特集 (その4)
損害のり越え進む中国経済
             王 浩

SARSがもたらした泣き笑い

 

 楊小寧さんは、北京のメディア関係の会社に勤めている。SARSの状況が厳しくになるにつれて、楊さんは遠くに住む両親や親戚、同窓生、友人たちから、見舞いの電話が絶えずかかってきた。連絡する頻度はいつもよりかなり高くなり、めったに連絡のなかった従妹まで、上海から2回も電話をくれた。

 4月、楊さんの携帯電話の通話料は、いつもの400余元から600余元にはね上がり、ショートメッセージだけでも50元以上かかった。電気通信関連の業者はきっともうかったに違いない、と楊さんは考えた。

 楊さんが思った通り、SARSによって、人びとの正常な往来が遮断され、外界とのコミュニケーションを保つために人々は、これまでより頻繁に、電話やショートメッセージを使った。メーデーの5日間の休日に、中国移動通信と中国聯通(チャイナユニコム)のショートメッセージの業務は、50%以上爆発的に増えた。北京市通信公司の趙継東総経理は「4月20日から30日までの間に、電話の業務量は基本的に30%前後増えた」と言っている。

北京で開かれた「SARSとアジア経済」をテーマにシンポジウムで、大会秘書長の龍永図氏は開幕式の前に、香港や台湾の記者の取材を受けた

 固定電話のほか、新しい業務も急速に発展している。電話とブロードバンドの上に成り立つインターネット業務やインターネット教育・ショッピング、テレビ会議、テレビ電話など、普段は使用者があまりない業務が、いまや引っぱりダコとなっている。SARSが最もひどかった4月、北京市通信公司は、七十近くのテレビ会議にサービスを提供した。

 自動車産業も、SARSの蔓延期間中、逆風をついて発展した。北京にある各自動車市場では、珍しい現象が起こった。それは、マスクをつけて市場にやって来る人が明らかに多くなったことだ。こんな危険を冒してまで市場にやって来る人たちは、はっきりと車を買う決心をした人たちだった。

上海では、6月から一部の航空旅客の輸送量が回復し始めた

 また、車を見てから買うまでの時間がぐっと短くなった。ほとんどが車をよく見た後、さっとお金を払って車を買う。天津豊田自動車公司人事部の劉江燕さんは「トヨタは4、5月の二カ月間、販売額が倍増した」と言う。「いま車を買うのは、健康を買うのと同じ。マイカーで動けば、SARSに感染する確率が減る」というのが、車を買った人の心理だろう。

 しかし、電気通信や自動車産業とは対照的に、旅行、飲食、航空などの業界は、程度の差こそあれ、影響を受けた。

 中国では、今年、メーデーから始まるゴールデン・ウィークが取り消しとなったうえ、多くの国々が中国からの観光客にさまざまな制限措置をとったため、中国の観光業は重大な損失を蒙った。首都旅行社の万一偉社長は「今年のメーデーのゴールデン・ウィークでは、我が社は一粒の収穫もなかった」と嘆いた。

 中国中央テレビ局の報道によれば、4月以来、中国の三大航空会社は、総便数の30・8%を減らした。フライトの取り消しは、中国国際航空公司が2000百便、東方航空公司が2969便、南方航空公司は9705便である。しかし、旅客輸送が大きな打撃を受けたのに、国内の貨物輸送量はかえって増えた。

SARSのなかで、かえって中国の乗用車の生産量は増え、上海の自動車市場は爆発的な活況を呈した

 北京市統計局によれば、4月に、北京の飲食業の売上げは、2000年以来初めて下がり、昨年同期と比べ、3500万元減った。だが広州市では、SARSが流行っているにもかかわらず、レストランは依然、営業を続け、あまり大きな影響を受けなかった。さすがに「食は広州にあり」である。もちろん、SARSのため、野生動物が食卓に乗ることはいっぺんに少なくなった。

 こうした業界と比べ、中国の製造業はSARSの中でも、かなり安定している。SARSの影響で、一部の協力プロジェクトが延期されているが、それは延期であって取り消しではない。海南島の博鰲で開かれたアジア・フォーラムの龍永図秘書長は、中国に対するSARSの影響を、「銅貨の両面」と総括している。つまり、観光、飲食、交通などの業界は打撃を受けたが、同時に、メディアや電気通信、医薬、自動車などの業界にとっては、絶好の商機となったというのである。

自信満々の外資系企業

特殊な販売の仕方をする。北京市建国門の「マクドナルド」は、テーブルを外に出した

 SARSが猛威を振るっていたとき、中国にある多国籍企業は、さまざまな形式で、中国人とともにSARSと闘った。最も早く中国に工場を開設し、業務を展開してきた外国企業の一つである日本の松下電器産業は、相次いで中国赤十字、小湯山のSARS専門病院に、総額360万元以上の物資と資金を寄付した。

 不幸にも、その松下の北京にある二つの工場、「北京・松下ディスプレイデバイス」と「北京松下照明」で、5月17日、5人のSARS感染者が発見された。感染が確認された後、北京市の関係部門はすぐ、患者を隔離治療し、伝染病の追跡調査を行った。松下もこの二工場を一時的に閉鎖し、全面的な消毒を行った。

 二週間にわたる隔離と観察の後、二工場は5月31日に生産を再開し、労働者が職場に復帰した。これについて杉浦代表取締役会長はこう述べている。

 「突然現れた伝染病は、確かに工場の生産に一定の影響を与えたが、問題は決して大きくはない。一部の商品の売上げが減少し、市場の需要が活発でなくなるのは避けられない。しかしこうした事態は一時的なものに過ぎず、松下は2005年までに、中国での売上げを倍増するという戦略目標を見直すことはない」

 杉浦会長と同様に、中国における外資系企業の大多数が、SARSに対しきわめて冷静に対応している。中国米国商工会議所のマイケル・ファースト理事は、本誌記者に対し「SARSが中国で蔓延して以来いままでに、我が会議所のメンバーで中国から撤退した企業は一社もない。むしろSARSの感染がひどくなった後に、我が会議所のメンバーになった会社さえある」と述べた。

 通常、多国籍企業は、この業界の特色を生かし、長年にわたる海外での活動の経験に基づいて、危機管理システムを確立している。リスクを避けることはすでに、多国籍企業の日常管理体制の一部となっている。

SARSが抑制されるにつれ、街に出て陽光を浴びる北京市民も増えてきた(撮影・楊振生)

 SONY(中国)社は四月初め、正田紘代表取締役会長を責任者とする「中国SARS対策チーム」を組織した。また、4月21日には「北京SARS対策チーム」も発足させた。海外勤務の経験に富む正田会長は、4月以来20日間、ずっと北京に留まり、毎朝、SARS対策チームの会議を主宰して、起こる可能性のある問題やその解決策を検討した。

 東芝も、平田信正・中国総代表を責任者とする「SARS対策チーム」を立ち上げた。彼らはみな、豊富な経験によって、今度のSARSの流行に適切に対応したのだった。

 中国政府と各企業の努力によって、SARSが中国における多国籍企業に大きな影響を与えることは避けられた。SONYによると、売り場に来る客足が遠のき、北京での売上げは確かに影響を受けたが、大きな代理店が電話による予約サービスを増やし、またこれまでずっと続けてきたインターネットによる販売を活用し、損失を軽減することができた。SARS感染が少ない上海では、観光に出かけるのを取りやめた人がショッピングに出かけたため、上海でのSONYの売上げはかえって伸びたという。

北京・王府井の東安市場の職員たちは、北京への渡航延期勧告を取り消しを大歓迎した

 天津豊田では、SARSの蔓延がひどかった5月初めごろ、一部の日本人社員が日本に帰国したが、状況が安定するにつれ、彼らは5月19日以後、続々と天津に帰ってきたという。また、同社の責任者は「四月に製造した新車『威馳』(VIOS)の生産台数が3月より26・7%増加し、増産計画が順調に達成されたので、会社は『威馳』の製造をスピードアップすることを決定した」と言っている。

 「SARSに直面し、長期的にものを考える」というのが、いま、外資系企業の本当の考えだろう。5月9日、上海政府が主催した外資系企業の座談会で、フランスの大手企業、ミケリン・タイヤの中国投資有限公司の祖傑・代表取締役会長は、年内に計画通り、瀋陽工場の生産能力を拡大するほか、今後数年間に投資を拡大し、上海に世界で最大のミケリンの生産基地を建設する、と表明した。

中国経済の前途は明るい

都市の住宅区は、当直の人が毎日、出入りする車に対し、消毒、登録、体温測定などをしている(撮影・馮進)

 博鰲アジア・フォーラムとアジア開発銀行(ADB)が共催した「SARSとアジア経済――その影響と対策」シンポジウムが5月13日、北京で開かれた。これは、SARSが中国で爆発して以来、初めて中国で開かれたSARSと国際経済貿易との関係についてのシンポジウムであった。アジア開発銀行の千野忠男総裁、世界銀行東アジア地区のチーフ・エコノミスト、ホーミ・カラス氏、中国の有名な経済学者の胡鞍鋼氏らが予定通り出席した。

 会場となったアジアホテルには、非常時の緊張した空気が漂っていたが、ホテルの入口から三階にある会議場まで、参会者の体温を測る赤外線のカメラが三台取り付けられた。数百人の内外記者が集まった会議場は落ち着いた雰囲気で、会議が始まった後、マスクをかけている人はほとんどいなかった。

 清華大学国情研究センターの胡鞍鋼主任は「SARSが中国経済に及ぼす影響は、一時的で、限られている。心理的影響の方がかえって大きい」と述べた。

 また、胡主任は、北京を例にして次のように解説した。

 「4月の北京の経済実績からみると、一番SARSの影響を受けたのはサービス業で、北京の工業への影響は大きくない。しかも、工業部門の輸出の成長率は、30%以上で、以前より大幅に伸びた。これは誰も想像しなかったことである。

 北京の経済成長率は過去五年間、10%以上の水準を持続してきた。もし今年、SARSがなければ、北京の経済成長率は12〜13%になるはずだった。しかしSARSの影響で、今年はおそらく10%前後になりそうだ」

 そして、SARSの打撃を一番受けたのは北京市なのに、北京の経済が依然好調を維持しているので、中国全体の経済の成長を楽観的に予測するのはまったく理にかなっている、と胡主任は強調した。

 モルガン・スタンリー投資銀行のアジア太平洋地域チーフ・エコノミスト謝国忠氏も「観光業、飲食業、娯楽業はSARSの打撃を強く受けたが、コンピューター、携帯電話、医薬品や紡織などの産業は急速に成長している。これによって、一部の産業の損失を埋めることができる。中国は第4・4半期に、高いレベルの消費水準を回復するだろう」と述べた。

 

 経済学者の目には、中国経済は依然、高速で前進すると映っているようだ。

 5月31日午前、広州市では「SARSを退治し、観光旅行の安全を宣伝する日」というイベントが挙行され、600人以上の観光客が五つのコースに分かれて市内観光をした。これは、世界保健機関(WHO)が広東省に出していた渡航延期勧告が解除されてから、広州の観光業が回復し始めたことを示している。