商人の英知刻んだ大邸宅 山西省晋中市

                       文・写真 小林 さゆり

   四角い庭を囲んだレンガづくりの建物、屋根の上に整然と並んだ筒瓦、精緻な細工が美しい木彫門楼――。それはまるで、いにしえの中国にタイムスリップしたかのような空間だ。山西省中部の晋中市には、明・清代の商人たちの大邸宅が、昔のままに残されている。内陸の貧しい境遇をはねのけて商いの道をきわめ、教育を重んじて一大金融システムを確立していった当時の人々。その邸宅には今もなお、商人たちの繁栄の歴史と文化が刻まれている。  

 紀元前の西周時代、「晋国」がおかれた山西省は「晋」とも呼ばれる。その昔、耕地が少なく人口が多いこの地方では、農業だけでは暮らせなかった。そのため人々は外地へと向かい、商いにいそしむことで生計をたてた。晋の商人「晋商」の始まりである。

 明・清代になると、晋商は活動範囲を国内外へと広げた。特産物の売買や貿易はもとより、為替業務を行った中国最初の金融機関「票号」もみるみる発展していった。晋商たちはまさしく億万長者として、その名を天下にとどろかせたのである。   

博物館の喬家大院

北方民家建築が最もよく保存された喬家大院

 晋中市祁県に位置する「喬家大院」は、清代半ばから中華民国時代にかけて造られた晋商・喬一族の大邸宅だ。名監督の張芸謀がメガホンを取り、女優・鞏俐が出演した映画『紅夢』(原題『大紅灯籠高高掛』1991年)のロケ地としても、よく知られている。

 敷地面積は約8700平方メートルというから、サッカー場一つがすっぽりと収まる広さだ。大小の四合院(庭をはさんで建物が向き合う中国北方の住宅)が、北から南へ吉祥を表す「喜喜」の字型に並び、部屋数は合わせて313室。最もよく保存された北方民家として「国家重点文物保護単位」に指定され、また1986年からは「祁県民俗博物館」として対外開放された。邸宅の正門には、江沢民国家主席の揮毫による「博物館」の看板が掲げられている。

 この喬家創業の始祖といわれる喬貴発は、ふるさとの祁県を後に包頭(現在の内蒙古自治区)に赴いて、豆腐屋などを営んだ。苦労に苦労を重ねて茶問屋や穀物問屋へと事業を拡大、子孫の代には「大徳恒」「大徳通」という二つの票号を開設して国内外に支店を構えた。総資本は白銀1000万両、現在の価値に換算すると80億元(1元は約15円)にも上ったというから、まさに豪商だったのである。その後1920年代には、官商銀行の出現などで喬家は衰退、離散を余儀なくされたが、末裔たちは今も北京や上海などで、学者や教授として活躍をしているという。

 この喬家の繁栄を支えていたのが、厳しい家訓や熱心な教育にあったといわれる。家訓には「妾を囲ってはならない」「アヘンを吸ってはならない」「賭博をしてはならない」「乱酔してはならない」などの六カ条が明文化されていた。また、私塾を開いて四書・五経や史学、数学、英語などを子弟や嫁たちに教えた。喬家を最も繁栄させた三代目の喬致庸は、いつも書物を手にしていたために「生涯、書生のようだった」と称えられているそうだ。

 子孫繁栄を願って、たわわに実ったぶどうがデザインされた木彫門楼や、長寿を願って亀甲紋様を彫刻した祠など、建物はすみずみまで細やかな工夫が凝らされている。「住まい」への主のこだわりのほどがうかがえる。

北方最大の常家荘園

拓本をとり、書の手本とした「石芸軒法帖」。扁額の「他山之石」とは、ここでは「他人の言行を自分の修養の助けとする」こと

 一方、「中国北方の私家庭園では最大」といわれるのが、市の中心・楡次区に広がる「常家荘園」だ。常一族の荘園で、敷地面積は60万平方メートル(東京ドームが約十二個半)。邸宅や庭園、楼閣や大小の通りを設けて、それ自体が一つの町を形成していた。一昨年秋に12万平方メートルの修復工事を終えて、開放されたばかりの大規模な文化遺産だ。

 反物屋からスタートし、全国的に店舗を広げた常家は、ロシアとの茶の貿易をひらいた貿易商でもあった。福建省武夷山の銘茶を加工して、陸運、水運、ラクダの輸送で茶を広め、巨万の富を築いたのである。

 ここでもやはり教育が重視されていたようだ。常一族は、儒教の教えと商業とを結びつけた「儒商望族」(儒商の名家)といわれる。「学而優則賈」(学びて優れたるはすなわち賈す。賈は商いのこと)を家訓に私塾や私立の小中学校を開き、一族はもとより門弟や民間の子どもたちにも教育を施して、優秀な人材を多数輩出した。礼儀や教育を重んじた儒教の思想を、経営理念に生かしたのである。

広大な敷地の常家荘園。池のある庭園のほか、邸宅には小川が流れる

 園内には、先祖を祭った祠堂(祖廟)をはじめ、大型の書院と蔵書楼、書の手本となる石刻を回廊にはめこんだ「石芸軒法帖」「唐詩筆意帖」、清代の名書家の筆による270もの扁額など、儒教の影響がいたるところに見られる。

 広大な荘園を案内してくれた地元の若い女性ガイドは「山西省は貧しいところですが、昔はこのように富と才能をもつ人たちが大勢いました。改革・開放の時代にあって、私たちは今こそ先人の姿に学ぶべきだと思います」と、キッパリと語っていた。

晋商文化をアピール

 晋中市にある邸宅にはこのほか、晋劇(山西省一帯の地方劇)の発祥地の一つともいわれ、豪華な舞台を備えた祁県の「渠家大院」、民家の面影を残した太谷県の「曹家大院」、「華夏(中国の古称)の第一院」と称される霊石県の「王家大院」などがある。

 市内西南部には、明・清代の街並みが残る世界文化遺産の「平遥」があるが、その知名度に比べれば、同じ市内に点在している商家の邸宅は、外国人にはあまり知られていないのが現状だ。統計によれば、晋中市への観光客は年間約百万人にも上るが、「喬家大院」を訪れる外国人客はわずか数万人、しかもそのほとんどが欧米からの人たちだという。

 「私たちは、観光開発をとくに重視しています。今後は博物館を増設したり、宣伝を強化するなどして、晋中市がほこる歴史文化と晋商文化を強くアピールしていきたい」。地元の幹部は、そう力を込める。

 邸宅や街並みなどの文化遺産は、修復保存していく計画も進められている。高速バスで北京から約五時間と、交通の便もよい晋中市。明・清代の邸宅巡りで、「故きを温ねて新しきを知る」(『論語』)というのもまた、一興であるだろう。

【晋中市】 山西省中部の交通の要衝。面積1万6404平方キロ、人口302万人。市政府の所在地は楡次区(県クラスに相当)。鉄鋼、紡績機械や野菜などの生産が盛んで、石炭の埋蔵量は全国でもトップクラス。1996年には、楡次区に省クラスの経済技術開発区が設けられた。

【晋中市へのアクセス】
 ・鉄道 北京−太原行きの特別急行に乗り、楡次下車。所要時間約8時間。
 ・バス 北京−太原行きの高速バスに乗り、楡次で途中下車。所要時間約5時間。
 ・飛行機 北京−太原まで約50分。太原空港から楡次まで、車で約10分。

【喬家大院メモ】(晋中市祁県東観鎮喬家堡村)
 ・参観料  32元
 ・アクセス 楡次から南へ車で約1時間

【常家荘園メモ】(晋中市楡次区東陽鎮車モウ村)
 ・参観料  60元
 ・アクセス 楡次区の中心から車で約10分