「文革」の嵐が突然襲ってきた。哲学部の聶元梓という女性が学校指導部攻撃の壁新聞を書いたというニュースは、またたく間に全校を駆けめぐった。彼女の壁新聞が張られた学生食堂前は、黒山の人だかりだった。一九六六年のことである。
嵐は嵐を呼び、校内だけでなく社会全体が興奮のるつぼと化していった。私もたしかにその嵐の中にいた。
校内には紅衛兵組織が二つできた。「新北大公社」と「井岡山」である。私のクラスは「井岡山」派が多かった。「新北大公社」は多数派で、聶元梓を擁護していた。後で聞いたのだが、彼女のバックには江青(毛沢東夫人)がいたという。「井岡山」は彼女に反対だった。もちろんみんな毛沢東の熱烈な崇拝者だったが、江青には必ずしも良い感情を持っていなかった。
両派は、ライバル意識から、いがみ合った。殴り合いは、棍棒や手製武器による「武闘」へと発展した。それでも留学生寮は聖域だったので、「井岡山」の秘密会議は、よく私の部屋で開かれた。
そんな中で、私の親友の一人、中国文学部の高君は、みんなと少し違っていた。彼は紅衛兵のどちらの組織にも加わらなかった。紅衛兵たちは「四旧打破」をスローガンに、儒教や孔子をヤリ玉に挙げた。しかし高君は堂々と『論語』を読み、古典を鞄に入れていた。
私は気が気でなかった。高君が、孔子の崇拝者として批判されるのは目に見えていたからである。でも高君は平気だった。「君も知っているように、毛主席は古典を読み、古典からたくさんのものを学んだ。古いものすべてを否定するなど馬鹿げている。それこそ毛沢東思想に反している」
彼はよく私の部屋にやってきた。彼は私に『老子道徳経』や『論語』『史記』『春秋左氏伝』といった難解な古典を、面白く話してくれた。今でもそのいくつかは覚えている。
「天下ノ道ナキコト久シ 天将ニ夫子ヲ以テ木鐸トナサントス」
【木鐸】布告を出す時鳴らした木の舌のある鐸、転じて政治や思想の先覚者
「帰ランカ、帰ランカ、吾ガ党ノ小子、狂簡【注1】ニシテ、斐然トシテ章ヲ成ス【注2】、之ヲ裁スル所以ヲ知ラザルナリ【注3】」
【注1】志は大きいが行いは粗略なこと
【注2】色彩が豊富で模様をなすこと
【注3】どう裁断してよいかわからない
ある日、高君が紅衛兵組織に捕まったといううわさが流れた。どっちの組織が、どのような理由で高君を捕まえたのか、誰も知らないという。高君はその後、私の部屋に来ることはなかった。
彼は決して反毛沢東でもないし、反社会主義でもなかった。しかし、後で考えてみると、彼は『論語』や『史記』で、暴走する学友たちを引き留めようとしたのかも知れない。熱っぽく語った古典は、彼のメッセージだった。
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