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衛生部副部長の朱慶生氏(写真・王浩) |
北京市の南部、大興区旧宮鎮(町)に住む任広有さん(67歳)は今年1月、領収書を手にして、同鎮の医療費決算センターへとやってきた。ここで、自分の医薬費3万元(1元は約15円)を受け取った。それは彼が昨年7月、地元の「農村協同医療」に加入してから、初めて手にした医薬費(控除額)であった。
農村協同医療というこの新しい言葉は、先ごろ開かれた中国人民政治協商会議(政協)第10期全国委員会の席上、委員たちから何度も提起されたものだ。政協委員で、中国衛生部副部長(副大臣)の朱慶生氏は、「今年の『両会』(全国人民代表大会と政協)において、農村協同医療制度は、委員たちの注目の的となったホットな話題であった。それは今後、中国農村事業の最大の焦点となるだろう」と語る。
任広有さんは昨年7月、農村協同医療に加入した。規則に従い毎年30元を納めれば、大病をした際、最高額で3万〜4万元の医薬費を受け取ることができる。昨年12月、彼は突発性の心筋梗塞で入院をした。8万元の医療費を支払ったが、一カ月の収入がわずか2000元の八人家族からすれば、それは決して安い額ではなかった。しかし、協同医療制度によって、医療費のうち3万元が控除された。任広有さんは、自分の協同医療証書を持って、こう言った。
「これはみんなで助け合う制度ですね。自分のお金の一部を、最も困っている人へと回す。こんなに素晴らしい制度が、どうして早く施行されなかったのでしょうか?」
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新設された社区衛生サービスステーションで、診察を受ける馬さん |
試行中の農村協同医療制度は、農民の治療が難しいという、農村の医療問題を解決するためのものだ。農民個人と集団、地元政府が共同出資し、設立をする。大病にかかった人を全面的に救護するという新しい医療制度だ。2003年から、中央財政部門は都市部を除く中西部地域で、新しい協同医療に加入する農民に対して、毎年一人あたり10元の医療補助金を出す。地方財政部門も毎年一人あたり、少なくとも10元の補助金を出す。それにより、この地方の農民たちの協同医療加入を促すのである。
朱慶生氏は「制度推進の重点は、中国の農民たちの医療の難しさや、病気が治療できないという問題を解決することにある。現在は、各省にテスト地区があり、2010年には全国でいっせいに行われる予定だ」と語る。
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旧宮鎮の任広有さん |
中国の農村における「医療の難しさ」は、農民生活を悩ます重大な問題だ。もしも豊かになりつつある家族に病人がでれば、その家はすぐに貧困に陥るだろう。「病のために貧する」という現象は、中国の農村ではしばしば見られることである。
以前、河北省の病院で目にしたが、ある日、3人家族の7歳の子どもが気絶したと運ばれてきた。病院で診察してもらうと、先天性の心臓病だった。この決して豊かとは言えない家庭にしてみれば、それは一撃を食らうほどのショックであった。子どもの命を救うために、夫妻はあらゆる親戚や友人から借金をして回った。しかし、それでもなお手術にかかる数万元に満たなかった。子どもの病床の前で、父親は激しい焦りと失望をあらわにしていた。
彼らのように、医療費が負担できない家庭はまだ多い。これに対して、中国国務院(中央政府)発展研究センター副主任の陳錫文氏は、こう指摘する。
「現在、農民の医療費負担は90%、都市住民のそれは60%。しかも、農民の収入は都市住民のわずか3分の1でしかない。これでは相当多数の農民が、病気になっても治療できないことになる」
衛生部副部長の朱慶生氏は、政協第10期全国委員会第1回会議でこう述べた。
「中国は全面的に『小康(いくらかゆとりのある)社会』を建設するが、医療衛生は重要なポイントだ。その中でも最も重要かつ難しいのが、農村の医療問題である」と語った。こうして見ると、新しい農村協同医療制度は、農村医療問題の解決のために歩み出した大きな一歩となっている。
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大興区に新設された社区衛生サービスステーション |
大興区は、北京郊外において最も早く協同医療制度を実施した地区の一つだ。衛生局課長である孫福祥氏は「大興区は、早くも3年前にこうした事業を行ってきた。まず、新しい社区(コミュニティー)医療院を建設し、農民の医療問題を解決した。2001年からは、1年の歳月をかけて、区内に148カ所の社区サービスステーションを建設した。平均すれば、3〜5の村に衛生ステーションが一つずつあり、一つのステーションには3〜5人の医務員がいる」と言う。
大興区旧宮鎮のある衛生ステーションでは、馬さんというおじいさんが、こう言った。「ここの医療条件はすばらしいですよ。昔の村の病院と比べたら、ずっとよくなりました」。馬さんは心臓病を患っており、毎日ここで点滴を受けなければならない。衛生ステーションの医務員は、馬さんが寒くないように、わざわざ電気暖房を購入してくれたのだという。
大興区ではまた、各村の従来の医務員に対して、調査を行った。それにより、何人かの医者に新しい衛生ステーションに入ってもらった。必要なトレーニングを行い、医務人員の仕事のレベルを高めた。
農村協同医療制度を宣伝するため、孫福祥氏は担当者をつれて農村へ行った。彼らは宣伝用のブックレットを印刷し、一冊ずつ農民の手元へと配って回った。この制度は、多くの農民の歓迎を受けた。新しい協同医療制度は昨年7月、大興区の旧宮、青雲店、楡バツの三つの鎮で、他にさきがけて試行された。
三つの鎮の人口は、8万人あまり。協同医療に加入したのは、6万人近くであった。試行されて半年、入院治療を受けた600人以上の農民が協同医療制度による医療費控除を受け、三つの鎮の医療費控除額は、合わせて131万665・69元に上った。孫福祥氏は「スタートしたとき、多数の農民がこの制度を歓迎しましたが、政府の保障が信じられないと加入しない少数派もいました。加入した農家でも、医療費控除を受ける際にようやく信じたほどでした。それでも申請してから6カ月後に、やっと加入できるのです」
農村協同医療は旧宮鎮で行われ、大興区の農民たちに多大の影響をもたらした。同鎮の耿副鎮長は、こう語る。
「制度はここに大きな変化をもたらした。農民の衛生意識が急速に高まりました。農民は病気になれば病院に来て、診察を受けています。医薬費が高いのを恐れて、診察をこばむことはなくなりました」
村人の蕭艶琴さんはこう言った。「協同医療に加入してから、なんだか自信がつきました。補償金額は多くはありませんが、少なくとも一定の保障があります」
耿副鎮長は、「医療衛生事業に協力するために、わが鎮では定期的に専門家を呼び、村人のために衛生知識を講義してもらっています。またこれから毎年、定期的に農民たちの健康診断を行って、農民たちの予防意識を高めます」
その実、中国の農村における協同医療制度は、決して初めて行われたものではない。中国は1950年代にも協同医療を行った。当時は新中国が成立したばかりで、農村はきわめて立ち遅れた医療衛生状態にあった。政府は、村、町、県などの行政単位に多くの衛生ステーションを設け、農民を診察する多数の医療チームを農村へと送り出した。その後、農村には協同医療衛生ステーションとステーションで働く「はだしの医者」(農業に従事しながら、農民に医療を施した養成された医師)が現れて、農民たちの健康を保障するため努力した。当時の農村では、集団所有制を基本とする生産隊が作られていた。衛生ステーションの医薬費は主に集団が負担したので、農民は薬が必要ならば、わずかなお金さえ出せばよかった。
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協同医療に加入している農民を見舞う、大興区衛生局の孫福祥科長 |
医者や薬が不足していた時代、当時の医療制度はある程度、農村の医薬品が不足するという問題を解決した。しかし、全体的なレベルはきわめて低かった。農民たちは、治療が難しいという問題を、根本的に解決できなかったのである。
中国が改革・開放するにつれ、農村の集団経済も家庭を基本生産単位とする態勢に切り替わった。古い協同医療制度は、資金不足により、運営が立ちゆかなくなった。あらゆる医薬費は、農民の完全自己負担となった。経済発展にともない、中国の医薬費は急速に上がったが、農民の収入増はゆるやかだった。それにより、農民たちはますます治療が受けられないという状況に陥った。
衛生部副部長の朱慶生氏は、こう語る。
「当時は、中国の経済が立ち遅れており、新しい協同医療体制を設立するには至らなかった。中国経済の実力が増すにつれ、今ではこうした協同メカニズムが設立できるまでになった。中国には8億の農民がいる。中央財政部門が農民のために10元ずつ納めても、全国で80億元にしかならないだろう」
朱慶生氏は、中国の農村はそれぞれの格差が大きい。そのため、農村の多くはそれぞれが異なる状況に応じて、相応の政策を立てているという。
発達した沿海地域では、その制度も充実している。たとえば、江蘇省江陰市では、「政府が推進し、商業保険公司(会社)が業務を行い、衛生部門が監督・管理して、農民が参加する」という方法を取り入れている。農民一人が毎年10元を納めれば、最高額で2万元の入院補償が受けられる。
昨年末で全市の96%の農民が加入し、すでに3万人以上が補償を受けた。これに対して、経済の中心地から遠く離れた中西部地域は、農民が納める医療費すらない。協同医療の財政のもとは、まだ完全に政府に頼るだけである。しかし、朱慶生氏は「農村協同医療制度は、必ず、中国の農村に全面的に広まるだろう。これは、農民たちの権益にかかわる切実な問題だからだ」と語っている。
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