二胡を通して見えた中国
岸 朱夏
すべては馬の鳴き声から、始まった。そう書くとまるで小説の一節のようだが、思いかえしてみると私と中国の関係はそこから始まったのだと思う。私は今までに、中国に行ったことがない。高校では選択科目として中国語を習っているものの、少ししか喋れない。ただ、中国の音楽はよく知っている。二胡との出会いが私に中国を教えてくれたのだ。
初めて二胡に出会ったのは、5歳の時。母が習い始めた、二胡の発表会でのことだった。ぼんやりと音を聞き流していた私は、軽快な音楽を聞いて驚いた。今まで聞いたことのないその曲は、馬の鳴き声で締め括られた。楽器で動物の鳴き声が弾けるなんて、と一目惚れならぬ一耳惚れをしたかのように、呆然となったのを覚えている。母の先生が弾いた賽馬という曲を弾いてみたいと思ったのが、二胡を始めたきっかけだった。
習い始めてみると、思ったよりも難しく、弓で音を鳴らすことも、ままならなかった程だ。左手の音階では手の形も難しく、右手と同時に動かすのは、さらに大変だった。しかし、大変だからこそ曲がスラスラ弾けた時の喜びは大きかった。また、中国の女性の先生に習っていたのだが、先生は中国のことも沢山教えてくれた。中秋の明月のイベントで食べた月餅や先生が作ってくれた水餃子も、忘れられない楽しい思い出だ。二胡を通して、幼い私にとっては隣の国という認識だった中国が、次第に特別な国になっていった感覚はよく覚えている。
実を言うと、私は二胡のことがずっと大好きだったという訳ではない。二胡を始めて5年くらいした頃、練習が大変で面倒に感じられたのだ。また、二胡をやっている同世代もおらず、一人ではなく誰か近い年の子と弾きたいと思った。まわりの子はピアノなどを習っていて、今どきの曲などを弾いている子が多かった。一方、私が弾いていたのは古い曲が多く、今どきの曲とは違った、下手したら曲名も読めないような曲だった。それでも、ここまで続けてこられたのは二胡を通して出会った人々や、心の底では二胡がやっぱり好きだという思いがあったからだと思う。11年の間、自分なりにゆっくりとだが、続けていて良かったと思う。続ける時間が長くなるにつれて、音色も少しずつ変わってきた。今はこれからどんな自分の音が出せるようになるか楽しみだと思えるようになった。弾き始めるきっかけとなった馬の鳴き声や賽馬も、一応弾けるようになった。受験の時は二胡がリラックスやストレスの発散につながった。これからも続けていくのは楽ではないと思うが、続けていきたい。そして、いつか自分なりの音を表現できるようになりたいと思う。 最近、日本でも中国でも互いの国をあまり良く思わない人が増えていると聞く。日本人同士でも、気が合わない人がいるのは当たり前だ。国が変われば、なおさらそうだと思う。しかし、国自体が嫌いというのは違うのではないだろうか。さらに心配なのは、互いの国を良く思わない人が多いと、また次の世代にもその考えが伝わってしまう恐れがあるということだ。このままでは、ずっと嫌い合ってしまうこともあるかもしれない。私が知っている中国は、二胡という楽器を通して見えたものだ。だが、二胡を通して中国を見たことで以前よりぐっと中国が身近に感じられた。だから、お互いの国があまり好きでない人こそ、歴史や文化、その国の人によく触れて様々な視点でその国を見てほしいと思う。一人の人間に良いところと悪いところが混在しているように、一つの国にも良いところと悪いところはあるだろう。ただ、悪いところが見つかった時に、それを悪いと決めつけるのではなく、認めて受け入れることが友好の第一歩となるのだと思う。
お互いの国を知って好きになる人が増えれば、次の世代にもそういった考えは伝わると思う。そうすれば、ずっと二つの国が仲良く、尊重し、助け合えるようになるのではないだろうか。私は二胡によって、多くのことを学んだ。時間はかかると思うが、今度は私が二胡を通して様々なことを伝えたり、お互いの国を好きになったりできるような手助けをしたいと思う。私自身も二胡を通してだけでなく、中国をもっとよく知るためにも、様々なことを学んでいきたい。
人民中国インターネット版 2015年1月