根」であり、上海都市文化の源は松江にあると言われる。わたしの見たところ、どうやらそれは確かなようだ。異国風情に満ちたハッピーバレー、西洋カトリックの風情に満ちた西佘山、さらにまるで万国建築博覧会のような松江大学街と、みな上海の西洋文明に対する受容と思慕がにじみ出ている。
2006年、佘山風景区からさほど遠くない場所に、イギリス農村スタイルの大型ニュータウンが建設された。教会を中心にして、300余りの一戸建てやタウンハウス式別荘が取り囲み、中には、湖、芝生、風車などもあって田園の風情たっぷりである。社区(コミュニティー)の名前はもっとはっきり「テムズ・タウン(Thames Town)」となっている。このため、英国メディアは「上海郊外に『小英帝国』が出現!」と競って報道したものである。上海人の美意識や好みが、ここからもうかがうことができそうだ。
人民中国インターネット版 2010年9月6日