乾元2年(759)12月、杜甫は長い苦しい旅の末に成都にたどり着きました。その時の思いを杜甫は、「成都府」の中で「喧然たる名都会、簫を吹き笙簧を間う。信に美なれども与に適する無し、身を側だてて川梁を望む」と詠んでいます。にぎやかな大都会に来てその素晴らしさに感銘しても、旅先の心細さは変わっていないことがわかるのです。
しかし、成都は杜甫にとって僅かな間ではあったのですが、唯一憩いの場を得ることが出来たのです。ここで杜甫は、友人の高適や親戚の杜済などにも会い、様々な人の協力を得て「万里橋の西宅、百花潭の北荘」を建てます。これが今日の杜甫草堂の始まりです。
しかし、現在の杜甫草堂は、杜甫の詩からは想像も出来ないほどの公園になっています。それは、後世杜甫がいかに高い評価を得たかということの証なのかもしれません。当時の杜甫の生活ぶりは、彼の詩によらなければならないのです。
とにかく流浪の旅を続ける杜甫にとって、この草堂は、心休まる場所だったと思います。翌年の春草堂が完成して間もなく、近くにある諸葛孔明を祀った武侯祠を訪ねます。
蜀 相 杜 甫
丞相祠堂何処尋、錦官城外柏森森。
丞相の祠堂 何れの処にか尋ねん、
錦官 城外 柏 森々。
映階碧草自春色、隔葉黄リ空好音。
階に映ずる碧草 自ずから春色、
葉を隔つる黄音 空しく好音。
三顧頻煩天下計、両朝開済老臣心。
三顧頻煩なり 天下の計、
両朝開済す 老臣の心。
出師未捷身先死、長使英雄涙満襟。
出師未だ捷たざるに 身は先ず死し、
長えに英雄をして 涙襟に満たしむ。
【通釈】
諸葛孔明の廟は、何処に尋ねたらよいのか、成都の町の外、柏の木がこんもりと茂るところ。
階段に映る緑鮮やかな草は、まさに春の色、木々の葉を隔てて鳴く黄リはただいたずらに好い声で鳴く。
劉備が三顧の礼をとって、頻りに孔明を訪れ、天下を安定させることを問い、孔明は二代に渡って補佐し、重臣として心を傾けた。
軍を発して勝利せぬまま死んでしまい、後世の英雄達に長く涙を一杯にさせている。
この詩が、今までの杜甫の詩と趣を異にするのは、武侯祠の様子を客観的に詠っている点でしょう。しかし、よく読んでみると諸葛孔明への杜甫の思いがよく伝わってきます。
二句目の「柏」は、貞節を守った忠臣の形容ですから、きっと自分と比較しての思いだったはずです。また、三句・四句での「階に映ずる碧草自ずから春色、葉を隔つる黄リ空しく好音」の「自」と「空」は、先に詠まれた「春望」の「国破れて山河在り、城春にして草木深し」「時に感じては花にも涙を濺ぎ、別れを恨んでは
鳥にも心を驚かす」を思い起こさせます。
自然のたくましさと人事の空しさをこの二文字は、見事に表しています。乱れた世の中に英雄を待望する気持ちが表れていると同時に、時の流れの中に世の無常を感じ、草木の自然の営みをふと振り返る時、諸葛孔明を慕う杜甫の気持ちと時代の非常を感じることが出来ると思うのです。
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