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「流刑地」から「美玉」へ 海南省20年の変化

 

 人々を惹きつける亜熱帯の風景
 南中国海に浮かび、雷州半島と向かいあう海南島は、1988年まで広東省の一部だった。かつては高級官僚の流刑地であったこの島は、「天地の果て」と称され、経済発展が遅れた。

 

しかし1988年、「改革・開放」の勢いにのり、政府は中国31番目の省――海南省の設置を宣言。海南島は、深セン、珠海、汕頭、廈門に続く4番目の経済特区、中国最大の経済特区になった。これにより、未曾有の大発展期を迎える。 それから20年。海南島はどのように変わったのだろうか。

 

飛躍的な発展

 

海南省の省都、海口市。1980年代、交通管理員はわずか14人、彼らが管理する道路もたった5本、信号もひとつしかなかった。同市交通パトロール警察支隊で法制宣伝科の科長を務める周汝本さんは、その14人のうちのひとりだった。

 

2007年4月に開催された「ボアオ・アジア・フォーラム」の年会

 「当時の道路はとても狭く、自動車も少なかった。路面はでこぼこしていたし、牛の糞もところどころに落ちていた。水はけが悪いので雨が降ると一面ぬかるみになり、街ゆく人々はみんな、ほとんど裸足で歩いていた。夜の街灯は電信柱にかけられた15ワットの電球ひとつだった」 その後、地元政府の指揮のもと、市民たちは近くの部隊といっしょに道路の整備をおこなった。今では、道路が四方八方に通じ、道幅もかつての3、4倍になった。 高層ビルのあいだを走る道路の両脇には、明るく、エネルギー消費の少ない新型の街灯が立ち並ぶ。ヤシの木や緑地も多く、色とりどりの花が咲き乱れ、南国のパワーに満ち溢れている。2003年には、80億元を投資した総距離600キロ以上の島を一周する環状高速道路も完成し、交通は格段に便利になった。

 

道路事情の改善により、海南省の自動車の数は激増した。海口市だけでも、07年1月から11月の11カ月間に2万1000台増えた。そのうち自家用車は90%以上を占める。周さんは今、自動車の急激な増加が市内の交通渋滞をまねいていることを心配している。目下の課題は、公共交通システムの改善だ。

 

海南省の20年来の経済・社会発展の報告を見てみると、87年には55億8700万元だった国民総生産(GNP)が、07年には1229億6000万元と、22倍に増えた。工業総生産額は52倍になった。

 

数字だけでも急速な成長が見てとれるが、実際の生活も飛躍的な変化をとげた。貧しい島だった海南省は、その別称「瓊」(美しい玉という意味)のとおり、南中国海にうかぶ緑美しい玉となったのだ。

 

荒波を乗り越えて

 

美しく快適な生活環境により、あこがれの都市になった海口市

 飛躍的な発展をとげたといっても、すべてが順風満帆に進んだわけではない。

 

1988年に海南省が設置されたばかりのころ、中国各地からは多くの企業や個人が、優遇政策のある経済特区での発展を求めて押しよせた。全国各地から10万人が海を渡り、4800以上の企業が不動産に投資。海南省は総額400億元の投資を受け入れた。そして92年には、経済成長率40.2%という神話を生み出した。

 

しかし、長いあいだ開発から取り残されていたこと、インフラ設備が立ち遅れていること、工業の基礎が脆弱であること、基幹産業の支えがないこと、山間部には貧困人口が多数いることなどの要因により、後になってから持続的に迅速に発展する力が失われ、4つの経済特区のなかで発展の効率がもっとも悪い地区になってしまった。

 

93年には不動産バブルが崩壊。建設中止になった建物は1600平方メートル以上、放置された土地は1万8834ヘクタールにおよんだ。海南省の人口は中国の総人口のわずか0.6%であるのに、全国の10%をも占める商品物件が残された。

 

95年にはGDPがどん底に落ち込み、3年連続で中国各地の経済発展ランキングワーストワンだった。起業や一攫千金を夢見て海南省にやってきた人々は失望し、次々と去っていった。当時、「来る者は勇敢、残る者は頑強、去る者は賢明」という言葉がはやった。

 

98年から2003年、海南省は経済の調整・回復期に入った。地元政府は自然環境の美しさや物産の豊富さを利用して、観光業と熱帯農業の開発に取り組み、汚染が少なく、エネルギー消費の少ないハイテク工業を引き入れ、経済のどん底状態からの脱却をはかった。

 

明るい未来へ向う「海南号」

 

 中国市場で人気の「海南マツダ」の自動車
 20年の荒波を経験した「海南号」は現在、「グリーンエコ経済区」という自分にあった航路にそって前進している。

 

島の南端に広がる「青い海、銀色の砂」と称される亜竜湾と島内いたるところで見られる亜熱帯の自然風景により、海南省は人気の観光地、リゾート地になった。2007年上半期、訪れた観光客は1000万人以上におよび、観光収入は百億元を超えた。

 

01年2月には、省東部の博鰲市で「ボアオ・アジア・フォーラム」が成立。それ以来毎年、アジアをはじめとする世界各国の政財界のリーダーや著名な学者が、アジア経済の健全な発展や各国の調和・協力などについて話し合う会議が開催されている。

 

熱帯農作物を栽培するようになってから、農村住民の収入もアップし、07年の平均年収は前年比16.4%増の3791元だった。

 

良好な生態環境や投資の優遇政策により、国外の企業も数多く進出している。日本のマツダも92年、地元の自動車メーカーとの合弁会社「海南馬自達汽車有限公司」を設立した。同社は、中国南方の重要な自動車生産基地となっている。

 

10年前に海口市に移り住んだ新華社のある記者は、海南省の苦境を目のあたりにした。当時は、デパートのワンフロアに客が5、6人しかいないという寂しい場景も目にしたという。「ここは本当に経済特区なのか? と疑問に思いました。でも今は、どこよりも海南島が好きです。今日は昨日よりも、明日は今日よりも良くなると信じられる。ここに残ったのは賢明な選択でした。幸運です」 (沈暁寧=文

 

 

 

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