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イラスト・徐進 |
SARSが猛威を振るっているとき、疫病の蔓延を防ぐため、都市の街頭や職場でも地方の村でも、効果的に人々が組織、動員され、SARSに対する防護壁が築かれていった。
北京・東城区和平里東街10号には、赤い腕章をつけた居民委員会の張娟主任がこの共同住宅区に出入りする人々を注意深く観察し、いつも彼らの体温を測っていた。張主任の傍らには二枚の黒板があり、そこには「早く発見し、早く報告し、早く隔離し、早く治療する」というSARSの予防法が書かれていた。
北京・前門街道鮮魚口居民委員会も、積極的にSARSを予防するため、SARSに関する知識を大いに宣伝した。60歳を超す張秀蘭さんは、「SARSと闘う」をテーマにした切絵を製作した。
都市の社区(コミュニティー)の居民委員会はこれまで、主として定年退職したお婆さんたちで構成されていた。しかしこの数年、居民委員会には変化が起こり、メンバーが若返っただけでなく、仕事の内容も主に居民の生活上の困難を解決することや老人に関心を寄せ、老人を世話することに変わった。
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北京市の主なショッピングセンターやスーパー、飲食業密集地では、四百台の体温測定設備を入口に設置した。王府井大楼の入口でも、客は体温の測定を受けている |
今日では、居民委員会はSARSとの闘争の中に加わった。彼らは消毒薬を配り、体温を測り、SARSの疑いのある患者が「社区」に入ってくるのを防ぐ任務を受け持った。また「社区」内の居民一人一人について、どこで勉強しているか、仕事の場所はどこか、出張しているか、などを詳しく記録した。これはいずれもSARS患者をすばやく発見するために役立った。
SARSと闘う中で、農村も同じように防護ネットを構築した。北京市通州区の唐小荘村の入り口には「SARSを予防し、疫病を村に入れない」と書かれた看板が掛けてある。警備の制服を着た数人が、村に入る人たちの体温を測り、消毒し、一人一人登録した。村の中では、12人の老人が自ら進んでパトロール隊を作り、毎日、村の中で衛生状態や消毒、外から来た人の登録の状況を検査し、想わぬ事故が起こらないようにつとめた。
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二〇〇三年五月下旬、万里の長城の上で、中国の百の企業が提唱した「凧を揚げ、SARSと闘う――中国の精神を高々と発揚しよう」という活動が行われた |
SARSの投げかけ暗い影の下で、人々はこれまでの生活のスタイルや生活習慣を変え始めた。
この二日間、営業の責任者である陳さんは、お得意さまといっしょに食事しようかどうか、気に病んでいた。以前なら、営業にかかわる業務上の付き合いには、陳さんは喜んで出かけて行ったのだが、いまはSARSが怖い。前よりSARSはひどくはなくなってきたとはいえ、数人いっしょに食事し、万が一、病気にかかったら……という想いが脳裏をかすめる。
しかし、すでに約束したことなので、それを反故にすることもできない。陳さんは無理をして、レストランに出かけて行った。心臓がドキドキした。
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お医者さんたちは「社区」まで行って、住民に、SARSの予防法を説明した |
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都市の住宅区は、当直の人が毎日、出入りする車に対し、消毒、登録、体温測定などをしている(撮影・馮進)
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だがレストランに入って陳さんは、安心した。というのは、いまのレストランはみな、一つの皿をみんなでつつくのではなく、めいめいの皿で食べる方式になっていたからだ。新しい料理が来ると、使い捨ての手袋をつけたウエイトレスが小皿にその料理を分けてから客の前に出す。また健康のために、盃と盃を合わせて乾杯する伝統的習慣を改め、互いに盃を挙げて気持ちを表すだけになった。
西洋ではこうした食べ方はまったく普通のことだが、「みんないっしょに和気あいあい」を重んじてきた中国では、こうした習慣はずっと行われてこなかった。しかしSARSの流行によって人々は、飲食の衛生に気を使うようになった。相互の感染を防ぐため、「ケンタッキー」「マグドナルド」「ピザ」など、一人ずつ別々に食べる洋式のファーストフード店で食事をする人が多くなった。
そこで、中華料理店でも次々にそれを真似し始めた。北京市は、とり箸を使う以外は、この方式で一人一人に分けるように指導し、それを政府の監督の範囲に組み入れた。さらに、SARSの伝染に関係のあるといわれる野生動物を食用に供することを厳しく禁止した。
SARSはまた、これまでの良くない習慣を変えさせた。2002年、北京のある調査会社が、5584人にアンケート調査を行ったが、66%の人が「かつて痰を吐くことがあった」と認め、「所かまわず痰を吐く習慣がある」人の割合は、32・9%に達することが分かった。この比率から推算すると、全中国では少なくとも3億人が「所かまわず痰を吐く」悪い習慣があることになる。
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SARSのなかでも、天津市の高校生たちは図書館で、大学入試の準備に余念がない |
いま、SARSが中国人を目覚めさせた。北京の鼓楼大街に住む王おばさんは「もともとこのあたりはとても汚かった。誰も自分自身の衛生に注意を払わず、所かまわずに痰を吐く人がよくいた。いまみんなが変わった。そんなことをすれば、病原菌が伝染するからだ」と、しみじみ言った。
SARSを効果的に予防・治療するため、中国各地で法規を定め、所かまわず痰を吐くことを厳しく罰するようになった。北京、上海、広州ではそれぞれ、罰金と教育を結びつけた効果的な総合的な管理方法を実行した。
「新浪」「捜狐」「新華網」など有名ウェブサイトでは、中国人の衛生習慣をいかに改善するかについての討論を行い、大量の「書き込み」があった。各地の新聞、テレビ局でも、これに関連する問題の熱烈な討論が展開された。SARSはまさに、中国から「痰はき大国」という汚点をぬぐい去ろうとしている。
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SARSを徹底的に消滅するため、北京市の中小学校はしばらく休校し、子どもたちは外で遊んだ(撮影・馮進) |
それだけでない。いつも手を洗い、室内の風通しを良くし、消毒することなども、ますます人々に受け入れられるようになった。そして免疫力を高めるため、いままであまり運動しなかった人も、
体を鍛える人の輪の中に加わるようになった。「社区」の庭では随所で、バドミントンや羽根蹴りをする人、凧を揚げる人の姿を見かける。
SARSの洗礼を経て人々の気持ちは、初期の恐慌状態から、いまは穏やかなものになった。多くの人々はユーモアで、緊張した気持ちをリラックスさせている。
「SARS」という言葉に新しい意味をつけた人もいる。「SARS」は「Smile And Retain Smile」(微笑もう。そしていつも笑顔を)の頭文字を取ったものだというのである。
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