東京通信


  めん文化を比較すれば
    

 今年の春節(旧正月)は、2月12日である。祭日は飲食文化と切り離せないものだが、中国では今、どれだけの人が「初一餃子、初二麺」(旧正月の1日にギョーザを、二日にめんを食べる)という伝統を守っているだろうか? それが明らかでないのは、人々の生活レベルが上がるにつれて、祭日のご馳走だったギョーザとめんが日常食と化しているからだ。

 めんは、日本でもごく普通の食べ物だ。どこへ行っても至る所で、「そばや」や「ラーメン」の看板が目につく。もともと日本のラーメンは中国のめんが変化したものだから、それほど目新しさは感じられなかった。しかし日本に長く暮らして、何度もラーメンを食べるようになると、ちょっとした違いに気がつくようになった。

 

 中国のめん類には、次のような種類がある。北京市の炸醤麺(具や味噌を混ぜるゆでうどん)、山西省の刀削麺(包丁で生地を削り、ゆでたうどん)、蘭州市の拉麺(生地を手で引きのばして作る手打ちうどん)、上海市の陽春麺(かけうどん)、陝西省のサ笆ヒ(あんかけうどん)、四川省の担担麺(辛味うどん)などだ。米粉で作っためんでは、雲南省の過橋米線(熱い鶏スープをかけたもの)がその代表格だろう。

 日本のめん類には、ラーメンのほかに、そばとうどんがある。そばとうどんは通常、同じ店で注文できるメニューだが、ラーメンだけはなぜか独立した専門店が多い。味つけも店によって異なるが、そのほとんどがしょうゆ、塩、みその三つのスープに分別できよう。

 スープについて言えば、日本のラーメンは中国の家庭料理である熱湯麺に似ているようだ。それは確かに、家ごとに異なる家庭の味が伝えられている。小腹のすく夜中や、風邪をひいて発熱した時や、食欲不振に陥った時など、どんぶりから立ち上る湯気とおいしそうな匂いには、思わず食欲がそそられる。めんは体をポカポカと温めてくれるだけでなく、家族のぬくもりも運んでくれる。おそらく、薬膳料理の功能も備えているのだろう。

 日本のラーメン店は、こうした家庭料理のぬくもりを全国に広めて成功したようだ。また、各店がスープにいろいろな工夫を凝らしている。ある店は、豚骨のみを24時間とろ火で煮込み、濃厚なスープを作る。ある店は、豚骨とにぼし、干し貝柱を煮込んで作る。またある店は、数種類のニワトリや昆布などを合わせ、煮込んで作る。店ごとに異なる特徴があり、その優劣は客の評判によって決まるのだ。同じラーメン店でも、ある店の前では客が並んで待っているのに、そのそばの店では閑古鳥が鳴いている――そういう場面によく出くわす。

 日本のラーメンの世界から見えてきたのは、たくさんの関連用語である。まず、ラーメンだが、中国ではラーメンを拉麺(めんを引っぱる)と書き、蘭州市の特産である手延べめんを主に指す。しかし日本のラーメンは、手作りにせよ「引っぱって」作るわけではなく、生地をのしてから包丁で切るのが一般的だ。

 また、メンマである。中国語では「麺碼」と書き表す。日本では、ラーメンに添える干しタケノコの加工品や干しタケノコそのものを指すが、中国の麺碼は日本語の「具」に近い。それはめんに添えたり、混ぜたりして食べる一切の具、たとえばキュウリやダイコンの千切り、ニンニクの茎、香菜、豆腐製品などを指している。

 このほか、チャーシュー、ワンタン、タンタン、パイコ(パーコとも)などがある。中国語を順に当てれば、叉焼、簇篆、担担、排骨で、日本ではこの音訳が用語になっている。パイコという用語は、『広辞苑』(第五版)には未収録だが、ラーメンを愛する日本人なら皆その意味がわかるだろう。

 日本の中国人と中国の日本人は、自覚があろうとなかろうと、似通うものを比較しているのではないか? まったく同じものがあれば、違うものもある。同種の中に異種があり、その逆もあろう。異なる点を子細に見れば見るほど、興味がムクムクとわいてくる。その感覚は一種の「品」(味わう)であり、「鑑」(鏡に照らす)である。読者の皆さんには、中国を訪問した際に新しい発見があれば、必ず報告していただきたいと思う。(本誌東京支局長・張哲)