People's China
現在位置: コラム長江文明を訪ねて

馬王堆(上) 生けるがごとく出土 前漢の貴婦人の謎

 

セミの羽のような絹の着物

馬王堆漢墓からは、大量の華麗な服飾品や絹織物も出土している。少量の麻の布を除き大部分は絹織物である。考古学者たちは、浙江省銭山漾の良渚文化の遺跡から絹織物の残片や絹の紐、絹糸を発見した。これによって5000年前にすでに養蚕が行われ、繭から糸を繰り、絹織物を織っていたことが分かった。漢代には、シルクロードを通って西域へ運ばれた、軽く柔らかな美しい絹織物が、欧州やアジア各国を驚かせ、中国は「シルクの国」と呼ばれた。

 ここに展示された絹織物は、絹、紗、羅(薄絹)、綺(綾絹)・錦などがあり、あらゆる種類がそろっているうえ、技術も抜群で、当時の高度に発達した絹織物のレベルを示している。  例えば二件ある「素紗褝衣」という裏地のない単の衣服は、考古学界で国宝級と認められている。長さ128センチ。袖の長さ190センチ。重さは、一件がわずかに49グラム。もう一件は48グラムしかない。  

1号墓から出土した「素紗褝衣」

1号墓出土の「印花敷彩」の錦の長衣

「素紗褝衣」は柔らかく、薄くて透けて見える。これを着ると、内側の錦の模様が外からかすかに見える、まさに美女が地味な服を着ているように、ますます高貴に見える。数年前から、ある絹織物工場がこの「セミの羽のように薄く、煙のように軽い」単の衣服を複製しようと何度も試みたが、結局、成功しなかった。もともと現在の蚕は大きくなっていて、吐き出される蚕糸も太い。だから複製品をつくっても、いつも重量がオーバーしてしまうのである。  古代においては、錦は金と同じくように価値があり、その故に「錦」という字は「金」と「帛」で構成されている。馬王堆から出土した九種類の錦は、品質がきめ細かく、薄い。下地の色は落ち着いていて、紋様の多くは動物や花卉、幾何学模様であり、明るくあでやかだ。  刺繍は絹や紗、羅、綺に施されることが多い。まず図案を描いておき、適当な色の糸を選ぶ。「平針繍」「鎖繍」「打籽繍」などの刺し方がある。刺繍の図案には「燕子帰来」「金竜翻騰」「彩雲飄飛」など、美しくて吉祥が込められているものが多い。刺繍の線は滑らかで、色彩は鮮やかで、縫い目の密度は細かく、まことに美しい。  

一号墓から出土した三件の完全に保存された「色模様がプリントされた絵が描かれた衣(画衣)」は、とても貴重なものである。研究によると、これを製作する際にはまず、色模様印刷の透かし版で絹織物の上に花や草、枝や蔓を印刷する。  その後、鉱物、植物顔料を用いて赤い花や灰色の葉、蕾などを描く。  

「画衣」は、描かれた線が滑らかで、濃淡がはっきりしているうえ、色彩の濃いもの、淡いもの、厚みのあるもの、薄いものがあり、非常に立体感がある。  高貴で華麗な「画衣」は、王室や貴族が祖先を祭る大祭の時だけ着装する。しかし、「印花」と「敷彩」を融合させた「画衣」は、つくられた数が極めて少なく、製作に時間がかかるので、その技術の伝承が途絶えて久しい。

 馬王堆から出土した金銀のプリントされた紗は、世界で最初に発見された彩色のプリントされた絹織物である。研究によると、これは三つの異なる模様の凸版と、異なる色を用いて、三回に分けて絹織物の上に印刷する。この操作技術は実に複雑で、幅48センチの絹織物を1メートル印刷するのに1300回刷らなければならない。  

同時に、色刷りの技術は厳密さが求められる。もし色刷りが正確でなければ、互いに重なりあったり、間隔が一定ではなくなったりする。しかし、この凸版印刷と透かし版の色模様プリントは、後に織物のプリント技法が確立するための技術的な基盤となったのである。

 

人民中国インターネット版 2010年11月

 

   <   1   2   3   4  

同コラムの最新記事
馬王堆(上) 生けるがごとく出土 前漢の貴婦人の謎
里耶 竹簡と木簡が語る古代社会
大洋洲鎮 江南の青銅王国
呉城 3000年前の城郭都市
凌家灘 五千年の時を経た地下博物館