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日本企業が中国に雪崩を打つように参入してきている。2001年の一年間だけで、日本の対中投資は前年に比べ60%も増え、史上最高を記録した。
中国で生産された製品が、中国国内の大きな市場で売られ、また、日本へ向け輸出されている。2003年1月に日本の財務省が発表した2002年の貿易統計(速報)によると、中国は、日本の最大の輸入相手国となった。
いまや中国は、日本にとって二つの顔を持つ国となった。一つは「巨大な市場を持つ国」であり、もう一つは「貿易大国」である。
しかし、中国の企業の成長も著しい。欧米の対中投資も活発だ。中国に投資した日本企業は、厳しい競争にさらされ始めた。
日本企業がこれから中国でさらに発展するには、何が必要なのか。それをさぐるためにまず、中国の人々の目に日本企業や日本製品がどう映っているかを知ることから始めたい。
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生産されたばかりの「威馳」(撮影・馮進) |
「天津豊田汽車有限公司」の組み立て工場では、200人以上の労働者が忙しく働いている。組み立てラインの最終地点には、斬新な型の乗用車が一台ずつ姿を現してくる。これは日本のトヨタが中国に投資し生産を始めた「威馳(VIOS)」である。
工場の上部には、デジタルの電光板が架けられている。そこには二つの数字が示されている。一つは現在の時刻、もう一つは、その日の生産計画台数だ。
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天津トヨタの田中文工場長(撮影・馮進) |
終業時刻の30分前、電光板上の「70 輌」という表示が突然「72輌」に変わった。中国人工場長の田中文さんはこれを見るなり小声で「おお、今日は二台多いな」とつぶやいた。
田工場長の説明によると、2002年10月に「威馳」が正式に生産を始めて以来、車を買いたいと言ってくる人が引きもきらず、トヨタはその応対に追われているという。すでに予約は2004年の生産分まで入っているとのことだ。
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天津トヨタの梅原有二総経理(撮影・馮進) |
生産を始めたばかりの「威馳」が、どうしてこんなに中国人に人気があるのだろう。公司総経理の梅原有二さんは「『威馳』はもっぱら中国の家庭の需要に合わせて設計したからです」という。
確かに「威馳」は車体が小さく、運転は非常に楽で、乗り心地も良い。ある自動車セールスマンによると、「威馳」の価格は、型によって異なるが、11万元から16万元(日本円で約170万円から240万円)で、自家用車を買いたいと思っている中国の家庭には比較的適当な値段だという。
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広州でホンダが中国と合弁で生産している乗用車「雅閣(アコード)」の生産ライン(撮影・郭実) |
トヨタに先駆けて中国に投資したのはホンダである。「本田汽車北京公司」のセールスマン、呉哲さんは「2002年にホンダの車は、北京地区だけで月平均300台前後売れました。そのうち、家庭用や私営企業用が半数以上を占めています」と言っている。広州のホンダも2003年中に、家庭用の新型車種を生産する計画だという。
実際、世界のほかのメーカーの車に比べて、日本車は中国人には良い印象を持たれている。北京にあるホンダの専売店で偶然に出会った李さんは、長く日本車に乗ってきたが、今度は奥さんのために車を買いに来て、迷わずホンダの車を選んだという。「日本車は、アメリカやドイツの車に比べガソリン消費量が少なく、性能も良い。家庭用として使えば経済的にも実利がある」と李さんは言うのだ。
トヨタやホンダばかりでなく、経営戦略の観点から、日産、三菱、マツダなどの日本の自動車産業も、新年度から中国への投資を大いに拡大しようとしている。昨年12月には、日本の三菱が湖南長豊公司、北京吉普公司とそれぞれ協定書にサインした。
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2003年初頭、広州ホンダは新型の「雅閣」の生産を開始したが、その性能と価格で、中国の自動車市場に大きな衝撃を与えた |
また、日本の電子、通信、サービスなどの産業も2001年と2002年の2年間は、中国への投資がブームとなった。昨年11月に日立は、中国海信公司とともに「日立海信有限公司」を新設し、商業用クーラーの共同開発を始めた。
日本の強い生産力や日本企業の繁栄の原動力となってきた中小企業も、次々に中国にやってきた。日本貿易振興会(ジェトロ)の北京事務所長の江原規由さんは「日本企業が世界の中でやって行ける所以は、こうした中小企業のおかげなのです。現在、中国の広州、江蘇、浙江などには、日本の中小企業が多く集まってきています」と言う。
2002年10月末までに、中国における日本の投資の累計は、2万4636企業で、契約ベースで日本の投資金額は429億3900万ドルに達している。2001年のわずか1年だけで、日本企業が中国に設立した新しい企業は2019社にのぼり、前年に比べ25・09%増加した。今世紀初めの数年間は、日本企業の中国への投資は引き続きピークを維持すると予想されている。
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2002年10月、上海・浦東に、ソニーが中国で初めて建設した「数碼」(テジタル)夢想街」。デジタルを使った最新の機器などを人びとに提供する場になっている。 |
中国に対する日本企業の投資の波は、だいたい1980年代に始まった。つまり中国が対外開放政策を実行し始めた後に始まったのである。もう一方で、1985年の「プラザ合意」(ドル安に誘導するという米国、日本、EUの合意)の後、日本円は米ドルに対し、1ドル=240円から1ドル=120円に上昇した。
これによって一部の日本企業が次々に海外に目を向けはじめた。中でも低廉な労働力市場を持つ中国が、それらの企業の重点的な選択の対象となった。
真っ先に中国の市場に参入してきたのは家電業界である。80年代に、日本の日立は、中国・福建省に最初の中日合弁企業を設立した。そこで生産された「福日テレビ」は、その優秀な品質によって、全中国で一世を風靡した。買い手が多くて生産が追いつかず、引き換え券がなければ買えなかった。
「福日テレビ」以外にも、当時、日本の家電製品はみな中国の消費者に熱狂的に歓迎された。自分の家に日本製の家電製品が一台あると、誇らしく感じた人さえいた。
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日本のNTTドコモは中国の消費者に向け、新製品を展示している(撮影・馮進) |
ある雑誌社で働いている魯さんは、今もって日本製の家電製品に対する熱狂的な崇拝者である。彼は1985年に松下のカラーテレビを一台買った。そして15年近く使ってきたが、画像は依然として鮮明だった。
あるとき、子どもが遊んでいて、誤って一メートルの高さの机からテレビを引きずり落としてしまったことがある。これを見て彼は「これで一巻の終わりだ」と思った。しかしテレビは、外枠が壊れただけで、依然はっきり映っていた。「すごい」と魯さんは思った。
八〇年代に日本企業は中国市場でしっかりした基礎を固めた。2002年に中国の雑誌『財経界』が300人の一般消費者を対象に実施した調査によると、家電製品を買った消費者のうち36%の人が「日本製を選ぶ」と答え、やはり36%の人が「中国国産を選ぶ」と回答した。「欧米の家電製品を選ぶ」と答えたのはわずかに14%だった。このように、中国人の心の中では、日本の家電製品の地位は依然、牢固として高い。
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2003年2月、上海・浦東に建設された世界一のノッポビル「上海ワールド金融センター」の模型の前で記者会見する森ビルの森稔社長 |
もちろん、36%の人に選ばれたからといって、日本製品が枕を高くしていられるとは限らない。中国経済が次第に発展するにつれ、中国人の購買力も非常に大きくなってきた。完全に開かれた市場もまた、消費者に大きな選択権を与えた。その結果、日本製品も、日増しに激しくなる競争に直面している。
現在、松下、シャープ、東芝などの有名ブランドの電器メーカーは、自己の目標を、液晶テレビやプロジェクションテレビ、デジタルテレビなどの高品質製品に定め、中国の消費者を引きつけたいと望んでいる。こうした政策は効を奏しているようだ。
中国の「夏普(シャープ)有限公司」営業部の北方課課長をつとめる趙淵さんは「シャープが中国市場で液晶テレビを売り出してから、毎月の販売台数は約千台で、同業各社のランキングの上位に位置している」と言っている。
ソニーや松下などのハイテクのオーディオやビデオなどの製品は、依然、売り場の大半を占領している。もし試しに誰か中国人に、「高級なウォークマンを買うとしたらどの国のものを買うか」と尋ねてみたら、返ってくる答えは間違いなく「日本」だ。
日本企業が中国でさらに発展するのに伴って、一部の問題も表面化してきた。2000年から相次いで、三菱パジェロのブレーキ管の油漏れ事件や東芝のノートパソコンの中国消費者に対する賠償拒否事件などが発生した(注参照)。これによって中国人の気持ちの中にある日本企業のイメージは大きな影響を受け、一部の中国人の間では、これに反発する民族的な感情さえ生んだ。
中国で日本企業の問題が次々に発生することについて「欧米企業は中国でうまくやっているのに、どうして日本企業は問題ばかり起こすのか」と疑問を持つ人もいる。
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日本の家電は高い技術と高品質によって中国市場で優位性を保っているが、急速に発展する中国国内の家電製品に追い上げられている |
ホンダのセールスマンの呉哲さんは「一部の問題は、日本企業が中国の状況をよく理解していなかったから起こったのです」という。「例えば自動車。中国の道路状態と日本とは大きな差があります。日本で組み立てられた自動車は、中国に着いてから改造を施し、はじめて道を走ることができます。三菱パジェロの事件は、おそらくこうした問題でしょう」
長い間、欧米企業と付き合ってきた国際的な渉外公司の経理をつとめる張勇さんは「日本人は商売が下手だ」と考えている。彼は慈善事業を例にとって「日本企業は欧米企業のように、中国での慈善事業に力を入れるようなことが非常に少ない。これは日本企業の経営上の欠点です」と指摘した。
2002年5月18日、トヨタ、日立、三菱、オムロン、花王など、日本企業の渉外部門の責任者たちによって組織された代表団が、北京と上海を訪れた。そこで代表団は、IBM、ノキア、フォードなど、欧米のイメージが良い有名企業や、国際公関(渉外)協会、一部のメディアを一週間にわたって訪問した。
それに参加した団員の一人は、感慨を込めてこう述べたのだった。「中国と日本の文化の違いは本来はっきりしている。それに加え、近年、中国の経済環境やメディアの状況に変化が起こっている。このため、もしその変化に進んで対応して積極的に方針転換をしなければ、そして十数年前の中国市場や中国のメディアに対する印象で中国における日本企業のイメージを維持しようとするならば、日本企業は次第に、中国市場での現在の優位性を喪失していくだろう」
中国対外経済貿易合作部の投資促進処処長の曹宏瑛さんは、日本企業がなお真剣に中国市場を研究する必要があると考えている。「日本企業の中国市場に対する理解は足りなすぎる。彼らは対中国投資についてもっと頭を働かさなければならない」と彼は言うのだ。
「グローバル化したコカコーラを飲んでいる人はいない。皆さんの手にもっているコーラは、みな現地化したコカコーラ社から買ったものだ」。これはコカコーラの新総裁に就任したタフト氏が、多国籍企業の現地化を推奨する話の中の一節である。
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中国におけるキャノンの発展戦略について講演するキャノンの御手洗CEO |
米国の雑誌『フォーチュン』の統計によると、多国籍企業の中でもっとも現地化に成功したのは、米国のモトローラ社であるという。天津モトローラ社のメディア部主任の陳雷さんは取材に対し「モトローラの中国市場での十年来の経験を総括すれば、現地化こそモトローラに最良の収益をもたらした重要な原因だと言える」と答えた。
陳さんによると、モトローラの天津の携帯電話製造工場は、世界最大の生産基地であり、この基地には一万人以上が働いているが、そのうち会社の経営管理層の80%は中国人で占められている。モトローラは、中国人の方が中国の市場をよく理解しているので、彼らを任用することが中国における企業の発展に利すると考えている。
現地化の問題でも、日本企業は欧米企業に比べて明らかに差がある。北京のNEC傘下のある社には200人以上が働いていて、その絶対多数は中国人なのだが、会社の中層以上の職員に、中国人はたった一人しかいない。
この企業で働いている、ある中国人スタッフは「日本の会社は等級制度が非常に厳格で、中国人は一般にもっとも基本的な仕事をするだけなので、会社の中で出世するのは非常に難しいのです」と明かした。彼女の会社は人の流動性が非常に高く、ここでは自分を発揮できないからと職場を去る人が少なくない。
長い間、日本企業で働いてきたある中国人は「中国の日本企業の中で、中層以上の管理層のうち、中国人の占める比重は10%に満たない。日本企業ではほとんど出世の見込みがない」と話している。
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キャノンは2002年9月、北京で開催した企業博覧会「博覧佳能」を開催した |
ソニーはおそらくこの面で先進的な会社だろう。ソニー(中国)社の人材資源部部長の張燕梅さんは、この職に就任した最初の日に、上司からこう言われた。「ソニー(中国)は、考え方の面では国際化しなければならず、行動面では現地化できる」。ソニーは、純粋な意味での日本企業の考え方からすでに脱却したことを示しているかのように見える。
しかし、張さん「ソニーは人材の現地化をあまり重要には考えていない。会社のあるポストに空席ができると、全世界の中からそれに適した人材を選抜するからです」と言っている。ソニーは、国際化と現地化との間にまだ一定の距離があるようだ。
しかし、中国に出てきた日本企業の中にも、現地化することのメリットを実際に認識した企業もある。富士通はその中の一つだ。
富士通は中国に30社以上の会社を開設しているが、その中の一社だけ、総経理が中国人だ。そしてまさにその一社の収益がもっとも大きかったのである。その原因は、中国人の総経理が中国の市場を熟知していたからに違いない。
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ジェトロ北京事務所の江原規由所長 |
日本企業の現地化が遅れていることは、日本企業のイメージにも多かれ少なかれ影響を与えている。ある調査機関の調査によれば、中国の大学生は卒業の際、大多数がIBMやフィリップス、マイクロソフトなどの欧米企業を選択し、日本企業を選ぶ者は非常に少ない。
大多数の中国の大学生の目には、日本企業の多くは融通が利かず、保守的だと映っている。これに比べ欧米企業は、非常に開放的で、職員個人の創造的な発展を重視する。だから日本語を専攻した学生以外には、日本企業を選ぶ者は非常に少ない。
この問題について日本の関係者も悩んでいるようだ。ジェトロの江原所長は「現在の中国の学校では、ほとんどが英語を第一外国語としていて、日本語はきわめて少ない。これによって現在の中国の若い人たちが心理的に米国や欧州に傾いてしまう原因になっている」と指摘している。
いずれにせよ中国人の目から見ると、日本企業が現地化するには、まだ相当の距離がある、と映っているのは確かだ。
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北京・大興区の亦荘につくられた北京経済技術開発区の中には、千社を超す外国と中国の企業が工場を開設している。その中には、松下、三洋、楽天、日邦、資生堂などの有名な日本資本の企業もある |
15年前、当時、北京市政府の電子弁公室主任だった張仲文さんは、中国側代表として、北京に初めて誕生した中日合弁企業、「北京・松下彩色顕象管有限公司」の設立を促進した。しかし現在、「松下電器(中国)有限公司」の副社長である張さんは、また松下がさらに発展するための重大問題に忙しく取り組んでいる。それは「松下電器(中国)」を「合弁」会社から100%日本側が出資する「独資」会社に変える仕事である。
松下と中国とのかかわりは、1980年、85歳の高齢だった松下幸之助の第二回中国訪問から始まった。そしてこれまでに、松下は中国に48社の合弁企業を設立した。その中にはメーカー企業が41社、投資総額は75億ドルに達する。
張さんの所属する「松下電器(中国)」は1994年に成立した。当初は、中国側株主の三社が株の40%を持ち、日本側は60%だった。後に企業は増資し、中国側の持ち株比率は減少していった。現在、中国側の持っている6・7%の株は、すでに日本側に譲渡する協議が終わった。
10年以上にわたって日本企業と付き合ってきた張さんは、彼が読んだ一冊の本を引用する。その本には「全世界で、合弁企業はすでにもっとも経営が難しい企業になっている。その重要な原因の一つは、異なる文化と文化の衝突にある」と書いてあるという。
合弁は本当に難しい点が多い。現在、中国に投資した日本企業は、「合弁から独資へ」が一つの潮流になっている。こうした現象に対し、多くの中国人がパニックに陥っている。「日本企業が合弁から独資に変わるのは、中国本土の産業を押しつぶそうとするためだ」と言う人もいる。
しかし一部の学者や専門家は、違った見方をしている。それは独資企業の増加は、中国の市場が徐々に成熟してきたことを明らかに示している。90年代以前は、中国は合弁という形式によって、自分の市場を外国の技術や資本と交換してきた。今、中国はWTOに加盟し、中国市場はさらに一歩、成熟したものになった。中国の企業も、外国の企業と公平な競争をしなければならない。これは中国の市場にとっても良いことである、というのだ。
ジェトロの江原所長は「合弁は、投資する企業が中国の市場をまだよく理解できない状況下で、中国の政策の制約下で生まれた特殊な産物である。独資は、企業の経営および利潤の分配にとって有利であり、独資こそ最終目標であるというべきだ」と述べている。
中国における日本企業のもう一つの変化は、長い間、中国を生産基地の一つとしか見てこなかった日本企業が、これからは中国を研究開発の基地としようとしていることだ。中国に29の企業を開設した東芝は2001年、北京に、日本、米国、英国に次ぐ世界で四番目の研究開発センターを開設した。東芝の岡村正社長は「東芝は中国を、単純な生産基地としてではなく、すべてが整った市場として対応していきたい」と述べたという。
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中国の金融政策の開放に伴って、多くの国の金融機関が次々に中国の金融の領域に進出しているが、日本の銀行も負けていない |
また、日本企業の「お家芸」と言われる金属金型も、いまや中国で購入できるようになった。2001年に一流の精密な金属金型製造技術をもつ不二精機が、中国・蘇州に自社の設計基地を開設したからである。
長い間、金属金型は、日本企業が国外に持ち出さず、技術の秘密を守ってきたものだ。不二精機が方針を転換した重要な原因は、その製品のお得意さんである日本企業がすでに、続々と中国に進出したからである。
不二精機の伊井稔総裁は「本心を言えば、日本国内ですべての生産を完成させたい。しかし、東京の大田区にある八千の中小企業や東大阪の六千の中小企業はジリ貧状態にある。これとは対照的に、中国の深ロレや東莞を中心とする珠江デルタ地区や長江デルタ地区に、約十万の中国の中小企業が集まっている。しかもその数はますます増えている。こうした状況下で、日本市場を死守するなら、その結果は火を見るより明らかだ」と述べた、と伝えられている。
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広州ホンダが中国各大都市に開設している販売サービスセンター |
中国社会科学院日本研究所の馮昭奎教授は「欧米企業や中国国内の企業が日本企業と競争するようになるにつれ、日本企業は中国に進出する際に、自らのもっとも進んだ技術を示さざるを得なくなった」と分析している。
しかし、シャープの趙課長の意見は違う。「日本企業は決して自社の持つ核心的な技術を中国にもってこようとはしない。いわゆる研究開発される製品も、それ以前のもっとも進んだものを超えることはない。日本企業が見ているのは依然、中国の低廉な労働力なのだ」
こうした趙課長の説に根拠があるかどうかにかかわらず、日本企業は中国市場をますます重視していることは確かである。日本企業がどのように変化するにせよ、中国は日本企業の関心を十分集め続けるだろう。なぜなら、中国には13億の人口という巨大な潜在的市場があり、無限の商機と発展の可能性があるからだ。
【注】
三菱パジェロ事件
2001年、三菱パジェロのV31、V33の二種の、もっぱら中国のために設計されたランドクルーザーに、ブレーキ管の油漏れが起こり、死傷事故が発生した。検査の結果、この二種の車両に重大な設計の欠陥があることがわかった。その後、三菱は全世界から、問題が潜在している150万台のパジェロをリコール(問題のある車を回収し、修理すること)したが、中国のV31、V33のリコールは拒否した。このため消費者と三菱の間に紛争を引き起こした。
東芝ノートパソコン事件
2000年4月、東芝は、自社のノートパソコンのFDC(フロッピーディスク・ドライブ・コントローラー)に欠陥があることを発見し、米国の消費者に対しては十億ドルを賠償した。しかし、中国にはそれに関する法律がないことを理由に中国の消費者への賠償を拒絶した。この後、中国のいくつかの法律事務所は合同で、数回、書面意見を提出した。
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