1925年1月11日から22日まで、中国共産党は第4回党大会を上海で開いた。出席した代表は20人で994人の党員を代表していた。
大会の中心的議題は、日ごとに高まる革命運動に対し、党がどのように指導を強化するか、そして宣伝工作、組織工作、大衆工作の面において大革命の高まりを迎える準備をどのように行うか、であった。陳独秀が会議を主宰した。
大会は、前年5月の中央拡大会議が行った党工作の中の、右の誤りに対する批判を肯定し、改めて中国共産党が国民党と合作すること、労働運動、農民運動などに関しいくつかの方針を定め、プロレタリア階級の指導権と労農同盟の重要性を指摘した。
大会は陳独秀、李大釗ら14人による新しい中央執行委員会を選出した。続いて開かれた中央執行委員会で、陳独秀が中央総書記に選出され、陳独秀、彭述之、張国燾、蔡和森、瞿秋白の5人からなる中央局が組織された。
この大会の主要な欠陥は、指導権の問題を提起したにもかかわらず、指導権をどのように獲得するかについて、具体的で明確な方針に欠け、大衆運動に対する指導権だけを論じて、政権と武装力に対する指導権を完全に無視したところにある。農民が革命の同盟軍であることを提起してものの、土地革命こそが農民問題を解決するという根本思想を提起できなかった。 |