成都にたどり着いた杜甫は、翌上元元年に、成都郊外の浣花渓のほとりに草堂を建てます。この時期の杜甫の詩は、今までの詩に比べると読んでいる私たちもほっとさせられます。
私は、成都の杜甫草堂を四十回以上訪ねました。勿論杜甫と同じように、杜甫草堂博物館館長の丁浩氏や成都にいる数十人の友人を訪ねるためです。いつも杜甫草堂を訪れると静かなたたずまいの中に茶館でお茶を飲む人々の談笑や、鳥の鳴き声と竹のざわめきの中に杜甫がいるように思えるのです。
私のような客人に対してこの草堂はいつも暖かいのです。杜甫は貧乏で流浪の旅をしていましたが、成都でのおだやかな日々が今も草堂の中に息づいているように思えるのです。
今回は、『全唐詩』の注によれば、崔某が草堂を訪ねてきた時の詩です。
客至る 杜 甫
舎南舎北皆春水、但見群鴎日日来。
舎南舎北 皆春水、
但だ見る群鴎 日々に来る。
花径不曽縁客掃、蓬門今始為君開。
花径曽つて 客に縁りて掃わず、
蓬門今始めて 君が為に開く。
盤ソン市遠無兼味、樽酒家貧只旧ハイ。
盤ソン市遠くして 兼味無く、
樽酒家貧にして 只だ旧ハイのみ。
肯与隣翁相対飲、隔籬呼取尽余杯。
肯て隣翁と相対して飲まんや、
籬を隔てて呼び取りて余杯を尽くさん。
【通釈】
家の南も北も、皆春の水で溢れ、カモメの群が、毎日やって来るのを見るばかり。
花の咲く小道は、客がないので掃除もせず、粗末な門を、今貴方のために開くのです。
皿に盛るべき食物は、市場が遠くあまりありません、樽の酒も家が貧しく、ただ古い濁り酒があるだけ。
あえて、隣の老人と差し向かいで飲むことを承知なら、まがき越しに呼んできて、残りの酒を飲み尽くそうではありませんか。
一、二句の起聯を読んで下さい。成都の春景色です。蜀は、杜甫の故郷に比べれば、暖かく水は縦横に走り、田圃ではお米が取れます。寒い冬を長安から天水、同谷、剣門を越えてきた杜甫にとって水温む浣花渓の出だしの句に、満面の笑みを感じます。
三、四句の頷聯は、友達がやってくるそわそわした杜甫の姿が浮かびます。
五、六句の頸聯は、自らの貧乏生活を述べていますが、前の句を受けていることを思えば、友の来訪がいかに杜甫にとって嬉しいことかが分かると思うのです。
ですから七、八句の結聯で、友と酌み交わす酒が少ないが隣のおじいさんを呼んで一緒に飲もうと言っています。隣のおじいさんはどんな人でしょう。分かりませんが、酒好きだがきっと気のいい人だったに違いありません。
一寸ユーモラスで友人を大事にする中国人らしい詩だと思うのです。貧乏でもこんな和やかな詩は、これまでもこの後も、杜甫の詩にはほとんどありません。このころの杜甫が落ち着いた生活を送っていたことが分かります。
やはり、このころの作品だと思うのですが、成都の春を喜ぶ詩で私の好きな詩に「春夜雨を喜ぶ」という詩があります。
「好雨時節を知り、春に当たって乃ち発生す。風に随って潜に夜に入り、物を潤して細やかに声無し。野径雲倶に黒く、江船火独り明らかなり。暁に紅の湿う処を看れば、花は重からん錦官城」
どちらの詩も成都の春を詠って美しいのです。雨が少なく乾燥している長安と違って、成都はほとんど晴れることが無く雨の多い土地です。その雨の恵みが杜甫には嬉しかったに違いありません。
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