今回は、名作「春望」を読みます。杜甫を知る日本人ならほとんどの人が知っている作品だと思います。
この詩は、前号で読んだ「月夜」から半年ほど後の春に詠んだと思われます。従ってこの詩の底流に流れるものは、家族と別れて賊軍に囚われの身となった杜甫が、家族を思い国を憂えた前提があると思うのです。その中で春の景色に託して思いを述べています。
春 望 杜 甫
国破山河在、城春草木深。
国破れて 山河在り、
城春にして 草木深し。
感時花濺涙、恨別鳥驚心。
時に感じては 花にも涙を濺ぎ、
別れを恨んでは 鳥にも心を驚
かす。
烽火連三月、家書抵万金。
烽火 三月に連なり、
家書 万金に抵る。
白頭掻更短、渾欲不勝簪。
白頭掻けば更に短く、
渾べて簪に勝えざらんと欲す。
【通釈】
国都の長安は破壊されても、空しく山河は残り、長安の町は春を迎えているのに、ただ草や木が生い茂るだけ。
乱れた時勢を感じては、花の開くのを見ても涙が流れるばかり、一家離別を恨めしく思えば、鳥の鳴き声にもはっとする。
のろしの火は、三カ月間も続いて、戦乱は収まらず、家族からの便りは万金にも値するほど貴重だ。
白髪頭を抱え込めば、髪はいよいよ薄くなり、もはや、冠をとめるかんざしを通すことが出来ない。
通釈は、前述のようなのですが、杜甫の気持ちを斟酌しながら読み直してみましょう。
国の都である長安は、賊軍に踏み荒らされ無惨な姿となった、山河は、空しく存在しているだけだ。長安は春だというのに、ただ雑草が生い茂るばかりだ。そこには、絢爛たる栄華を誇った大唐の都長安の姿は無い。
時勢の混乱を前にして、可憐に咲く花を見れば涙があふれ、家族とのつらい別れを思えば、可愛い鳥の声にも驚かされる。私は、美しい自然の営みを見聞きすればするほど、反対に愁いに沈んでいくのを感じている。
戦いを知らせるのろしは、いつまでも続き、家族との音信は途絶えてお金には換えがたいほど貴重なものになった。国は戦いのために衰え、家族の消息を知るすべもない。
悲しみのあまり、白髪頭をかきむしるほど悶々として、その髪は短く、かんざしを挿すことも出来ないほどである。ああなんと悲しいことか。
この詩は、ただ単に春の景色を読んでいるのではないということを理解する必要があります。全編に流れる杜甫の意境は、この時点での彼の思いを自然の姿に託したものなのです。
つまり、山河を見れば、国都の荒廃を嘆き、雑草を見れば美しい春の都を思うのです。きれいな花を見れば、時勢の混乱を感じ、鳥の声を聞けば、別れた家族を思うのです。戦争が続けば、家族に会うことも出来ない。その張り裂けるようなつらい思いを「言外の意」(詩の中に現れた言葉にはない作者の心)「弦外の音」(詩の中にはない音)として感じる必要があるのです。
この詩の中から杜甫の国を憂い家族を思う心情を強く感じなければならないのです。そうすれば、敗戦の悲しい思いや、打ちひしがれた人々の思いではなく、杜甫の心の奥に何とかしなければならないという責任のようなものを感じることも出来るのではないでしょうか。なぜなら杜甫はこの詩を詠んで間もなく肅宗のもとを訪ねて、皇帝に諫言をする左拾遺となり政治に参画しようとしているからです。
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