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澳門半島とタイバ島を結ぶ澳門友誼大橋 |
澳門は、中国東南部の沿海、珠江デルタの西岸に位置している。その地形が海中に咲く「ハスの花」にも似たここは、古くから中国の領土であった。秦の始皇帝が中国を統一した時にはすでに中国領内に入り、南海部番禺県の管轄下に置かれていた。
「澳門」という名前は1564年(明の嘉靖43年)、吏部(旧時の官庁で官吏の任免などを司った)のホウ尚鵬の上奏文の中に初めて見られる。
また、西洋諸国からは「Macau」(マカオ)と呼ばれている。この地名の由来については諸説があるが、ポルトガル船が初めて澳門着岸を許された1553年、ポルトガル人は澳門西端の海岸から上陸した。そこは、商人と漁民の神である媽祖を祭った「媽閣」(媽祖閣)と呼ばれるところで、寺院の媽閣廟があった。ポルトガル人が土地の人たちに「あれは何と言う場所ですか?」と聞くと、「媽閣」という答えが返ってきた。その広東語の発音「Macau」が地名であると理解され、今にいたるのである。「Macau」という文字は1555年11月20日、ポルトガルの探検家メンデス・ピントが澳門から本国へあてた書簡に初出する。
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元気ハツラツとした澳門の若者たち |
1997年7月1日、香港が祖国中国に復帰したのに続いて、99年12月20日、中国人民にまた大きな喜びごとが訪れた――。澳門が祖国中国に復帰し、特別行政区(特区)の一つになったのだ。それは世界の大きな注目を集めた。人口約45万人、総面積はわずか25・8平方キロ。この南欧情緒に彩られた小さな街が、世界的な知名度をグンと上げたのである。そして、澳門は早くも復帰3周年を迎えた。
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江沢民国家主席が何厚カ(金に華) 澳門特区行政長官と会見した |
澳門は、中国復帰後も経済の低迷や高い失業率、治安の不安定、それに世界的な経済不況など積年の問題に悩まされており、特区の発展も大きな試練に直面している。しかし、挑戦とチャンスは往々にして共存するものだ。まさによく言われる「禍兮福所倚、福兮禍所伏」(禍は福のよるところとなし、福は禍の伏するところとなす)である。この言葉には、古代中国の知恵が特区政府と市民の協力を促し、挑戦をチャンスに変えようという現実的な意義がある。
中央政府の支持により、特区政府は「固本培元、穏健発展」(根本を固め、穏健に発展させる)という施政路線を採用し、全社会を安定させた。それは特区の施政だけでなく、社会秩序も安定させたのである。
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338メートルの観光タワーからは澳門が一望できる |
優秀なポルトガル籍の公務員を多数留任させ、その才能を発揮させた。また、香港特別行政区を手本として、澳門の人々も「一国二制度」にゆるぎない自信を持った。それにともない人心も安定した。澳門の真の主人公となった人々は、その精神を十分に発揮して、澳門の建設と各種の管理に積極的に関わっている。もちろん、失業者の抗議デモがなくなったわけではないが、たとえ住民であっても特区全体の権益に関心を払うとともに、権益が重視できるようになった。彼らは特区政府とともに助け合い、苦難を乗り越え、新しい時代における団結力を示しているのである。
社会治安は人々にとって病巣であったが、中国復帰後は明らかに改善された。特区政府は、ポルトガル統治時代の治安警察局と司法警察局を合併し、犯罪の取り締まりをさらに強化した。時代が変われば取り締まりも強化されるため、犯罪増加はあり得ないと思われる。もしも現在、「澳門の治安はいかがですか?」と聞く人がいれば、その返答に驚くことだろう。治安問題はすでに考えもつかなくなった。澳門は今、世界でも治安のいい場所の一つとなっている。
特区が実行するのは、「一国二制度」「澳門人による澳門管理」「高度の自治」の政策である。中央政府は『澳門基本法』の原則を忠実に守り、特区の自治には一切関わっていない。
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競馬は香港に次ぐ規模をほこる |
特区行政長官の何厚カ氏は、まず始めに「経済を刺激し、住民の貧困を解決する」措置をとった。それは当地で盛んなギャンブル産業を改革し、新しい投資を招いた。また、通信を開放し、澳門半島と南部のタイバ島を結ぶ、三本目の大橋・澳タン大橋を建設、各種のインフラ施設を整備した。さらに、2005年に予定される「第4回東アジア競技大会」の開催権を獲得。復帰前の長年にわたる経済のマイナス成長も、是正されてきている。今年上半期の経済成長率は7%に達し、年間成長率も5%を下らないと予測されている。アジアでは中国大陸を除けば、経済成長の最も速い地区に数えられている。
歴史が残した問題は、短期間ではすべてを解決できない(例えば失業率は依然として6・2%の高さだ)。しかし澳門社会は、すでに積極的かつ楽観的なスタートを切っている。市民たちは希望に満ちた前途を目指しているのである。
土地面積は広くはないが、澳門は有利な条件に恵まれている。まず「一国二制度」で、これは澳門にとって非常に有利だ。こうした政策のもと、澳門には「自由港」や「単独関税区」を持ち、「低税制」を敷くという特長がある。
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澳門特別行政区・中心広場でのにぎやかな春節(旧正月) |
澳門の「自由港」では、外貨管制がなく、ヒト・カネ・モノが自由に出入りできるという利点がある。ほとんどの輸出入品に関税がかからず、企業所得税も周辺地区に比べ最低の15%でしかない。香港の16%よりもさらに安く、その税制もとても簡単である。
「単独関税区」では、「中国澳門」の名で各国および関係する国際組織と協定を締結し、独立した関税優遇措置を受けることができる。こうした措置は特別なもので、世界の経済界から称賛されている。
外国からの投資環境としては、特区政府は「民をもって本となす」公僕精神を唱えて、「一括式」サービスを推進し、ビジネス促進センターを設立した。センターはいわば企業を育てる「孵化器」であり、海外のいかなる企業でも、澳門に来れば「投資計画書」を申請するだけでOK。センターは、経営項目に関わる一切の法律手続きを専門に行い、センター内での事務経費も四カ月間免除される。外国企業はスーツケースを一つ携えるだけで、澳門に会社を開くことができるのだ。
澳門貿易投資促進局の李炳康主席は、経済貿易の発展に対する大計を立てている。
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澳門貿易投資促進局の李炳康主席 |
「経済のグローバル化にともない、地域間競争は激しさを増すだろう。しかし澳門は、地域的な中小企業の協力にサービスを提供する場として発展するに違いない。会計や法律、コンベンションなどに対する専門的なサービスを提供するのだ」
「珠江デルタ地域では、珠海を主とする広東省西部地区に重点を置いている。ここは、ポルトガルやブラジルなどラテン語圏の国からは、中国進出の中心地となるだろう」
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毎年11月に行われるカーレース(写真・徐訊) |
こうした条件に恵まれた澳門は、日本の投資家も放ってはおかないようだ。日本の住友ベークライト株式会社(本社・東京)とキリンビール株式会社(本社・東京)はこのほど、澳門にともに工場を設立。地域経済の発展をにらむ日本企業の布石の一つとなった。これは、澳門の経済コストが香港に比べても安いからである。2002年1〜7月、澳門と日本の貿易総額は8億1580万8389パタカ(1パタカは約15円)、うち輸入額は約6億9000万パタカに達している。
李炳康主席は、「日本企業は澳門に『離岸公司』(船舶上で売買などを行う会社、Oversea
Company)を設立し、運営することができる」と認めている。澳門に上陸して売買しなければ、いいのである。「離岸公司」は、15%の企業所得税と個人所得税が免除される。これは政府立法で許可されている。
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澳門国際貿易投資展覧会は、経済協力を図る中小企業の出合いの場 |
今年9月までにすでに112社の多国籍企業が、澳門で「離岸公司」を開設することが許可され、特別な税の優遇措置を受けている。政府は税収はないが、そのほかのサービス業を推進したため、間接的には多くの産業が潤っている。
澳門は開港以来、数百年の歴史をほこる。かつては極東地域における有名な貿易港であった。とくにヨーロッパとラテン語圏の国々とは密接な関係にある。また、中国大陸部では、広東省や福建省、重慶市とも経済貿易関係を持つ。中国の大きな市場と急速な経済成長は、澳門にさらに広々とした発展の空間を提供するだろう。
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ギャンブル産業は澳門経済の柱となっている |
澳門には古くから「東方のモンテカルロ」「東方のラスベガス」の称がある。区域内のギャンブルセンターにあるカジノは、その特徴だ。カジノは現在、十カ所以上あり、興味深いのはどの店の入り口にも、次のような看板がかけられている。「賭博で勝たなくても、楽しく賭けよう。小遣いで遊んで、娯楽性を保とう」。小遣いでギャンブルを楽しみ、大損して気落ちするのをいさめているのだ。このほか、夏に開かれる夜間競馬やドッグレースも、大きな人気を博している。
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毎年、花祭りに行われる酔竜の舞(写真・徐訊) |
澳門の伝統的な四大産業の中で、観光とギャンブルがトップを占めるのは紛れもない事実だ。それは域内総生産の40%以上を占めている。ギャンブル税は特区政府の税収の50%以上を占め、澳門社会の経済発展に重要な作用を及ぼしている。
特区政府がスタートしてから、観光とギャンブルを根幹産業となし、その他の産業をともに発展させる経済路線が明らかになった。また、今年はギャンブル産業が開放されて、世界からの新しい投資を招いた。競争力が増したため、澳門市民にさらに多くの就業機会を設けたのである。
2001年8月末、「経営期限20年の『ギャンブル専業権』を三件まで認可する」ことが立法化された。その結果、世界各地の22の投資家が入札を競い、三つの企業グループが経営権を獲得した。10年以内の総投資額は175億パタカ
。これにより、ロマンチックな地中海風のリゾートホテルやカジノ、水の都・ベニス風のリゾート村とコンベンションセンターなどが建設される予定だ。その時こそ国際都市・澳門は、ますます美しくなるに違いない。
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澳門を代表する古跡・大三巴碑坊(セント・ポール教会) |
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澳門の媽祖像はきわめて有名だ |
16世紀半ばにポルトガル人が上陸してから、1999年に祖国に復帰して400年あまり、澳門は小さな漁村から南欧風情あふれる東方の「ハスの都」へと移り変わった。
議事亭広場に沿って行くと、大三巴碑坊(セント・ポール教会)につく。周りの建物やアーケードの色調、レリーフなど、それは優雅な南欧芸術の息吹に満ちている。広場中央には噴水があり、路上にはポルトガルの小石や砕石が、波のような起伏のデザインで敷き詰められている。そこでは、まるでポルトガルの首都・リスボンの大通りを歩くかのようである。
澳門には古い教会が多い。有名な大三巴碑坊は、火災で焼失したセント・ポール教会の前壁だけが残ったものだ。キリストの弟子・聖ペテロを祭った教会で、その外形は荘厳そのもの。内部のつくりも精巧で、華麗なまでの美しさである。
これらの建築は、ヨーロッパのバロック建築の風格を示すばかりか、東方と熱帯地方の建築様式の特色をよく現している。
澳門には、中国の伝統文化の精髄を代表する数十の古代寺院が残る。最も有名なのが「媽閣廟」と「観音堂」「蓮峰廟」だ。年中、香火が絶えず、多くの観光客が参拝している。
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洋山教会。澳門には古い宗教建築が多い |
澳門ではまた、世界でも独特な「澳門料理」を味わうことができる。「葡国鶏」(ポルトガル風チキン・カレーソースがけ)、「炭焼馬介休」(スズキに似た雪魚の塩漬け)などである。これらの美食は、中国・広東やポルトガル、インド、マレーシアなどの料理技術がみな融合したものだ。
祝祭日には、中国の伝統的な特色があふれるばかりか、西洋のロマンチックな色彩が加わり、華やかさが増す。澳門は今も、世界が注目する「観光の聖地」として、人々を引きつけている。(筆者は、香港・澳門・台湾地区・チーフ・コーディネーター、香港中港企業協会秘書長
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