漢詩望郷(31) 『唐詩三百首』を読もう(23) 杜甫を読むA 望嶽 杜 甫 岱宗 夫れ如何、斉魯 青未 だ了わらず。 【通釈】 天地創造の造物主が、比類無き霊妙を集め、陰陽の二つの気が、朝と夜を割っている。 いつの日か、必ずこの山の絶頂をきわめ、周囲の山々を一望に見渡し、見おろすことにしたいものだ。 この時期の杜甫は、夢と希望に満ちていました。この詩が後年の詩と著しい違いを見せるのは、「志」においてです。この詩全体を読めば、杜甫がいかに大きな望みを持ち、天下に名を成そうとしていたかが解ります。全体の詩文は、泰山(山東省の名山、泰山・華山・衡山・恒山・嵩山を五岳という)の壮大な景色を詠んでいます。しかし、詠まれた景色は、皇帝の封禅(天子が天と地を祭ること)が行われた山です。それが前提です。 杜甫はこの詩で何を語ろうとしたのでしょうか。泰山は中国人にとって特別な山です。その山は神が住み、天界と地上を繋ぐ重要な山なのです。泰山を見上げる杜甫は、その素晴らしさに胸がときめいたのでしょう。それは「造化神秀を鍾め、陰陽昏暁を割く」と言っていることから解ります。そんな泰山に登りたい。そして「会ず当に絶頂を凌ぎ、一覧して衆山を小とすべし」と言っています。最後の二句は、杜甫の気持ちだと思います。いや杜甫だけではなく当時の俊才たちの共通した思いかもしれません。なぜなら、唐の時代、天下に志を遂げようと思えば、律令制度下の官僚となり、善政を施すこと以外には無理だからです。そのために彼らは、猛勉強をしました。まじめな杜甫は真剣だったに違いありません。杜甫は、5年前には進士(官吏登用試験)の試験に落第しています。そして、この詩を詠んだ時は、父杜閑がエン州(山東省エン州市)の司馬(州の長官を補佐し軍事を管轄した)の官をしていたので、父を訪ねているときでした。きっと親子の話し合いの中で夢が語られたのではないでしょうか。ですから、一時のつまずきに屈せず夢を持つ意志の強さが感ぜられます。後年、彼が多くの挫折を経て、鬼気迫る社会派詩人になっていくのとは、対照的な詩になっています。 この詩は、泰山という名山の姿を借りて自らの思いを述べているのです。これは、漢詩に非常に多くみられます。私は、この詩が杜甫の夢を語っていると素直に思いたいのです。 |