田烈 生徒は私の幸せの源

教育に情熱をもち、子どもが好きな彼女は1982年、河北師範大学を卒業した後、母校の保定一中で教師となった。それから25年、彼女は、自分の心を生徒の心としっかりと結びつけ、生徒たちの「最も好きな先生」になった。

授業中、彼女は授業に真剣に取り組み、生徒たちをしっかりと学ばせた。生徒たちは勉強の素晴らしさを感じるようになった。生徒たちが人前で話せるようにするため、授業前の3分間をスピーチに当てた。毎週1回、「週記」を書かせ、子どもたちに、悩みや心配事をどのように打ち明けるかを教えた。毎日、毛筆で字を書き、字をうまく書けるようにした……

「週記」に対する彼女のコメントは、生徒たちにとって、もっとも忘れられない宝物である。数十人のクラス全員一人一人の「週記」に真面目にコメントを書き、心を尽くして生徒たちに、どのようにして正しく生き、仕事をすべきかを教えた。

ある生徒は「週記」に「空が暗くなったのに、教室にはまだ電気がついていない。私は電気をつけに行こうかと思ったけれど、出しゃばるのも嫌だった」と書いた。これを読んだ田烈はこうコメントして、その生徒を励ました。「思い切って自分を信じ、前に進み出て、みんなのために電気をつける。こうした人を私はもっとも評価する」

彼女の率直で誠意があり、親切で情熱溢れる態度は、どの生徒たちにも温かみと感じさせた。

「『週記』の中から子どもたちの心の世界が見えた。私たちは互いに、心の扉を開きあい、心と心の交流と意思疎通を行なった」。彼女は『週記』から子どもたちを理解し、生徒たちをどのように尊重し、愛するか、もっとよくわかった。

教育は一つの文化である。生徒たちが健全に成長するために、子どもたちが全面的に発展するために、保定一中の百年の文化の蓄積を継承した上で、田烈は「科学技術と人文科学の両者を同様に重んずる」という教育理念を積極的に提唱している。

彼女は生徒たちに、高校での三年間に20冊の名著を読み、20曲の世界の名曲を鑑賞し、ペンできれいな字を書き、毎日800メートルを走ることを要求した。こうすることによって、生徒たちが比較的高い文学的素養と審美感を持つだけでなく、健康な体も持つことができるからだ。

同時に彼女は生徒たちがクラスから飛び出して、「もっと大きな教室」で学ぶよう励ました。文学社、笛と簫のクラブ、合唱団、交響楽団などの生徒の団体活動は、情操を陶冶する。天文グループなどは、広範囲の学習の場と個性を伸ばす場を提供している。24時間開放されている図書館は、あたかも知識の海のようなものであり、毎週木曜の午後は、「大先生の講座」が開かれ、アカデミー会員や専門家、学者、有名な先生を招く。学生たちはさらに知識を広げることができるのだ。

この数年、保定一中は学校の特色をつくろうと力を入れている。2002年からは国の「宏志班」プロジェクトを引き受け、貧困家庭の子どもを試験で募集した。さらに国の飛行士の早期養成基地に指定され、空軍の航空大学のために、合格できる軍事的な人材を養成した。また、シンガポール教育部と協力プロジェクトに署名し、毎年、一部の生徒を無料でシンガポールへ留学させている。

数年来、この学校は合計で146項目の国家レベルの賞と285項目の省レベルの賞を獲得した。全国生物学オリンピックで1等賞をとった閻創業、中国空軍の女性飛行士の予備学生となった張博、第十回全国運動会の110メートルハードルで準優勝した史冬鵬……こうした優れた生徒を次々に輩出している。これは彼女や同僚の教師たちととってうれしいことである。

人民中国インターネット版 2007/10/17

 
 
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