漢詩望郷(32)

『唐詩三百首』を読もう(24) 杜甫を読むB

                     棚橋篁峰

 前回読んだ「望嶽」の旅から帰って、開元29年(741)、杜甫は、洛陽近くの首陽山の麓に、陸渾荘を建てました。30歳の杜甫は、ここで楊怡の娘と結婚します。この夫人こそが、生涯苦楽を共にする妻でした。これ以後の杜甫の人生は、苦難の連続でした。しかし、二人は時に離ればなれになりながらも、愛情を深め、手を取り合って旅を続けたのです。この女性については、なんの記録もありません。後の詩「月夜」に、杜甫の愛情溢れる思いが綴られますが、生涯の伴侶としての妻の姿は見えないのです。しかし、この夫人無くしては、杜甫の人生は無かったのではないでしょうか。そう思うと彼女について知りたいのですが、手掛かりはありません。

 この頃の詩、「房兵曹の胡馬」や「画鷹」などは、杜甫の詩人としての鋭い観察眼が感じられます。内容も胡馬や鷹に彼の人生のあり方を鋭く切り込ませたもので、非凡なものを感じます。

 やがて、天宝3年(744)4月の頃、杜甫は、李白と運命的出会いをします。杜甫33歳、李白44歳でした。李白は、3年前、都長安で朝廷に迎えられましたが、彼の自由奔放な人間性は、真に理解されることなく、都を去り洛陽にさしかかったところでした。二人がどのようなキッカケで出逢ったのかも分かりません。漢詩史上に燦然と輝く二人が共に時間を過ごすことが出来たことは、奇蹟かも知れません。しかも二人の詩風は全く違ったものでした。杜甫は年長である李白を敬愛しています。当時の詩で「君を憐れむこと弟兄の如し」と詠い、友情の深さを感じさせます。やがて、二人は別れますが、これ以後、再び会うことはありません。その李白を杜甫は、その後も思い続けます。この思いは、何故なのか考えてみると面白いと思います。

 杜甫は、天宝5年(746)長安の郊外に居を構えます。この遺跡が長安杜公祠です。これについては、次回お話しします。次にあげる詩は、「唐詩三百首」には載せられませんでしたが、杜甫が李白を思っていたことを伺わせる当時のものなので読んでみましょう。

  春日李白を懐う

白也詩無敵、飄然思不群。
 白や 詩に敵無し、飄然として 思い群せず。
清新ユ開府、俊逸鮑参軍。
 清新は ユ開府、俊逸は 鮑参軍。
渭北春天樹、江東日暮雲。
 渭北 春天の樹、江東 日暮の雲。
何時一樽酒、重与細論文。
 何れの時か 一樽の酒、重ねて与に 細やかに文を論ぜん。

【通釈】
 李白さん、貴方の詩は天下無敵だ、その詩は、自由奔放で群を抜いている。
 その詩の清新さは、梁のユ信のようだし、俊逸さは、宋の鮑照のようだ。
 私は、北方の渭水のほとりの春の樹木の中にいて、貴方は、江東(江南つまり長江の付近)にいて、日暮れの雲を眺めていることだろう。
 いつの日か、酒を酌み交わしながら、もう一度、つぶさに文学を論じたいものだ。

 天才は天才を知る。この頃の杜甫の詩には、素晴らしいものへの絶対的な評価があると思います。他にも「飲中八仙歌」等もあり、彼の鋭い評論は止まることを知りません。学問に燃えて、世にでんとしていた杜甫の気持ちが伝わってくると思います。