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馬王堆(上) 生けるがごとく出土 前漢の貴婦人の謎

 

なぜ腐らなかったのか

一号墓の棺は湖南省博物館に運ばれた。北京市と湖南省の考古学者が棺を開き、注意深く、遺体が着けていた二十枚の絹の着物を外すと、2000年以上前の完全に保存された女性の遺体が再びこの世に現れた。  

身長1.54メートル、体重34.3キロ。全身の筋肉には柔軟性があり、つやがあった。皮膚の色は浅い黄色で、手足は自由に曲げることができる。指でその額や腹、腕を押すと、くぼんだ筋肉がまた元に戻ってきた。まつげや皮膚の毛穴もはっきり見てとれる。体内に防腐剤を注射すると、筋肉はたちまち膨らんで、その後次第に拡散し、生体に注射するのとまったく同じだった。  

この女性の遺体を保存するために、医学専門家は、死体を解剖した。頭蓋骨を開けると、脳が約半分に萎縮していて、オカラのような状態になっていた。そして腹を開くと、心臓、肺、気管、肝臓、胆嚢などの内臓は縮小し、薄くなってはいたものの、どれも比較的完全な外形を保っていた。さらに大部分の細胞、細胞膜、細胞核、肺門の迷走神経もはっきり見分けることができた。

1号墓出土の棺。赤地に彩色された絵が描かれている

解剖を通じて墓主は、生前、さまざまな病気を患っていたことがわかった。例えば、左冠状動脈の一部分は完全に詰まっており、ひどい心臓病を患っていた。胆管内には、大豆大の結石があった。左上肺には結核の病巣があり、石灰化していた。  

右の二の腕は、骨折した後癒着し、奇形になっていた。第四腰椎の隙間が狭くなっていた。さらに住血吸虫病や蟯虫、鞭虫などが寄生していた。  

しかし、専門家たちは、胃腸に138粒のマクワウリの種子が残っていたことから、50歳くらいの軑侯夫人の死因は、恐らくマクワウリを食べて、胆嚢痛の急性発作を起こし、さらに心臓病を誘発して死亡したと分析している。  

当時、周恩来総理は、馬王堆の女性の遺体を、少なくとも200年間保存してほしいと要望した。各方面の努力によって、現在、この女性の遺体は、博物館がそのために建てた「地下寝宮」の中に横たわっている。遺体は地面より8メートル深いところに置かれ、温度と湿度は常に一定に保たれている。さらに周総理の願いが叶うように、その他の医学的な措置が施されている。

 しかし遺体が2000年もの間、これほどまで完全に保存されてきた原因はどこにあるのだろうか。この問題については、医学界や考古学界で、異なる角度からさまざまな見解が提起されている。

 まず漢代は、貴族はみな死んだ後、郁金香(チューリップ)を煎じた「香湯」と黒いキビで醸造した「鬯酒」という祭祀専用の「におい酒」で遺体を洗う。これによって穢れをぬぐい、消毒もする。  それから数枚の絹の死装束で死体をしっかりと包む。これで虫の侵入を防止できる。

 一本のアズサの木からつくられた外椁は、隙間がなく、頑丈である。そして、四重の厚い棺は、内側にも外側にも漆が塗られ、ニカワと漆でしっかりと棺の蓋が閉じられ、固定された。こうした密封措置によって、棺内は酸欠状態になり、好気性細菌の生存ができなくなった。

 さらにこの女性の遺体は、地下16メートルの赤土の中に埋葬された。水が染み込みにくいため、温度と湿度が一定に保たれるという良い条件に恵まれた。棺の周囲の木炭層は、防湿・吸水の作用があり、白い粘土層も水がきわめてしみ込みにくく、さらに一層一層突き固めた盛り土によって、墓室はしだいに酸欠状態となり、遺体や有機物はそれ以上腐敗することがなかった。

1号墓から出土した雲紋の漆の盆

 つまり密封すること、深く埋葬すること、温度と湿度を一定に保つこと、酸欠・無菌状態にすること、それが遺体保存の基本条件といえる。

 しかし遺体が浸されていた棺内の80リットルの黒褐色の液体は、弱酸性を呈し、細菌の繁殖を抑え、死体の完全保存に対して特定の役割を果たしたという。

 

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