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「行撮匆匆」の入り口に立つ楊波さん |
近年、北京市民の余暇は彩りが増し、日に日に個性化している。いこいの場として人気の「バー(口に巴)」(バー、喫茶店)はその一つで、映画バー、劇バー、サッカーサポーターバー、バイクーノなど、様々なテーマの特徴的なーノがある。
国家図書館北門の喧噪から離れた場所にある「行摂匆匆」は、旅行と写真・映像がテーマの「書バー」。字のとおり、書籍や雑誌を楽しめる空間である。(「摂」は日本語の「撮」の意味)
「″行摂匆匆″は、″行色匆匆″(旅立ち間際のあわただしいさま)という言葉から取った」と、主人の楊波さん(27歳)は言う。
中国語では「色」と「摂」の発音は近く、旅行と写真・映像をテーマとする「書ーノ」であることを強調しようとした。「匆匆」は、単独では「あわただしい」の意味があるため、旅行という状態を反映させ、時間や命を大切にする意味を込めた。この名称は、楊波さんをはじめとした数人の共同経営者の理想と一致する。
湖南省西部にあるトゥチャ族の美しい村に生まれた楊さんは、1994年、北京大学都市と環境学部(かつての地理学部)に入学した。専攻の関係で、人影の少ない山野への実習は少なくなく、しばらくすると、大自然に囲まれた自由気ままな生活に心を奪われるようになった。
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のんびり読書を楽しむ来客 |
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夏には屋外でスライド上映会なども開く |
そして仕事をはじめてからは、余暇はすべてバックパックを背負っての山歩きに当てるようになった。ただ、旅行から帰るたびに、友人とその体験を分かち合いたいと思ったが、そんな場所はなかなか見つけられなかった。
偶然が重なり、楊さんは、探検旅行の本を書くチャンスを得て、少なくない原稿料を手にした。その資金を元手に自分の夢を実現しようとしたところ、友人らも賛同し、共同経営をしてくれる仲間が見つかっただけでなく、彼らが所有する旅行、写真・映像関連の雑誌や書籍を無償で提供し、夢の実現に力を貸してくれた。
そして2001年5月、みんなの協力が実り、「行摂匆匆」が開業した。
同店に踏み入ると、簡素なインテリアが目の前に広がる。天井の梁からは、数個の手づくりの黄色い紙ちょうちんが下がっている。壁には、経営者やその友人が各地で撮った写真が貼ってある。雲南の少数民族の村やチベットの雪山のふもとに暮らす純朴な牧民の写真のほか、彼ら自身による湖南省西部の未踏の秘境の探検記録などもある。
数列の大きな書棚には、地理、写真・映像、旅行などの書籍と雑誌が並べられ、無料で閲覧できる。また、スライド映写機やビデオデッキも備え、来客は、持参の作品を鑑賞しながら、自由に交流できる。
楊さんはこれまでに、有名人をゲストに招き、スライド鑑賞会や探検旅行、登山のコツなどの無料講座を開いてきた。すでに、「第一回チベット登山祭りの北京プロモーション」「アフリカ旅行の地理講座」「ラテンアメリカ・マヤ文化講座」などを主催した。レスキューアクション映画『バーティカル・リミット』(マーチィン・キャンベル監督、アメリカ)の技術顧問を担当したニュージーランドの著名登山家二人を招いたこともあり、多くの愛好者と、登山やロッククライミングについて語り合った。
こんなイベントがあるたびに、店内は足の踏み場もなくなる。ちょっと遅れると、入り口か外側から、ガラス越しに様子をうかがうことしかできない。夏になると、思い切って映写機を屋外に持ち出して、思い思いの姿勢で、夜風に当たりながら冷たいビールを傾け、スライドを鑑賞する。
素晴らしい雰囲気にひきつけられ、しだいに多くの登山家、探検家、バックパッカー、スキー愛好者、写真愛好者などが集うようになり、自分の旅行や夢を語り合う場となった。そして、ますます多くの人が注目するようになり、一部人気サイトのフォーラムの責任者をはじめ、影響力のあるイベントの発起人やプロデューサーも、ここの常客となった。
来客の楽しそうな様子を見ると、楊さんもうれしくなり、満足感を覚える。「誰でも心の奥底には、大自然に親しみたいという生まれながらの欲望がある。ただ、一生気づけない人や、気づいても行動に移せない人がいる。ぼくは気づけただけでなく、思いのままに生きている。本当に幸せです」
楊さんには、もう一つ夢がある。ナショナル・ジオグラフィック社(アメリカ)が、探検のドキュメンタリー番組『ディスカバー』を撮影したように、いつか、自分の旅行の全行程を記録し、番組として仕上げ、より多くの人々に、大自然に親しむことのすばらしさを伝えることである。
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山谷を越える探検好な仲間たち |
2001年のメーデーの長期休みに、楊さんは友達とともに、四川省西部の四姑娘山から米亜羅までの探検旅行を行った。四姑娘山は中国では「東方のアルプス」と呼ばれ、米亜羅は中国最大規模の紅葉の名所である。
四十数人が参加し、7日に及んだ探検旅行では、リタイアせずに目的地にたどり着いたのは6人だった。雪山や凍りついた川を越える険しい道のりだったため、困難は絶えなかったが、渓谷の美しい景色は、参加者に一生忘れがたい印象を残した。
楊さんが誇らしく思うのは、彼らが切り開いた同コースに、五カ月後の国慶節の連休には、北京市、上海市、江蘇省などから、30以上のパーティーが訪れたことだ。同地のガイド費用も2倍に跳ね上がった。
多くのメディアは、「行摂匆匆」の潜在力に目をつけ、次から次へと合作を求めてきた。楊さんらは、読者や視聴者のための旅行ルートの提案・企画、技術指導を請け負った。今後は、より成熟した「クラブ」に発展していくことだろう。
どんな将来があろうと、彼らは、知らず知らずのうちに、自由や冒険にあこがれる青年たちのパイオニアとなった。
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