私は、同好の士と5月末から杜甫の旅を始めました。杜甫を読むことは、杜甫の人生を旅することが欠かせないと杜甫研究会で主張して以来の念願でした。杜甫の詩の中に隠された杜甫の心は、その生活から生み出されたものだからです。
一度の旅で彼の人生すべてをみることは出来ません。全行程を3回に分けて、第1回は、誕生から西安寓居まで(今年、5月終了)、第2回は、天水・同谷から成都の杜甫草堂まで(今年、11月19日発)、第3回は、三峡を下り岳陽楼から平江の墓地まで(来年、3月下旬)としました。
一般の観光地ではない、杜甫の苦難の旅路は、現在も楽なものではありません。しかし、その旅路の跡に杜甫の詩は生き生きと甦り、語りかけてくるのです。何故なら、私が読みたいと念願する漢詩の解釈は、詩人その人の人生に迫らなければならないと考えるからです。
その意味から、第一回の旅では中国の杜甫研究会前会長霍松林先生、現会長林従竜先生との懇談会も含んで有意義な旅でした。洛陽から西安に向かう途中、杜甫の詩の中で名作として知られる「三吏三別」の中でも最も心を打つ『石壕吏』の石壕村を訪れました。この詩も「唐詩三百首」に掲載されていないのですが、杜甫を語る時忘れてはならない詩なので読んでみましょう。
石壕吏 杜甫
暮投石壕村、有吏夜捉人。
暮に石壕村に投ず、吏有り夜人 を捉う。
老翁踰墻走、老婦出門看。
老翁墻を踰えて走り、老婦門を 出でて看る。
吏呼一何怒、婦啼一何苦。
吏の呼ぶこと一に何ぞ怒れる、 婦の啼くこと一に何ぞ苦しき。
聽婦前致詞、三男ギョウ城戍。
婦の前んで詞を致すを聴くに、 三男 ギョウ城を戍る。
一男附書至、二男新戰死。
一男 書を附して至り、二男 新に戦死す。
存者且偸生、死者長已矣。
存うる者は且つ生を偸むも、死 せる者は長えに已んぬ。
【通釈】
日暮れに石壕村の民家に泊まったところ、夜中に役人が来て人を徴用しようとしている。
家の爺さんは垣根をこえて逃げ出し、婆さんが門口に出て、役人と応待している。
役人の態度は不遜で、どうして激しく怒鳴りまくるのか。婆さんの泣き声はまたなんと苦しそうなことか。
婆さんがすすみ出て役人に言っているのをきくと、「私の三人の男の子は、皆ギョウ城の守りにつきました。
一人の息子が手紙を送ってきましたが、あとの二人は近ごろ戦死したとのことです。
生き残っている者は、やっとの思いで命をつないでおりますが、死んだ者はもうそれきり戻ってはくれませぬ。
この詩は悲惨です。乾元2年(759)の春、戦乱の声が近づく中、杜甫は洛陽を去って華州(陝西省崋山の麓)へ戻る途中、役人に駆り出されて戦場へ向かう人々の苦難を目の前に見たのです。
杜甫が泊まったと伝説の残る窰洞に入ってみると、「石壕吏」の情景が浮かんできます。耳を澄ますとおばあさんと役人の話し声が聞こえてくるのです。その時、はじめて杜甫の詩の世界が実感され、杜甫の漢詩が千年の時空を越えて私達に語りかけてくるのです。
杜甫の旅に興味のある方はご連絡ください。日中友好漢詩協会・電話075―465―2444
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