【上海スクランブル】


焼き小籠包とリニアに思う
                             須藤美華

一見そうめんのような豆腐のスープ

 上海名物、生煎(焼き小籠包)を作り続けて60余年。そんな名人が上海の北部、宝山区陽曲路にいると聞いたのは、昨年の夏が終わる頃だっただろうか。一度食べたいと思いながらも、日々の雑事を前に忘れかけていた。年末も押し迫った頃、名人の存在を教えてくれた友人から「名人が年内で店を閉じるらしい」と聞いた。食べずじまいだったと落胆しながら03年を迎えて、はたと気づいた。

 お正月って、ここは中国なんだから春節(旧正月)のことでしょ。とすればまだ間に合う!1月12日、日曜早朝。勘違いに気づいたら、じっとしていられなくて店に向かった。番地が近づく。なかったらどうしよう。どきどきしながら歩いていくと、あった! 「陽曲酒家」の看板だ。

 地元の人で込み合う小さな店内をぐるりと見回した。目があった女性の店員さんに名人のことをたずねると、気をきかして呼んでくれる。友人の名を告げると、「よく来たね」。深くしわが刻み込まれた名人の顔から笑みがこぼれた。作業場と店内を行き来しながら、私の前で嬉しそうに立ち止まる。

 「熱いうちにお食べ。ほら、もう一杯豆乳を飲みなさい。体が温まるから」

 生煎は、小籠包をフライパンで軽く焦げ目ができるまで焼いたもの。上海の朝食、昼食の定番で、4個で1・5元(1元は約15円)。皮が薄ければ、すぐに破れて中のスープが飛び出すし、厚ければ口の中でもたもたして旨みがない。小籠包も大きければいいというものでもない。街のどこでも食べられるが、おいしいと唸らせるような店は少ない。

 名人の作る生煎は大きすぎず小さすぎず、程よい大きさ。皮も厚すぎず、薄すぎず。スープもコクはあるが、塩辛くはなく、後味も残らずすっきりしている。掛け値なしに、ウマい。

 名人の名は沈仁根さん、77歳。12歳でこの道に入って65年になる。沈さんの生煎は毎日食べても飽きない、素朴で優しい味がした。

 沈さんが店に出るのは朝だけ、客たちが朝食をすませ出勤する8時半になると、店は閉まる。昼の営業は、弟子たちだけで開店する。こぎれいなチェーン店が近くにできて、最近客が入らなくなった。年齢も年齢だ、経営も年々厳しくなっている、この年末で店じまいを決めた。

リニアモーターカー 3月から運行開始

テスト運行を楽しむ大勢の人たち

 この日、もうひとつの目当ての場所に私は向かった。地下鉄2号線に乗って、竜陽路駅で降りる。世界初の実用化を実現した磁気浮上式リニアモーターカーに乗るためだ。01年3月に着工、突貫工事で進められてきたが、02年12月31日に試験運行の開通式が行われた。朱鎔基総理と、技術を提供したドイツのシュレーダー首相が出席して行われたその様子は、日本のニュースでも流された。

 3月の正式運行を前に、1月の土日と春節期間中は、一般公開でテスト運行されている。リニアは、浦東国際空港│竜陽路間30キロを約八分間で結ぶ。テスト運行は往復乗車で、150元。すでに人気の観光スポットになっていて、事前予約しないと乗車できないらしい。

流線形が美しいリニアモーターカー
最高時速430キロ

 案の定、当日券は売り切れ。1日8便運行しているというのに、翌々週の切符しかないという。観念して、ダフ屋から200元で購入。いそいそと、ホームへ上がる。待つこと20分、静かにリニアがホームに入ってきた。流線形の美しい車体、明るい車内。走り出すと、車内の電光掲示板に時刻と現在の運行速度が出る。出た! 最高時速430キロ。発車前に、走行中は立ち上がらないようにとアナウンスがあったが、揺れはほとんどない。

 走行距離が短いこともあってか、ほかの乗客も淡々としたもの。もっと興奮沸きあがるかと思ったが、そうでもない。リニアなんて遠い世界のものと思っていたが、ここ上海ではもう「日常」的なものなのだろうか。

 65年点心だけを作り続けてきた職人が静かに暖簾を下ろし、一方で世界初のリニアモーターカーが走り出す。上海の街は今、大きく変わろうとしている。新しいモノは大好きだが、沈さんの生煎のような素朴な温かさを感じられる街でもあってほしい。そんな願いは贅沢すぎるだろうか。