蘇州河に生きる
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夢 架けわたす「橋の博物館」

                 文 呉鈞 写真 陸傑

外白渡橋(手前)。向こうに流れるのが蘇州河、手前が黄浦江だ(99年撮影)

 今月号からはじまる新連載『蘇州河に生きる』では、記録写真をもとに、上海・蘇州河を舞台に繰り広げられるさまざまな物語をご紹介する。カメラマンの陸傑さんは上海人。20年以上にわたって、上海の変化を撮り続けてきた。変貌する上海が、レンズを通して明かされるのだ。(編集部)

 上海の外灘(バンド)に立つと、美しい河(江と河)の流れが目に入るだろう。江とは黄浦江を指し、河とは蘇州河を指している。地図から見ると、それは市内をくねくねと流れ、外灘のあたりで「丁」の字を倒した形で交わっている。合流点は人々に「蘇州河口」と呼ばれている。

 ここの河口をつなぐ「外白渡橋」は、見逃すわけにはいかないだろう。外白渡橋を見る最適のころは明け方だ。日の出前ともなると朝焼けが広がり、鉄橋はまるで古代中国の花窓(枠に飾り模様のある窓)のよう。黄浦江をゆきかう船や浦東にそびえる高層ビルなど、さまざまな風景が橋を通して見えるのだ。こうした人工的な建造物と自然が織りなす風景は、だれもが持ち得る心象風景なのかもしれない。

もとは渡し場だった新康路橋(中央)。1981年に住民の便宜を図って建設された。一帯では今、住宅産業が盛んだ(99年撮影)

 その昔、蘇州河には橋がなく、対岸に渡るなら渡し舟に頼るほかなかった。橋が初めて架けられたのは、今から約150年前の1856年。河口の「外擺渡口」に造られたので、橋は「外擺渡橋」と呼ばれていた。あるイギリス人が私的な資金で建設したため、通行するには、だれもが通行料の一文銅銭を払い、人力車や馬車なら倍の通行料を払わなければならなかった。

 1873年、上海の共同租界工部局(統治機関)は、外擺渡橋の傍らに浮き橋(多くの舟を浮かべ、その上に板を渡した橋)を設置した。通行料を免除したので、人々からは「外白渡橋」と呼ばれて親しまれていた。「白」には「無料」の意味があるので、外白渡橋は「無料で通行できる橋」という意味だ。1907年、工部局は浮き橋を取り除き、鉄橋として改築したが、外白渡橋という名前だけは残された。

2001年に改築された武定路橋

 外白渡橋は、上海で初めて鉄鋼だけで造られた橋だ。蘇州河では最大の鉄橋でもある。もしも鉄橋に近づいて、その巨大な梁用 鋼とリベットを自分の手でなでたとしたら、イギリスの豪華客船「タイタニック号」(1912年、処女航海中に氷山に衝突して沈没)の時代に思いを馳せることだろう。近代の産業革命が上海に与えた影響を知るには、外白渡橋はいちばんの物証である。それは今、上海の歴史の変遷を示す「目印」となっている。

 東の外白渡橋から、西の西蔵路橋までの蘇州河一帯は、市の中心部である。両岸の交通はいつも混雑している。そのため、南北に走る6、7本の大通りが蘇州河と交わる場所には、いずれも橋が架けられている。そのうち、乍浦路橋、四川路橋、河南路橋、西蔵路橋の四本は、典型的なヨーロッパ風建築の橋梁だ。ゆるやかに丸みを帯びた形や精緻をきわめた装飾が、両岸の建築物とよくマッチしている。

建設中の新閘路橋(2001年撮影)

 ここ数年、「オールド上海」を舞台にした映画がたくさん撮影されているが、こうした古い橋の上で、主人公が「約束」をするシーンが映画では好まれている。セピア色の映像の中で、男と女が両側の橋のたもとにたたずんでいる。しばらく見つめ合うのだが、一歩も踏み出せないでいる……。通行人にとっては、橋は河を渡るためのものだが、人生の選択に迫られている人にとっては、それは「渡るべきか、渡らざるべきか」という重要なポイントになろう。シェークスピアの劇中人物・ハムレットの「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」という有名なセリフより、重大な決断を迫られる場合もあるだろう。

虹の懸け橋に似ている烏鎮路橋。99年に竣工したが、混雑が進み、もはや需要に応じられない状態だ

 しかし、今の若者たちは、蘇州河の橋を約束の場にすることはない(デパートや映画館、ファストフードの店なら、彼らの姿を見つけられるが)。日常の橋は、河を渡る道の延長に過ぎないのである。時おり橋を渡る人たちはせわしなく、橋から景色を眺めるヒマなどなさそうだ。そのわきをけたたましく通り過ぎるのが、急増中の自動車である。

 市街区を流れる54キロの蘇州河には、外白渡橋のほか、東から西へ22の橋梁が渡されている。ここ数年、河の両岸にあった工場が次々と移転し、30年来も汚染された黒い河は日増しに改善されてきた。上海市政府も市民も、蘇州河が「景観の河」として、清らかな流れとなるよう切望してきた。それで蘇州河の橋を、保護または改築をするように決めたのだ。

 鉄橋である外白渡橋や、ヨーロッパ風建築の四川路橋、乍浦路橋などは「文物保護単位」に指定され、保護の対象となった。市の法律により、こうした「文物」は補修したり、補強したりするにも、特別委員会の審査と許可を受けなければならなくなった。その他の十数の古い橋は、この15年間に次々と取り除かれて、現代的な新しい橋へと生まれ変わることになっている。

かつての新閘路橋をゆきかう人々(97年撮影)

 当地の文化人たちは、「新しい橋を周辺環境に適した美しいものにしよう!」という提言を市政府に対して行った。それに対し、市政府当局のスポークスマンはテレビのインタビューを通じて、新しい橋のデザイン案を公募した。最終的な目標は、蘇州河を「橋の博物館」にすることだという。

 蘇州河は東へとゆるやかに流れ、同じ景色をひとときとして見ることがない。両岸に広がる街には、巨大な変化がおとずれている。人々は上海を訪ねるたびに、美しくなる橋に気づくことだろう。