前回「兵車行」の三段と四段を読みました。そこに描かれた内容は、悲惨極まりないものでした。故郷の田畑は荒れ、男は兵隊に取られ、残った妻子が働いても働いても税金の取り立ては厳しいのです。兵隊に取られる男などは生むべきでないとまで言っています。
当時の人々はいったいどうすればいいというのでしょうか。戦いが落とす影は、庶民にのみ重くのしかかります。杜甫は言いたいのです、それでも戦わなければならないのかと。
彼は、役人を目指しながら、その目は、庶民のそれになっています。立場が変われば、戦争も理屈は立つのですが、被害者はいったい誰なのかと問いかけているのです。
さて、前回冒頭の部分「辺亭流血成海水」については、本によって違う書き方がしてあります。特に日本の本は、殆どが「辺庭流血成海水」となっています。中国の本でも「辺庭」となっているものもあります。しかし、中華書局の『全唐詩』第七巻では「辺亭、一に庭と作る」とあり、喩守真編註の『唐詩三百首詳析』では、「辺亭」となっています。更に、杜甫研究会会長・霍松林先生の『歴代好詩詮評』でも、「辺亭」となっています。どちらもさほど問題はないと思う人がいるかもしれません。
「辺庭」とは、辺地、又は、外夷の朝廷という意味であり、「辺亭」とは、辺境の宿駅という意味です。どちらも国境の周辺を指しています。ですから前回の【通釈】も「国境地帯では」としました。
しかし、杜甫は十句目で「西のかた田を営む」と言っています。これは屯田兵を指すと思われます。年中戦争をしていたわけではないので、辺境の宿駅に駐屯した兵隊が、突然襲われ血を流したと解してはどうでしょうか。「辺庭」の戦い、つまり戦場では血が海のように流れることは、一般的に戦いを指していると思うのです。
しかし、「辺亭」に血が海のように流れるということは、屯田兵の悲惨さを感じるのです。ですから私は、杜甫は、西域で起きている戦いは「辺亭」の悲惨さなのだと言っているような気がするのです。
そして、最後の段落で悲しみは、天地に満ちるのです。
君不見青海頭、
君見ずや 青海の頭、
古来白骨無人収。
古来白骨 人の収める無く。
新鬼煩冤旧鬼哭、
新鬼は煩冤し 旧鬼哭し、
天陰雨湿声啾啾。
天陰り雨に湿めりて 声啾々たり。
【通釈】
諸君見たことは無いでしょう、戦場地帯の青海湖のほとりでは、
昔から白骨を拾い集めて供養する人もありません。
戦死したばかりの亡霊はもだえ恨み、古い亡霊は泣き叫び、
空が曇って雨が降り続けるとき、亡霊の悲しい声が聞こえるのです。
最後の句は、天の涙だと思うのです。第一段の出征兵士の末路が見えてきます。先年私は、青海の辺を旅したことがあります。ふと、この詩を思い出しました。今でも天涯荒涼たる土地なのです。
咸陽の橋で見送る杜甫の思いはどの様なものであったのでしょうか。自らが、官吏となってこの悲しみを止めなければならない、人々の涙を笑顔に変えなければならない。真面目な杜甫はそう考えていたのかもしれません。「兵車行」終わり。
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