【漢詩望郷(40)


『唐詩三百首』を読もう(32)杜甫を読むJ

                 棚橋篁峰


 杜甫が洛陽に帰っている間に静かな日々はありませんでした。戦局は悪化します。乾元2年(759)2月になると、史思明が兵を率いて安慶緒を応援し、3月3日郭子儀等の官軍は大敗して洛陽は安全な場所ではなくなり、杜甫はふたたび洛陽を去って華州へもどることになります。その途中で石壕村に立ち寄るのです。前回から読み始めた「石壕村」はその時のものです。

 唐代の宮廷は華やかでも庶民の暮らしは悲惨です。安史の乱も権力争いです。この一家も前回読んだように子供たちは離散し、生死もわかりません。そんな中で老婆は官吏に訴え続けます。

室中更無人、惟有乳下孫。
 室中 更に人無く、
 惟だ乳下の孫有り。

孫有母未去、出入無完裙。
 孫に母有り未だ去らざるも、
 出入に完裙無し。
老嫗力雖衰、請從吏夜歸。
 老嫗 力衰ろえると雖も、
 請う吏に從って夜帰せん。

急應河陽役、猶得備晨炊。
 急ぎ河陽の役に応ずれば、
 猶お晨炊に備うるを得ん。

夜久語聲絶、如聞泣幽咽。
 夜久しくして語声絶え、
 泣いて幽咽するを聞くが如し。

天明登前途、獨與老翁別。
 天明 前途に登らんとして、
 独り老翁と別る。

【通釈】
 家の中にはそのほか男はおりませず、ただ乳呑児の孫があるばかりです。

 孫の母はまだこの家から去らずにいてくれますが、出るにも入るにも、満足なスカートとてもありませぬ。

 この婆はおいぼれて、ろくに力もありませぬが、どうかお役人様について、今夜にでもまいりましょう。

 いそいで河陽の軍のお仕事にまいれば、これでもまだ、朝のめしたきぐらいはつとまりましょうから、と。

 夜も更けて話し声も途絶え、あとにはただ咽び泣きの声がきこえていたようであった。

 やがて夜が明ける頃、私はまた前途に向かって出発したが、別れを告げたのはただ爺さんばかりであった。

 男は戦争に出ても、残ったものの生活は誰がみてくれるわけではありません。貧困の中に涙する生活がこの村の姿なのです。それでも官吏は徴兵をします。公僕の名に値する官吏は歴史上どれほどいたというのでしょうか。

 老婆は家を守るために自ら進んで戦場に赴こうとするのです。そしてこの家に残るものは、静けさの中の涙だけです。詩は、自然との融合による意志の吐露です。

 しかし、この詩には、そのような余裕はありません。庶民の現実生活が鬼気迫る悲惨さであったことが克明に描かれています。文字の一つ一つが政治とは何かを厳しく問いかけます。この村の人たちの生活を踏みにじって何処に唐代の栄華があるのか杜甫は問いかけているのです。

 夜明け方、子供を戦に取られ、妻も戦場に赴いて残された老翁と別れるだけでした。おそらく体力も気力も失ったこの老人は杜甫に何か語ったのでしょうか。門前に腰をかけうつろな目で杜甫を送る老人の姿が浮かびます。

 何としても、この世に善政を敷きたい杜甫はそう思っていたはずです。しかし、現実は詩人の夢を打ち砕きます。平和という二文字が遙かに遠いのです。杜甫は自らの無力をどのように感じていたのでしょうか。

 今日、洛陽から長安への路は高速道路が開通し、旧道に面した石壕村は静かなたたずまいです。私達が訪ねた時は、村の人々は野良仕事に出かけていました。あの媼と翁はきっと野良仕事に出かけたかったに違いありません。