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東北の巨人が立ち上がる日──注目の「大瀋陽経済圏」を行く

 

井上俊彦 張春侠=文 趙渓=写真

中国経済のばく進は続いているが、これまでマイペースで歩いていた「東北の巨人」もにわかに目覚め、軽快に走り始めた。かつて「東北現象」と言えば、時代に取り残された国有企業の代名詞だった。昨年4月、中国全土のバランスの取れた経済発展を目指す中国国家発展・改革委員会が、従来の瀋陽経済区を国家新型工業化総合改革試験区に格上げした。これは瀋陽など遼寧省内8都市を一体化し、国家事業として大規模開発に取り組む方針を鮮明にしたものだ。1930年代から生き延びてきた老工業地帯は近代的な巨大工業基地に生まれ変わることができるのだろうか。瀋陽はじめ省内5都市の現状を報告し、「大瀋陽経済圏」の将来を展望してみたい。

8番目の巨大な経済区誕生で東北・遼寧は大きく変わる

遼寧省はもともと重工業が発達した地域だった。しかし、国家の屋台骨を背負ってきた鉄鋼や機械などの伝統的な工業は、中国全体の産業構造の変化のなかで大幅に地位を低下させた。時代への対応に遅れた国有企業の衰退ぶりに、「東北現象」という言葉まで生まれたものだ。

そうしたなかで構想されたのが瀋陽経済区だ。ただ、産業構造を転換し新たな発展を目指すこの構想の具体化には時間がかかり、李克強国務院副総理が遼寧省党委書記だった時代に大きく前進した。そして今回の格上げで、このエリアは上海浦東新区、天津濱海新区などに続く8番目の国家総合一体化改革試験区となった。

今後は、瀋陽、撫順、本渓、鉄嶺、遼陽、鞍山、営口、阜新という8都市が交通網整備で一体化し、各都市が個性を生かした産業開発を行い、連携して発展を目指す計画だ。また、8都市間で戸籍を統合し転居も簡単になる。これは、このエリアの農民が都市住民になることも意味する。こうして、面積7万5千平方キロ、人口2千358万人を擁する「大瀋陽」とも言うべき巨大経済圏が出現する。

瀋陽 伝統工業から新型工業へ 中核都市としての機能を充実

瀋陽機床集団のNC工作機械で加工されたiPhoneの部品について説明する関錫友会長
北京駅から瀋陽まで700数十キロ。東京から岡山に相当する距離だが、高速鉄道の和諧号に乗れば約4時間で到着する。降り立った瀋陽は、光線も弱く空気は刺すように冷たい。街を歩けば歴史ある建築物が残る一方、あちこちに建設用クレーンが見え、いくつもの巨大な建設工事が進んでいることが分かる。

さまざまな過去の経験を踏まえ、瀋陽経済区では環境保護に配慮しながらの発展を期していることがうかがえた。自然や歴史、文化を貴重な資源ととらえ、この期間に観光に力を入れることも計画に盛り込まれている。単なる工業振興策ではない、総合的な計画なのだ。

続いて、瀋陽市の鉄西産業新城にある企業を参観して回ったが、瀋陽がいわゆる老(旧)工業基地から新型工業化が進む総合エリアへ脱皮しつつあるのを見て取ることができた。そのなかで特に興味を引かれたのが、瀋陽機床(工作機械)集団だ。同社は中国最大、世界2位の総合工作機械メーカーで、従業員は1万8千人、年間売上は160億元に達する。2004年にはドイツのメーカーを買収するなど、積極的な経営で品質、技術力の向上にも力を注いでいる。

瀋陽機床集団のNC工作機械組み立て工場

実は1990年代前半、同社も東北地方の多くの国有企業と同様に厳しい経営状態にあった。93年から94年にかけては、半年間も給与未払いが続いたことさえあったと、取締役会長・関錫友氏は述懐する。そうしたなか、関会長は94年に技術者として日本の工作機械メーカーへ研修に赴き、帰国後、次々に優れた新製品を市場に送り出し始めた。97年には33歳の若さで取締役会長に就任。その後十数年の間にこれだけの企業に育て上げることができたのはサービスの充実に力を入れたためだ。同社は、24時間体制でユーザーのニーズに素早く対応している。取材中目にした工場スタッフのきびきびした動きからも、ユーザー重視の姿勢が徹底されているのが分かった。同社の成功は、伝統的な企業も体質改善によって十分に再生できることを証明しているようで、関会長の「国有企業だからダメだなんて、私は信じません」という言葉が強く印象に残った。

本渓 生物医薬生産基地を建設 東北の「健康都市」を目指す

瀋陽から東へ高速で約60キロ。本渓は瀋陽経済区のなかにあって、自らの特色を強く打ち出そうとしている都市の一つだ。本渓経済技術開発区の林艾民管理委員会主任は、本渓の鉄鋼業など従来型企業の地盤沈下に焦りがあったことを認め、現在同市が老工業都市からの脱皮をめざし、ユニークな取り組みをスタートさせていることを紹介してくれた。それが生物医薬科技新城だ。

もともと自然に恵まれた本渓では、薬用人参を始めとした漢方薬の原料が生産されていた。こうした文化を生かし、国家レベルの医薬品産業区を作り上げるというのが、この計画だ。すでにここには、いくつもの企業が工場や社屋を建設中で、産学連携の体制作りも進んでいる。遼寧科技大学、瀋陽薬科大学、中国医科大学、遼寧中医薬大学の四大学が人材を供給する。

さらに、3年後に瀋陽—丹東間の高速鉄道が開通すれば、瀋陽―本渓は15分で結ばれる。そうなれば、本渓水洞や世界遺産リストにも登録されている五女山山城の高句麗王城など自然、観光資源にも恵まれた同市は、瀋陽地区の高級ベッドタウン的機能も果たすだろう。医薬品生産と豊かな自然を背景に、同市が目標とするのは「健康都市」だという。

本渓生物医薬科技産業基地にある工場の薬品包装ライン

遼陽にある佟二堡卸売大市場

遼陽 古都の特色を生かした開発と 北方最大の皮革・毛皮都市

本渓から2008年に開通した高速を南西に向かえば、古都遼陽までは一時間もかからずに到着する。ここでは、河東新城などを参観した。工業エリア、ビジネスエリア、都市公共機能エリアが一体となったニュータウンがまもなく姿を現し、街が大きく変化しようとしている。

一方、市の中心部から北に25キロ行くと、再開発とは無縁そうに見える小さな町に到着する。実は、この町こそ東北の一大皮革製品集散地・佟二堡なのだ。

「遼陽を知らない人はいても、佟二堡を知らない人はいないでしょう」

浙江聖尼皮革時装有限公司の徐祥西支配人は自信満々に話す。52歳の彼は浙江省海寧の出身。1988年から皮革ビジネスに身を投じ、93年に数人の仲間と皮革会社を設立、今では「中国十大真皮王」の一つに数えられるまでになった。

そして、彼は東北地区の潜在力に注目して2006年から佟二堡に進出、2010年9月に巨大な佟二堡海寧皮革城が完成すると、ここに4店舗を構えた。

「ビルには約840店舗が入居していますが、そのうち海寧が140店を占めており、扱っているのはほとんどが海寧の品物です。今は品物を空輸していますが、ここに工場が完成すればぐんと便利になるはずです」

徐支配人は現在2500平方メートルの工場を建設中で、この地での生産を準備していると胸を張った。

佟二堡の皮革・毛皮産業は1980年代末に勃興し、92年に遼陽市から経済特区の指定を受けると急成長した。現在では生産から販売まで千を数える企業が立地し、中国でも他に例を見ない皮革・毛皮街を形成している。最盛期には仕入れや観光ツアーの車が連日3千台も訪れ、一日の売り上げは5000万元にもなるという。2009年の取引額は120億元を突破し、佟二堡は中国北方最大の皮革・毛皮生産販売基地になっている。また、製品はロシアや日本など30以上の国・地区へ輸出されている。

今後、瀋陽経済区の経済発展に伴い人々の暮らしもより豊かになるだろう。そのときに、同市の皮革・毛皮産業という際立った個性がさらに輝きを放つはずだ。

鞍山 ユニークな企業と人材育成 鉄鋼都市の新たなチャレンジ

遼陽から20キロほど南下すればもう鞍山だ。鞍山は中国東北地区最大の鉄鋼都市で、瀋陽経済区第2の都市だ。同市は現在、鉄鋼産業の新たな発展を目指している。

その中心となる予定の達道湾経済技術開発区は鋼鉄深加工(付加価値の高い加工)製造基地と位置づけられている。市の北西に位置し、高速道路インターチェンジに隣接する好立地で、すでにいくつもの区画で工場の建設が始まっていた。しかし案内してくれた開発区関係者は、実は以前、ここが一面の汚水だったとも明かした。ここも、かつて重工業による公害に悩まされた経験を持っており、それを克服しての開発が行われているというわけだ。

鞍山では、鉄鋼関連以外でもユニークな企業を参観した。例えば聖維科技集団は、自動回転ドアや地下鉄ホームドアなどを生産する広東省のメーカーだ。東北地区の発展に注目し、こうした設備の今後の需要を見込んで進出してきたのだ。また、1998年設立の遼寧科大聚龍集団は、紙幣の計算や識別、結束を自動的に行う金融機械を開発し、すでに国内で大きなシェアを持つまでになっているという。同社は地元大学による産学連携の成功例で、機能を詳しく説明してくれた韵歆規画発展部工会(労働組合)主席補佐のように、若いスタッフの姿が目立つ。

ところで、鞍山市は「人」を特に重視し、2006年から09年にかけてバラック住宅区の改造を実施し、8万人以上が新しい住宅に入居したという。教育にも力を入れており、画期的な高校の無料義務教育化を打ち出したほか、前述の達道湾経済技術開発区に、12億元を投資し、就業を支援する国内最大の訓練基地を建設中だ。完成すれば11万人が学べるという、とてつもない規模の施設だ。

鞍山では新たな産業が確実に育ちつつあり、市はそれを住みよい都市づくりという面からもサポートしていこうとしているのだ。

営口 中国第4の港湾に成長 小都市の特色生かす開発

営口は鞍山からは80数キロという距離で、高速道路を走れば1時間ほどで到着する。車窓からは、まもなく完成するハルビンと大連を結ぶ高速鉄道が並行しているのが見える。

営口は瀋陽経済区8都市で唯一の港湾都市であり、瀋陽やハルビン、内蒙古東部からもっとも近い有力海港だ

氷点下の海風が吹きつける営口港では、営口港務集団有限公司党委員会工作部の曹立斌部長が自信に満ちた表情で営口港の発展を語ってくれた。それもそのはず、農民だった彼がやって来た1975年には小さな地方港湾に過ぎなかった同港の貨物取扱量は、2002年には3200万トンに、07年には1億トンに達した。2010年は、11月時点ですでに2億トンを軽く突破、今では国内第4の港にまで成長したのだ。そして、さらに驚くべきはその80%が国内向けということだ。営口港の成長は、すなわち内需が支えているのだ。

もちろん、営口が国内だけを見ているわけではない。営口駅前開発区は、2010年には前年比4倍増の約7000万ドルの外資導入に成功、外資系のスーパーマーケットが市の中心部に開店、米国の有名清涼飲料水やビールの工場が建設された。

駅前開発区の王正剛副区長は、次のように語った。

「営口は遼寧省でも瀋陽、大連、鞍山に次ぐ4番目の都市ですが、前の3都市とは大きな差があります。ですから、規模で競争しても意味がなく、小都市の特色を生かした発展をしていく必要があると思います。幸いにして、営口には美しい港や恵まれた自然があり、住みよい都市として知られています。この特色を生かすため、教育にも力を入れていきたいと思います」

営口の特色は、企業の発展にも生かされている。銀河鎂鋁(マグネシウム・アルミニウム)合金有限公司の呉衛華社長は、世界でももっとも薄いマグネシウム合金板を年間2千トン生産する予定だという建設中のラインを前に、新たな技術の可能性について熱っぽく語った。同社の新技術によって、さまざまな部品でアルミに比べても約3分の2という軽量化が実現し、産業や交通のエネルギー節減に大いに寄与するという。

世界有数のマグネシウム鉱山を有する営口に立地した同社は、2003年から瀋陽にある東北大学の研究者と協力して技術開発を進めてきた。2006年には基本技術を確立したが、投資額は2000万元に達した。さらに、この工場建設には1億2000万元が必要だった。それを資金面でサポートしたのが営口市と駅前開発区だ。同市は、こうしたまだ実績のない民営企業を育てる努力を、地道に続けてきていたのだ。

大きな発展の時期に日本はどう関与できるか

5都市を回って、数年の間にこのエリアは驚くような変化を遂げるはずだと確信を持った。急速な経済区開発を支える労働力や行政の支援体制に加え、鉱物資源や観光資源も豊富にあり、かねてから教育程度の高いエリアである点も推進力につながるだろう。そして、経済発展が内需主導型である点も心強い。

問題点を挙げるとすれば、人口流動に伴う社会問題だろうか。ある市の関係者も認めていたが、今後は農村部の労働力が集中する都市とそうでない都市が出現する可能性も否定できず、予想以上に人口が集中すれば、それが社会問題につながるかもしれない。この点では、鞍山や営口の取り組みに問題解決のヒントがありそうに見える。

ほかに、日本がこの地域に十分注目しているのかいささか気になる。取材した範囲では香港・台湾地区に加え、すでに珠江デルタや長江デルタ地区で成功を収めている中国南方の企業や資本が、東北の市場に注目し進出するケースが目についた。外国資本では韓国企業の進出がめざましく、ロシアやドイツを始めとする欧米の投資も着々と進んでいるようだ。かつてから日本とはつながりの深いエリアだが、日本の企業や研究機関がこの発展にどの程度関与していけるか、今後に注目したい。

帰途に着く列車では、出張帰りだという金融ビジネスマンの楊喆氏と乗り合わせた。彼は、

「今、家を買うなら営口ですよ。住宅価格が高騰した北京に比べ格安で、北京ならバスルーム分のお金で一軒丸ごと買える計算です。生活しやすく今後の成長も見込めるし、注目していいと思います」

と教えてくれた。どうやら個人投資家もこのエリアの発展に関心を寄せ始めているようだ。

 

人民中国インターネット版 2011年3月2日

 

 

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