【漢詩望郷(49)


『唐詩三百首』を読もう(41)杜甫を読むS

                 棚橋篁峰

 

 杜甫がキ州(現在の重慶市奉節県)で住んだところとして知られている場所に西閣があります。西閣は白帝城の麓にあり小さな洞窟があって、白帝城に登る道になっていました。

 しかし、この西閣も新三峡ダムの完成によって水没します。すでに建物は破壊されました。このころの杜甫の詩は、病に冒され長江の岸辺をさまよい、やがて迫りくる死への思いがあるのでしょうか、感傷的で悲しい響きがあります。又、古代の英雄を羨望のまなざしで詠い、悲劇の結末に時の流れの無情にため息をついているのです。現実の厳しさは、杜甫の未来を暗示していると思うのです。

   閣 夜  杜 甫  

歳暮陰陽催短景、天涯霜雪霽寒宵。
 歳暮の陰陽 短景を催し、
 天涯の霜雪 寒宵に霽る。

五更鼓角声悲壮、三峡星河影動搖。
 五更の鼓角 声悲壮、
 三峡の星河 影動搖。

野哭幾家聞戦伐、夷歌数処起漁樵。
 野哭幾家 戦伐より聞こえ、
 夷歌数処 漁樵より起こる。

臥龍躍馬終黄土、人事音書漫寂寥。
 臥龍躍馬 終に黄土、
 人事音書 漫りに寂寥。

【通釈】
 年の暮れの陰陽の気が、日の暮れの早い冬の日差しを急きたて、都を遠く離れたル迴Bの地の霜や雪は、晴れ上がった冬の寒空に凛としている。

 夜明け前の太鼓や角笛は悲しくも勇ましく響き、三峡の天の川が水面にきらめいて揺らいでいる。

 死者を悼む泣き声は家々に起こり、戦の物音は絶えず、辺境の異民族の歌を樵や漁師が歌う。

 昔この地に活躍した諸葛孔明(臥龍)や公孫述(躍馬)もあの世に逝き、私には、友達や親戚(人事は一般的に社会生活を言いますが、ここでの人事は霍松林先生の説によって友達や親戚とした方が意境に合うと思います)からの音信もなく、ただいたずらにうらぶれ果ててしまった。

1998年8月、記録的な長江の大洪水の中、私たちは重慶詩詞学会の協力を得て、白帝城建設以来初めての国際詩吟大会を開催しました。その時、鼓笛隊の子供達が西閣で我々を迎えてくれました。

 詩中の鼓角の音色や響きとの違いに、万感迫るものがあったのです。私は、西閣の外れに足を止めて、沈む夕日を送り、帰り道で月と星を仰いだのです。静けさの中に瞿塘峡のキ門を流れる長江の濁流が雷のように聞こえたことを思い出します。

 この詩は、白帝城下の冬景色の中に孤独感を詠ったものでしょう。三峡の冬は寒くただでさえもの悲しいのです。山間のル迴Bは日の暮れも早く、暮れれば霜や雪は更に冷たく身にしみたのでしょう。冷たさはこの世の悲しみだったかもしれません。

 戦いの声は止まず星が川面に揺れ不吉な兆しすら感じます。戦いの中で多くの人々が死に悲しみの声は諸処に聞こえ、土地の樵や漁師でさえ異民族の歌を歌っています。孔明や公孫述のような偉大な先人達もあの世に逝き、時代を救う救世主も幻で、友達や親戚の便りも途絶え寂しさに耐えなければならない。そんな杜甫の叫びのようです。

 杜甫の人生の中で焦燥感が孤独感と虚脱感に変化していく姿がこの詩にはあると思います。国を憂い人民を愛した杜甫の姿に翳りが生じ始め、病に心も体も蝕まれていく老人の姿が長江の流れの中に浮かんでいるような気がするのです。