文=井上俊彦 写真提供=国際交流基金北京日本文化センター
中国映画を北京市民とともに映画館で楽しみ、そこで目にしたものを交えて中国映画の最新情報をお届けするという趣旨でスタートしたこのコラムも5周年を迎えることができました。中国社会がモノを消費する時代からサービスを消費する時代へと変化する中、この5年間で年間興行収入は130億元から440億元に急拡大、郊外や地方都市にもシネコンが続々開業して全国的に娯楽の定番となりました。その間にネット予約が当たり前になるなど、映画を楽しむスタイルも変化しています。そうした周辺事情も含めて中国社会の発展をよく映し出す映画は、日本人の私たちが中国を理解する一つの窓口にもなると思います。6年めもできるだけたくさんの映画をご紹介したいと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。
「FIRST青年映画展」と日本の「PFF」がコラボ
今回は作品ではなく、イベントについてご紹介します。北京国際映画祭、上海国際映画祭などと比べて知名度は高くありませんが、青海省の西寧で行われている「FIRST青年映画祭」はとてもユニークな映画祭です。2006年に「大学生映像節」としてスタートし、学生だけでなく新人監督など若い才能の発表の場として発展、10周年を迎えた今年は7月22日から26日まで、審査員長にウォン・カーワイ(王家衛)監督を迎えて開催されました。
さらに、同映画祭は今年からは日本のぴあフィルムフェスティバルと提携することになりました。そして、国際交流基金北京日本文化センターが、FIRST青年映画祭、ユーレンス現代アートセンターと連携し、ぴあフィルムフェスティバルが香港国際映画祭、ベルリン国際映画祭と共同で企画した「8ミリ・マッドネス!!~自主映画パンク時代~」に中国語字幕を加え、西寧と北京で巡回上映したのです。矢口史靖、園子温ら中国でも名が知られる監督がぴあフィルムフェスティバルに出品した11作品を上映したほか、矢口監督とぴあフィルムフェスティバルの荒木啓子ディレクターが西寧を訪れ観客と交流、授賞式にも出席しました。
7月30、31の両日には、北京の798芸術区にあるユーレンス現代アートセンターでも上映が行われました。西寧には行けなかった北京のファンが多数詰めかけ、チケットも売り切れる盛況ぶりでした。上映の合間には8ミリ映画、自主映画を取り巻く日本と中国の状況についてトークが行われました。出席者は、中央美術学院で教える丁昕先生と「Artforum」ネットの編集者で映画祭の審査などにかかわった楊北辰氏、私です。
実は、第1回のぴあフィルムフェスティバル(当時は「ぴあ展」と言っていました)が行われた1977年当時、私は大学生で、大学の先輩が同展に入選するのを間近に見ていたのです。というわけで、今回は「目撃者」という立場で参加させていただきました。事前に、今は映画プロデューサーになっておられるその先輩、小松原時夫さんから当時の学生映画の詳しい事情を教えていただき、それを観客のみなさんと分かち合いました。
興味深い中日自主映画事情の違い
日本には自主映画、アマチュア映画、家庭用8ミリの長い歴史があり、ぴあフィルムフェスティバルも40年近い歴史を持つのはご存じの通りです。一方、トークで楊氏も紹介しておられたように、中国で現在のような自主映画が制作されるようになったのは改革開放以降のことです。8ミリ用の機材が豊富に出回っていたわけでもありませんしでしたし、タイミング的にもビデオへ移行する時期でしたから、日本のように8ミリ作品が幅広く楽しまれる状況は生まれませんでした。
一方、まだ30代という若い丁先生は、彼は自ら16ミリ、8ミリのフィルム実験映画を制作しており、教え子には卒業制作で16ミリ映画を制作した学生もいるそうです。機材を調達するのも大変だと思ったのですが、さすがはネット時代、今ではフィルムなどもネットを通じて購入することができるそうです。前日に彼の自宅を訪問し作品も拝見させていただきましたが、併設されたスタジオには所狭しと撮影機材や映写機が置かれていました。新品が売られていないだけに、どれも修理しながら使っているそうです。
トークの中で、私が先輩の作品をフィルムでの上映で見た時とビデオ化したものを見た印象が大きく違うと話したところ、丁先生はデジタルでの上映とフィルム上映の原理の違いから詳しく説明してくれ、とても納得できました。彼はしっかりした技術的裏付けを持っており、自主映画、実験映画をキーワードにデジタル時代のフィルム芸術について語ってくれましたが、そこから当時の日本と現在の中国での芸術、趣味の位置付けの違いなども浮き上がり、私にとってもとても勉強になりました。
トークに先立っては、数本の作品を観客のみなさんと一緒に鑑賞しました。ぴあフィルムフェスティバル入選作は多様ですが、今回は「マッドネス」ということで、かなり「パンク」な作品が並びました。北京で一般上映されている映画に比べるとかなり味わいが違うものだけに、正直「みんな、途中退席してしまうのでは」とドキドキしましたが、皆さんとても熱心に見ていました。トークでも1977年当時の自主映画製作事情について質問があるなど、関心を持ってくれたようでした。当時の大学生がどんなことに関心を持ち、どんなテーマで作られた作品が多かったのかというところをもう少し詳しく説明できればよかったと、少し反省しています。
なお、9月10日から東京・京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターで開催される「第38回ぴあフィルムフェスティバル」内でも「8ミリ・マッドネス!!~自主映画パンク時代~」のプログラムが予定されている。
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プロフィール |
1956年生まれ。法政大学社会学部卒業。テレビ情報誌勤務を経てフリーライターに。
1990年代前半から中国語圏の映画やサブカルチャーへの関心を強め、2009年より中国在住。
現在は人民中国雑誌社の日本人専門家。 |
人民中国インターネット版 2016年8月8日
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