【漢詩望郷(34)


『唐詩三百首』を読もう(26)杜甫を読むD

                               棚橋篁峰


 前回から「兵車行」を読み始めました。杜甫の古詩は、読む者に政治と人生と歴史を考えさせずにはおきません。この詩は、詩人杜甫の傑出した観察眼が兵士として送られる人々と、別れる家族の思いを描き出して涙を誘います。この詩こそ杜甫が初めて現実の人々の苦しみを人民の立場で描いた傑作といえます。

 私は何度か咸陽の橋を渡りました。この橋には、あの「渭城の曲」のように、西域への遙かな別れがあるのです。その中でも「兵車行」はなんと悲しい別れではありませんか。咸陽橋のそばに立つと現代の安寧が不思議な気がします。しかし、人間の悲しい歴史は、いつまた、出征の悲しい別れがあるかしれないのです。杜甫の詩は、他人事ではありません。

 前回の第一段は、そんな出征兵士の別れの場面が目の前に展開されているようです。疲れ果てた彼らは、「皇帝万歳」とも叫びません。なんと悲しく暗い行軍でしょう。しかし、止めようとする家族は必死です。その対比が「兵車行」の書き出しなのです。

道傍過者問行人、
 道傍を過ぐる者 行人に問えば、
行人但云点行頻。
 行人但だ云う 点行頻りなりと。
或従十五北防河、
 或いは十五より 北のかた河を 防ぎ、
便至四十西営田。
 便ち四十に至るも 西のかた田 を営む。
去時里正与裏頭、
 去く時里正 与に頭を裏み、
帰来頭白還戌辺。
 帰り来たれば頭白 還た辺を戌 る。

【通釈】
 道ばたを通りかかった者が兵士に聞くと、
 兵士はただ「徴兵がしきりなのです」というばかり。
 ある者は、15歳から北方の黄河の防備に当たり、
 そのまま、40歳になっても西方の辺境に屯田兵となっている。
 最初の出征の時は、村長が成人を祝って頭を包んでくれたが(当時の成人の習慣)、
 帰ってくると、頭は白くなっているのに、辺境防備に出征しなければならない。

 第二段からは、一層具体的になります。声をかけたのは杜甫かもしれません。出征兵士は悲しげにそして恨みを込めて語るのです。「兵士として戦える年になれば黄河を護り、年老いても西域の守備につかねばなりません」と。出征兵士の人生は戦いの連続であったのでしょう。出征しては帰り、また、出征するのです。役人は容赦がありません。人民は抗する言葉を知らないのです。

 この頃、英明の誉れ高い玄宗皇帝の治世も漸く腐敗し始めます。やがて安禄山の乱が起ころうとしているのです。辺境では異民族との戦いが頻発し始めていました。

 杜甫が咸陽橋で見たものは、疲れ果てた人民でした。同時に彼もまた、時代に受け入れられず苦悩していたのです。この構図は、中国において、いや、全世界で不変に繰り返されてきた構図です。ですから前段の「衣を牽き足を頓し道をタケりて哭し、哭声直上して雲霄を干す」の家族の思いは、切なく迫ってきます。

 どのような理由があるにせよ、妻子の悲鳴なくしては、銃後の守りは成り立ちません。これ以後の杜甫は、この姿に鋭く切り込むことによって、人民への愛情を語ることになります。

 私は、この「兵車行」が杜甫の人生を変える一編になったと思うのです。次段から更にするどく時代を語ることになります。「兵車行」つづく。