農民から科学技術専門家へ
「このハウスは、私が2006年に18万5000元をかけて新しく建てた5代目のハウスです。25年間は問題なく機能しますよ。保温も良く、外が摂氏零下25度になってもハウス内では作物が平常どおり生長します」と三元朱村の王万凱さんは語った。
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王万凱さん夫妻。内装が始まった新居で | 第1号の冬暖式ハウスが建てられてから、寿光はずっとハウス野菜栽培のテストケースであり続けてきた。組織培養、天敵による虫害防止、肥料としての牛乳の使用、オゾンの殺菌効果を応用した施肥、無土栽培などなどの科学技術イノベーションを率先して行ってきたのだ。
2008年以降、寿光市では相前後して「リアルタイム気象報道システム」と「野菜標準化生産技術データシステム」を立ち上げ、「情報伝達カー」がいつもハウスが並ぶ農道を巡回し必要な情報を常時提供している。
科学技術の普及は、それまでは普通の農夫だった寿光の農民たちを農業技術の専門家に変えてきた。果樹栽培が得意な劉成徳さんは「桃王」と呼ばれ、彼が開発した「一辺倒」式樹形によるモモの栽培技術は特許権を取得している。普通のモモの木からは多くても1ムーあたり1000キロの果実が収穫できるだけだが、「一辺倒」式樹形栽培技術を用いるとモモの果実の収穫量は1ムーあたり2500キロから5000キロにまで増産が可能になる。劉さんは自分を単なる果樹栽培農民とは考えていない。「私は科学研究者でもあるのです」と彼は胸を張って応えている。
今日、寿光市では10万人の農民が「グリーン証書(農業技術の資格証書)」を所持しており、180人を超す農民が科学技術の専門家として活躍している。300項目に及ぶ農業新技術と新成果が広く普及し、農業先進技術が応用され良種による播種・栽培が行われている面積が全耕地の95%から98%にまで高まった。科学技術の進歩が農業生産高の増長に果たした役割は67%を占めるまでになっている。
といって、寿光の野菜市場の開拓は決して前途安泰であるとは言えない。ちょっとしたミスがたとえ1、2戸の農家で発生しただけでも、「中国の寿光」というブランドを大きく傷つけることになってしまうからだ。そのため寿光市では「野菜栽培革命」のカギは何よりも標準化生産にあると考えている。
2007年初め、寿光ではハウスの「建設許可制」をはじめ、生産基地の登録管理、土質に基づいた施肥管理、毒性の高い農薬の使用厳禁など数々の決まりを徹底させることを定め、生産現場での野菜の質の監督管理をより強化することにした。全国に先駆けて野菜の「新世代身分証」である「野菜の質と安全を示す2次元コード」を採用、農産品の生産と質を全過程でチェックし、標準化生産を着実に進める道を切り開いた。現在、寿光市の無公害・無汚染・有機栽培農産品生産基地の面積は400平方キロに達し、高品質農産品の認証を得た農作物は325種に、また登録済みの農産品商標は116にも及ぶ。こうした数字は全省でトップクラスに位置するものだ。
今日、寿光の人々は、ただ単に野菜の生産を拡大し、野菜市場でのシェアを占有するといった狭い考えにはなく、「世界の野菜の都」として、全国に送り出せる良質の種子の生産基地としての地歩を固め、世界最大の野菜科学研究基地を、そして世界最大の野菜栽培技術交流センターを目指そうとしている。
寿光市にはすでに米国、オランダ、ロシアなど30の国と地区を対象に協力パートナーシップが結ばれており、36の収益が高い対外開放型の農業モデル地区がつくられている。ここでは100種に及ぶ高品質の農産加工品が生産されており、直接20余の国と地区に送り出されている。
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山東省 寿光市
寿光市は山東半島の中央北部に位置し、渤海の南部を占める莱州湾の南岸に臨む。総面積は2072平方キロ。古来、農産物を中心に資源が豊かで、近年は「中国の野菜の里」として広く知られるようになった。野菜ばかりでなく、穀物、水産物、果物、畜産品、綿花などの生産量も多い。
寿光の一帯からは中国の代表的な新石器文化である龍山文化の遺跡も多く発見されており、市の管轄区域内だけでも150余の遺跡が確認されている。伝説上の漢字の発明者である倉頡はここで象形文字を創造したと言い伝えられている。世界で最初の農学著作『斉民要術』の著者、賈思勰(北魏の文人)は現在の寿光市で生まれた。 |
人民中国インターネット版 2011年8月
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