今年の三峡下りは、杜甫が通った三峡と同じ景色を見る最後の機会です。新三峡ダムが水を堰き止め、徐々に水位が上がり景色は変わり始めるからです。
三峡の各地で水位が上がる準備が始まり、水辺近くの家が取り壊されています。私が何回も行き来した三峡の面影は無くなり始めているのです。時は無情にして新しい時代の扉を開けているようです。有名な白帝城はやがて島になるのです。
杜甫は大暦元年(766)の春、キ州(重慶市奉節県)にたどり着きます。杜甫はこの地で2年間に数度住居を換えますが、その内の二カ所は新三峡ダム完成後に水に沈みます。既に西閣は取り壊され、ジョウ西(奉節県)の草堂も訪れる人さえありません。
しかし、杜甫はこの地で四三〇首あまりの詩を詠みます。それは、病に冒された杜甫の詩に対する執念なのかもしれません。
登 高 杜 甫
風急天高猿嘯哀、渚清沙白鳥飛廻。
風急に天高くして 猿嘯哀し、
渚清く沙白くして 鳥飛廻る。
無辺落木蕭蕭下、不尽長江滾滾来。
無辺の落木 蕭々として下り、
不尽の長江 滾々として来る。
万里悲秋常作客、百年多病独登台。
万里の悲秋 常に客と作り、
百年の多病 独り台に登る。
艱難苦恨繁霜鬢、潦倒新停濁酒杯。
艱難苦だ恨む 繁霜の鬢、
潦倒新たに停む 濁酒の杯。
【通釈】
風は激しく、天は高く、猿の鳴き声は悲しい。渚は清らかに、砂は白く、鳥は飛び回っている。
果てしなく流れる落ち葉は、物寂しく流れ、尽きることのない長江の流れは、盛んに流れる。
故郷を離れて遠く、常に旅人として悲しい秋に会い、生涯病気がちの身で、独り重陽の節句にこの高台に上っている。
様々な艱難辛苦で、霜のように白くなった髪が恨めしい。落ちぶれて気力もなく、好きな濁り酒も止めてしまった。
この詩は、長江の流れを前に、山々に囲まれた谷間のわずかな砂浜、東に白帝城を望み、諸葛亮の伝説の八陣図の遺跡近くで詠まれたものです。杜甫はどんな気持ちで綴ったのでしょう。
かつて 西の草堂を訪ね、草堂の記念碑を前にして、私はこの詩を読んでみました。その時の杜甫の気持ちはこのようではなかっかと思ったのです。
「秋の澄んだ景色の中にも悲しみを感じ、長江のほとりをただ彷徨うばかり。命脈の尽きた落ち葉は流れに任せて力無く、時の流れは、滔々として流れゆく。ああ、故郷を離れ年老いても旅人となり、病を得て故郷を思って重陽の節句を迎え、艱難辛苦の果てに白髪頭を嘆き、酒すらも飲むことを止めてしまう」。
こんな思いが杜甫にこの詩を書かせたような気がしています。
「猿嘯哀」「鳥飛廻」の詩語には杜甫の泣き声や流浪の旅の悲しみがあるように思われます。
杜甫の対句の中でも歴史に残る名句「無辺落木蕭蕭下、不尽長江滾滾来」には、大河の滔々たる流れに対して、哀れな落ち葉の波に任せる姿を対比して自らの生き様を語っているように思えます。
「常作客」「独登台」の詩語は、故郷を思う気持ちを余すところなく表現しているのではないでしょうか。そんな杜甫の手には、心を癒す酒もないのです。わずかな安らぎを得たキ州においてすらこのような思いであったのであれば、長江の大河も悲しみに沈んでいたと思うのです。
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