最も身近な通信手段

 

 23歳の蘇涵さんは、ウィークデーの朝9時から夕方5時まで不動産会社で働き、ほとんど残業のない規則的な生活をしている。友人とは、携帯電話やショートメッセージ(携帯間メール)、電子メール、チャットなどで連絡を取り合うことが多い。日本で働く姉との連絡には、MSN(マイクロソフトのウェブサイト)のメッセンジャーを使っている。このサービスを使えば、お互いの姿を見ながら会話ができ、遠く離れているという感覚も薄れる。

 大多数の人にとって、最も身近な通信手段は携帯電話だ。現在、中国の携帯電話ユーザーは2億人を超えた。その60%近くは30歳以下の若者で、中学生や高校生にも普及している。若者の間で特にはやっているのは、ショートメッセージ。蘇さんは、「ショートメッセージのいいところは、面と向かって、または、電話では言いにくいことも伝えられること。お互いの表情が見えないと、心の負担がない」と話す。面と向かってうまく表現できない人は、ショートメッセージで恋人に気持ちを伝えることもできる。

高性能の携帯電話を使いこなす蘇涵さん

 北京の公共の場所では、ショートメッセージを送ろうとしている若者をよく見かける。彼らには、「親指族」のニックネームもついた。いまの若者の交友範囲は広くなったが、昔ほど濃い人間関係を好まなくなった。年越しのあいさつの電話でさえ、「重すぎる」と感じる人が多く、ショートメッセージが多用されている。

 ウェブ上の「祝日には、どんな方法であいさつをしますか」との調査で、ショートメッセージを選んだ人は67・1%に達した。2002年の春節(旧正月)、バレンタインデーの頃には、毎秒470通の処理能力があるチャイナ・モバイルのサーバーがパンクしてしまったほどだ。

流行に乗り遅れたくない

携帯電話で父親の写真を撮り、日本の姉に送る

 街を歩くと、あちこちから音楽や鳥の鳴き声など、様々な呼び出し音が聞こえ、歩きながら電話を掛けている人があふれている。しかし、5年前にこんな光景はなかった。当時は、多くの人が腰にポケットベル(ポケベル)をぶら下げ、別れ際には、「何かあったらポケベルで呼び出してね」と言葉を交わすのが普通だった。

 ポケベルから携帯電話への過渡期には、高価な本体と固定電話より高い通話料に頭を悩ませた人が多く、通話料をどう節約するかが関心事だった。例えば、中国の携帯電話は双方向課金のため、普段は携帯電話の電源を切り、ポケベルの電源だけを入れておき、必要な場合のみ電話連絡するという対策を取っていた。

出掛ける際には、必ず携帯電話を持ち歩く蘇涵さん

 その後、携帯本体の値段と通話料が引き下げられ、いまでは、維持費を心配せずに使えるようになった。一方でポケベルは、ほとんど淘汰されてしまった。

 蘇さんは、1998年に携帯電話を使い始めて以来、すでに六台も買い換えた。ただ、一部の流行を追いかける女の子のように、見た目の良さで選んでいるわけではない。彼が好きなのは最新機能を備えた携帯で、いまは3台を使い分けている。彼の携帯は、友達から「リモコン」「レンガ」などとからかわれるほど大きいが、機能は最先端で、写真を撮影できるタイプ、PDA(パーソナル・デジタル・アシスタント)タイプなどがある。

2002年国際通信フェアでは、最先端の通信技術が披露された
若者は、最新の通信機器に興味津々
世界最先端の機器も、真っ先に中国市場に投入されるようになった

 多くの若者にとって、携帯電話は、手軽な通信手段であるとともに、ファッションになっている。もし、流行に敏感な若者が、数年前の機種を使っていれば、時代遅れの服を着ているのと同様にきまりが悪く感じるらしい。メーカーも、消費者の興味を引くために、より小さく軽く薄いタイプ、二つ折り式、スライド式、カラフルなデザインなど、趣向を凝らした新機種をとめどなく投入している。

 携帯の広告はテレビ、新聞、雑誌にあふれ、新機種が発売されれば、若く活力に満ちたイメージキャラクターが、商品をアピールする。

 しかし、一般消費者には、頻繁に携帯を買い換えるお金などない。そのため、「携帯の美容室」が人気だ。ここでは、個性的な携帯カバーやストラップ、各種シールなどを買える。

 携帯カバーは、以前は黒い皮のものしかなかったが、色も模様も選べるようになり、布製で刺繍のほどこされたものから、ネコ、イヌ、クマのぬいぐるみの形のものまである。ストラップには、アニメーションのキャラクターが多い。また、プリクラのような写真シールも作ってくれる。このようなショップは、特に若い女性に人気だ。

 ファッションへの関心の高まりが、巨大なマーケットを生んだ。世界の通信業界は、ここ数年、成長のきっかけをつかめずにいるが、中国は、数少ない好調な市場のひとつだ。昨年10月、北京では隔年開催の国際通信フェアが開かれ、二十数カ国・地域の600に近い通信設備メーカーと電信サービス会社が出展した。同フェアでの若者の人気の的は、カラー画面とカメラ機能付きの携帯電話だった。

急速に広まったネットワーク通信

天津新技術開発区には、1万人以上の従業員を抱えるモトローラの生産基地がある

 中国インターネット情報センター(CNNIC)の統計によると、98年以降、中国のインターネットユーザーは、半年ごとに200%の速度で増加している。ネットワーク通信は、すでに中国人の重要な通信手段となっている。

 蘇さんは、98年に大学に上がったばかりの頃のことを今でもはっきり覚えている。当時、遠くに住む昔の同級生とは、手紙で連絡を取り合うしかなく、一年足らずでたくさんの手紙が手元に残った。しかし大学2年になった頃、突然、電子メールやQQが手紙に取って代わった。QQは、中国でよく使われているチャットのツールだ。若者は、遠くに住む友人だけでなく、つい数分前まで一緒に講義を受けていた同級生ともQQで交流し、一緒にいる感覚を疑似体験する。

いたるところで目にする最新携帯電話の広告

 QQよりもさらに普及しているのが電子メールで、若者だけでなく、幅広い年齢層に使われている。江蘇省杭州市出身で、40歳に近い王岩さんは、大学入学のためにふるさとを離れて以来、ずっと異郷で暮らしている。父母との連絡は、もともと手紙を多用していたが、それが電話になり、いまでは電子メールに変わった。王さんは、「手紙は手間が掛かりすぎるし、届くまでに時間も掛かる。でも、電話だと簡単すぎる気がして、言い忘れも多い。その点、電子メールなら、文章が長くても短くてもいいし、発信もすぐにできる。こんな便利なツールはないよ」という。王さんの両親はすでに高齢だが、息子との連絡のために、苦労してパソコンとインターネットの操作方法を身につけ、ネットワークによってお互いの距離を縮めた。

 ネット上で人気のもう一つの通信手段は、「ネット同窓名簿」だ。これは、プロバイダが提供したサーバー空間に、自由に自分の出身校名を登録し、その下に自分のクラスのページを立ち上げることで、かつてのクラスメート同士が、好きな時に交流できるシステムだ。中国最大の「ネット同窓名簿」は、全国各地の小学校から大学までの数多くの学年、クラスのページが作られている。自分の学校やクラスのページを見つけたら、長年連絡が途絶えていた人と交流できるかもしれない。

通信産業の成長により、携帯電話のアクセサリー業界も活気づいた

 蘇さんは、時間を見つけてはネット同窓名簿を閲覧する。そこには、近況報告や懐かしい写真があり、温かさを感じることができる。長く離れ離れになっていた同級生との関係を、ネット同窓名簿が結びつける。ただ、このような交流をするのは、若者が中心だ。蘇さんは、父親に頼まれて父親のクラスを探したが見つからず、あきらめてもらうしかなかった。

 また、ウェブ上でのやり取りは、何も個人の交流に限ったものではない。現在、北京の多くの高級生活区の家主は、独自に「オーナーフォーラム」を設け、共通の利益を守るために、ウェブ上で隣人と意見交換をしている。高級マンションの望京新城A4生活区のフォーラムに参加する住民は、どんどん多くなっている。フォーラムを通して、球技、登山、会食などのイベントを企画するのは、もう珍しいことではなくなった。「セメントの壁」を打ち破り、それぞれが関心を寄せ合い、助け合い、交流することで、温かい雰囲気が生まれている。

伝統に挑戦するスピード社会

 ますます多くの人が新しい通信手段を身につけ、重視するようになったことで、伝統的な通信手段が姿を消している。

 2002年8月初め、中国電信は、中国大陸からシンガポール、台湾地区への一般電報業務を停止した。停止の1年前には、すでに「至急電報」サービスは、業務内容から消えていた。2001年には、中国各地の電報発信数は史上最低を記録し、北京を例にすると、1990年前後に4000万通強だった発信数は、2001年には3万余通になった。

 首から新型の携帯電話をぶら下げている程玉さんは、13年前、大学入学のために北京に来た日のことを覚えている。彼女は、荷物を置くと、すぐに学校近くの郵便局に出掛け、家族に電報で無事に到着したことを知らせた。その日、電報を打とうと待っていた人は、うんざりするほど多かった。

 電報全盛の時代を生きた人は、電報の料金が、文字数によって決まることを覚えている。一文字六角だったため、なるべく簡潔に表現しようとする人が多かった。使用率の高かった文字は、「安抵」(無事到着)、「×日接×次」(×日、×号列車で到着、迎えを頼む)、「家有急事速帰」(家に火急の用あり、すぐ帰れ)など。おそらく、電報のコストと文字の簡潔さのためだろう。これらの言葉からは、いまでは体感できない厳かさが感じられる。

現在の主な通信手段。左上より時計回りに、手紙、携帯電話、インターネット、ファックス

 蘇さんのオフィスには、斬新な万年筆の練習帳があった。練習帳に話題を振ると、彼は気まずそうにこう言った。「文字は、どんどん速く入力できるようになった。でも、自分の字がどんどん醜くなっていくことに気づいたんだよ。中国人として、漢字すらまともに書けないなんて、本当におそろしいことだよ」

 ある週末、娘が書棚から、私と夫が20年以上前に交わした手紙の山を引っ張り出してきた。興味深そうに読んで、時々、あの頃のことを聞いてきた。かつての出来事を思い出し、家族みんなで楽しい週末を過ごした。

 電話と電子メールは、個性的な筆跡に取って代わった。筆跡にはその人だけのものがあり、文字や行間から伝わってくる気持ちは、何物にも代えられない味わいがあった。

 現代の通信手段は、どんなに離れていてもすぐそばにいるような感覚を与えてくれ、誰もその誘惑には勝てないほどのスピードを手に入れた。しかし、人は「待つ」という行為を捨て、「想う時間」をなくしてしまった。生活の中で、これらを味わえなくなったことで、まるで、何かをなくしてしまったような気がする。

▽携帯電話の本体価格

 1990年代初めに使われていたアナログ携帯電話は、約3万元だった。94年頃からデジタル携帯電話が登場し、価格は1万5000元程度まで下がった。

 現在、市場には様々な機種が流通し、機能の豊富な高級機種では7000元程度する。一方、機能の少ない手ごろな機種は、1000元以下で手に入る。最も人気があるのは、1000〜2000元の価格帯だ。

▽携帯電話の通話料金
 中国の携帯電話は、電話を受けた側も通話料金を払う双方向課金システムを採用している。数社がサービス提供しているが、月極で基本料金を支払う携帯電話の通話料金は、1分約4角、プリペイドカード式携帯電話の通話料金は、1分約6角が相場。

 人気のショートメッセージ(携帯間メール)は、最高70文字を1〜2角で送信できる。最近はじまったマルチメディア・メッセージ・サービス(MMS)では文字制限はなく、写真も送信できる。

▽ITツール
 「IT」は情報関連技術、「ツール」は道具のこと。
 「ITツール」といえば、パソコンや携帯電話などの情報関連機器を指す。

携帯電話売り場には、ずらっと様々な機種が並ぶ