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巨木も若芽から生じる

 

挫折を乗り越えて

 

北京にある証券会社で株の売買をする人々
1997年から1999年まで、一部の企業が、上場して資金を集めるため虚偽の企業情報を発表し、株式市場の秩序を撹乱した。「あのとき、株の立会場は、緑色のストップ安ばかりでした。苦労して儲けた12万元が、4日間で30000元に暴落し、泣きたい気持ちでした」と高さんはふり返る。

 

「弱気の相場」を教訓として、中国は1999年7月、『証券法』を公布し、上場企業の認証と株の管理を法制化する軌道に乗せた。その後、中国の株式市場は下げが止まり、上向きとなった。

 

相場の好転と穏健な投資で、高さんの毎月の株の収益は4、5万元に達した。個人投資家のサロンで「どのようにして株で儲けるのですか」と聞かれると、高さんは「穏やかな気持ちで、相場の動きに従って動く。損をしないことが勝つことです」と答える。それはベテラン個人投資家の共通の認識でもある。

 

10数年の株式市場の洗礼を受け、かつてのような衝動的な投機やトレンドへの盲従、リスクを無視した売買などの不正常な現象は、ある程度減少し、中国の個人投資家は次第に理性的になってきている。2002年、35歳になった高さんは病院を辞め、証券マンに転身した。

 

試練から成熟へ

 

高さんの新しい仕事は、会社や個人のため、株の売買を代行することである。就任したばかりのころ、彼は、中国の株式市場の新たな激動期に直面した。

 

当時、高さんはクライアントの数百万元の資金を管理しながら、毎日、「株の海」で浮き沈みしていた。「株価が激しく動くときは、トイレへ行っている間に10数万元の損をするかもしれず、昼食から帰ってくると数10万元儲けているかもしれない」という状態だった。

 

2006年、上海証券取引所の株価指数は年初の1163ポイントから年末の2675ポイントまで上がり、個人投資家は8000万人近くに増えた。

 

2007年8月、中国大陸の人々が香港の株式市場へ投資できるようになり、国際証券市場とのリンクが一応できあがった。同時に、47社の中国企業が米国のナスダックに上場を果たした。2007年10月まで、中国の株式市場は6兆7300億ドルの市価総額となり、世界第2位となった。

 

中国の株式市場に対して、温家宝総理はこう述べている。「中国は10数年で、資本主義国が100年以上かけて歩んできた道を歩まなければならない。総じて見れば、中国はまだ経験が足りない。われわれはやっと歩み始めたばかりなのだ」

 

メモ

1984年7月20日、新中国の最初の株式会社である北京天橋百貨株式会社が設立された。

1986年9月26日、新中国の最初の証券取引カウンターである中国工商銀行上海信托投資会社静安支社が設立された。

1990年12月1日、深ロレ証券取引所が開業。

1990年12月19日、上海証券取引所が開業。
1992年10月12日、中国証券監督管理委員会が成立。
1993年4月22日、『株券の発行と取引の管理に関する暫定条例』が正式に公布され、施行された。
1999年7月1日、『証券法』が正式に施行された。
2004年6月1日、『証券投資基金法』が施行された。


 

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