中国社会科学院研究員 高洪
「銭」は諸悪の根源ではない
|
1992年、深センを訪れた鄧小平氏(左から2人目)は「時間はすなわち金銭だ」と述べた(新華社) | 中国と日本の人々の価値感や両国関係を、「銭」の角度から見ることは、一つの新しい視角であろう。なぜなら一般に、高尚なことを追求するインテリには、一つの不文律がある。それは「謙謙たる(礼儀正しい)君子は銭を言わず」というものである。この考えはおそらく、儒家の「義を重んじ、利を軽んずる」思想から来ている。孔子は「君子は義に喩り、小人は利に喩る」と言っている。
実は、我々は「銭」のことをひた隠しにする必要はまったくない。ラジカルの詩人たちが今日の「利を重んじて義を軽んずる」社会の現実を「財物と通俗が不倫する時代」と怒りを込めて排斥しているにもかかわらず、金銭を「諸悪の根源」と見なすのは、つまるところ一種の誤解である。『聖書』は「貪婪は諸悪の根源」と言っているし、儒家が反対しているのは「利益を追求する人」ではなく、「利を見て義を忘れる人」なのである。
「君子は財を愛す、これを取るに道あり」と世に言われるが、この言葉自体に二つの意味が込められている。第一は「君子は財を愛す」こと、第二は「君子が財を求めるには道がある」ということだ。近代以後、人々は「銭」がますますはっきりと分かってきた。マルクスは『資本論』の中で簡潔、明瞭に、「銭」をこう概念規定している。「貨幣はただ一般の等価物に当たる特殊な商品であるだけで、中性的な道具に過ぎない」 政治がもっとも上にあった時代は、中国人の多くは「銭」のことは気にかけなかった。理想的な意味から言えば、晋の王衍(256~311年)が「阿堵物」と呼んで蔑んだ「銭」はただ、人が商品の価格をはかるためにつくった尺度に過ぎない。
拝金主義をひどく憎んだレーニンは、共産主義が実現した後の都市の姿について憧れを込めてこう言った。「三大差別が消滅した時には、我々は都市の真ん中に、黄金で公衆便所を建てよう」(三大差別とは、農業と工業、都市と農村、頭脳労働と肉体労働との差異を指す)
しかし、「改革・開放」前の「銭」の現実的な意味から言えば、第一に、都市の住民にとっては、全国の労働賃金がきちんと画一化された、差のない単調な時代であり、「銭」の重要性はすでに大いに値引きされていた。第二に、物資が欠乏した結果、手形が横行し、「銭」だけでは商品交換を完成させることができず、「銭」の神通力は大きく毀損されていた。
欲望がなくなれば、聖人に近づく。だからその当時の中国人はそれが故に、一部の日本の理想主義者たちから賞賛された。1960、70年代の中国を研究するある日本の学者が「人民帽をかぶり、毛沢東語録の歌を歌う」中国人民が大好きだったことをはっきり覚えている。なぜなら彼らは「銭」を愛することがあまりなかったからだった。
役割果たした日本のODA
|
2007年8月8日、中国の博奇環保科技公司が中国企業としては初めて東証に上場し、「鏡開き」をして祝った | しかし、時代は発展している。鄧小平氏が「祖国の南海のほとりに一つの丸を書いて」深圳経済特区を定めてから、「改革・開放」の潮が湧き上がり、荒廃から再興しようとする中国は、離陸のために資金を調達し始めた。「銭」、とりわけ「外国の銭」をどう調達するかが、中国人の前に出現したもっとも実際的な難問となった。
1978年、3年の苦しい努力の末、中日間で『中日平和友好条約』が調印され、これと同時に日本の対中ODAが、まるで「雪中に炭を送る」のように、中国経済の中に注入された。「銭」もサイズの大きい「資金」として、中日関係が発展する中で、経済の基礎を固め、政治関係を安定させる重要な作用を果たした。
月日の経つのは速い。21世紀になると、中国は、「改革・開放」30年の蓄積を経て、「貧困から脱却」し始め、いくらか「銭」を持つようになった。一人当たりのGDP(国内総生産)は、日本にはるかに及ばないし、多くの遅れた地域が存在してはいるが、北京は物産が豊かになり、上海は繁栄し、広州は華やかになった。そのうえ人民元はますます強くなり、人々の実際の購買力はすごい。こうしたことで、一部の日本人が、少し居心地が悪く感じているのは確かだろう。
結局、日本はバブル経済の膨張から景気低迷の「失われた10年」を経て、「銭」という人間がつくったのに人を弄ぶこの代物は、好意の眼差しを日本から中国に移したようだ。そこから「中国はODAを卒業すべきだ」という声が現実のものに変わった。
正直に言えば、我々は日本のODA援助に大変、感謝している。今日の中国経済にとっては、日本のODAは「錦上、花を添える」程度の効果であったとしても、引き続き日本からの経済協力を得たいと思う。しかし、ジャン・ジャック・ルソーに「手中にある銭は、自由と尊厳の道具になるが、追い求める銭は我々を奴隷に落す道具となる」という名言がある。経済協力の大前提は、平等、互恵、「ウイン・ウイン」である。中国と日本は「共同の戦略的利益の基礎の上での互恵協力関係」を明確に認識し、それを今後の国家関係の発展の基本的な原則とすることにした。このことは両国関係の成熟した発展を示すものである。
共通通貨「アジア」への道
|
筆者 | 金融分野での協力を例にとれば、近年、中日韓三国が達成した合意と、アジア開発銀行が提起した「アジア通貨単位」の構想が図らずも一致した。アジア経済を主導する中日韓三国は、地域貨幣単位の実現可能性についての検討を始め、将来、貨幣の統一などの金融協力を実行するうえで、その第一歩を踏み出した。
アジア金融協力は動き始めたばかりで、見習うべき手本もない。だから中日はただ「足で川底の石を探って川を渡る」ことしかできない。コロンビア大学経済学部の教授で「ユーロの父」と呼ばれるロバート・マンデル氏の考えによれば、共通通貨「アジア」が真の国際通貨になり、地球のどの場所でも兌換し、流通するようになるには、必ず中国と日本の経済システムの融合度を深めなければならないという。
最近、ドルは引き続き下落し、国際原油価格や食糧、非鉄金属の先物価格は高騰に次ぐ高騰を続けているが、米国はドルの国際通貨体系の中での地位を利用し、全世界に米国のツケを回している。もし欧州のように、アジアが中日を中心に、ロシアやインドも加わって4カ国中央銀行が共同でアジア中央銀行を結成し、共通通貨「アジア」を発行し、国際通貨体系の第三極となって、ドルによる略奪に共同で対処すれば、世界の金融体系は新たな局面を迎えるだろう。
国際経済の発展から見れば、地域経済の一体化は、今後の趨勢である。地縁的政治や資源の相互補完性から、またアジア各国の長期的利益から見て、アジア中央銀行の設立や共通通貨「アジア」の発行も、積極的に考慮すべきだといえる。
当然のことながら、「銭」は万能ではない。金銭で真心を買うことはできない。中日の二国間関係についてもそうだ。近代の不幸な歴史や、歴史認識の問題で曖昧な、ひどい場合は誤った立場に立っている少数の人々が日本社会の中に依然として存在していることから、中国と日本の二つの大民族の間には依然、わだかまりがあり、両国関係のさらなる発展に深刻な影響を与えている。
最近、私は何回も「中日共同歴史研究会」の数人の中国側委員と「歴史を正視し、未来に目を向ける」問題について語りあったが、誰もが「友好は易しく、理解は難しい」(竹内実氏の言葉)こと、さらに共通認識に達するのはもっと難しいことを痛感した。歴史の事実を正視することを前提にせず、ただ経済的な意義に基づくだけの協力によって、歴史のこうした一ページをそそくさとめくっしまうことができるというのは、ただの一方的な願望に過ぎないことは明らかだ。
そのほか、東アジアの隣接する大国として、中国と日本は必然的に戦略的利益の対峙と対立に直面する。長年の累々たる歴史上の問題と現実的な利益との紛争とが相まって、これらを一挙に解決することをいっそう困難にしている。こうした中、冷戦思考やゼロサムゲームの観念を捨て、誠実な政治的信頼を構築し、大局に立って遠望することの重要性は明らかだ。
最後に、「銭」の話題に戻れば、私は、楽観的に予測している。おそらくそう遠くない将来、中国と日本は、歴史を正視し、政治的に互いに信頼するという前提の下で、金融協力が実現するだろう。人民元と日本円のほかに、さらに東アジアの地域経済を統轄する新たな「商品の等価物」である共通通貨「アジア」を出現させるだろう。当然、共通通貨「アジア」はこれまでのような「銭」としての機能を脱することはできない。しかし戦略的互恵関係の原則の枠組みの下で暮らしている中日両国民にとっては、未来の通貨「アジア」は両国の人々にとって福音となるだろう。(0811)
人民中国インターネット版 2008年12月1日
|