海南省陵水県
アカゲザルの楽園を行く
                                 文 侯若虹   写真 劉世昭

 

 海南省(島)は中国でただ一つ省全体が熱帯に属した、有名な観光地である。熱帯特有の景色や海水、温泉、日光、ビーチ、ヤシの木、そしてみずみずしいくだものが、人々にすばらしい楽しさを運んでくれる。

 

美しい南湾猴島

  南湾猴島は、海南省陵水県の南方にのびる南湾半島に位置している。面積は10・2平方キロ、三方が海に囲まれている。

猴島のアカゲザル

 島へのルートは二つある。一つは海上、もう一つは空中だ。つまり、海を越えるロープウエーに乗っていくのだ。ロープウエーは全長2キロあまりで、目下中国では最長と言われている。ロープウエーが動きだすと、緑の山に青い海、ビーチ、ヤシ林、それに海上に設けられた漁排(木材などを縦横に結んだいかだに、木造家屋やいけすなどを設置したもの)がゆらゆらと動き、漁船が忙しそうに行き来しているのが見えた。また、ロープウエーからは、樹木の中で飛び跳ねているサルの姿が目に入った。

 南湾猴島は、世界でも珍しい熱帯海洋性気候のアカゲザル自然保護区だ。樹木がうっそうと茂った常夏の島である。この島の森林被覆率は95%。388種の植物があり、その中には青ウメやソテツ、海南ドラセナなどの国家級保護樹種もある。湿った海風と生い茂った森のおかげで、この島はいつも新鮮な空気が保たれている。

 島の管理人によると現在、島に生息しているアカゲザルは2000匹あまり。一部のサルはふもとの観光地まで下り、食べ物を探す習慣になっている。そのため、何か食べ物があると思ったサルが、誤って人を傷つけてしまわないよう、観光客はできるだけバッグを開かないことが肝心だという。

 ある女性観光客が、サルの群を背景に写真を撮ってもらおうして、そばの石に腰かけた。すると、一匹のサルがピョンと彼女の肩に飛びのり、いっしょに写るようなポーズをとった。彼女は驚きのあまり叫んだが、周りの人々はその姿に思わず笑った。駆けつけた管理人が食べ物を投げ与えると、サルはようやく満足したかのように地面へと飛びおりた。

 冬場は山の果実が少なくなり、ふもとに下りて食べ物を探すサルが多くなる。観光客から与えられる「美食」を味わうためである。ところが、新緑が萌え、果実が実る5月になると、サルたちは山に戻って自然の恵みを享受する。この時期になると、サルをふもとに呼び寄せるのは容易ではない。そのため管理人たちは、サルの大好物である米飯やサツマイモ、くだものを持って山へ行き、それを「エサ」にしてサルを呼ぶ。すると、サルは山の果実をしばらく忘れてふもとまで下り、観光客と顔を合わせるのである。

 しかし、南湾猴島はずっとこうして美しかったわけではない。人間が定住した17世紀末からは、何度も戦争の惨禍や人為的な破壊を受けた。1965年、ここがアカゲザル自然保護区に指定されたとき、島の原始林はほとんど消滅し、代々生息していたアカゲザルはわずかに五つの群、100匹ほどしかいなかった。

猴島へのローブウエーから見下ろした港の漁排

 県クラスのアカゲザル自然保護区が設置されてから、地元の人たちは森林の伐採とアカゲザルの密猟を禁じた自然保護活動をスタートした。75年、南湾猴島は省クラスの自然保護区になり、83年には観光地として開放された。84〜85年、島のアカゲザルの数は急増し、年間出産率は25%に上昇。94年に行われた全面的な調査の結果、島のアカゲザルは合わせて25の群、1300匹あまりに増加していた。

 そして、40年近くの保護活動により、この小島は新しい装いとなった。日増しに豊かになる植物資源は、多くの動物たちの繁殖と生息に、よりよい環境と食物をもたらしている。現在、ここに生息するアカゲザルは29の群、2000匹あまりに達するという。

 ここ数年、南湾猴島を訪れる観光客は、ますます増加している。99年にはのべ7万人だったが、2000年にはのべ16万七千人、01年はのべ37万4000人に達し、02年は11月までにのべ51万人を受け入れた。

 しかし多すぎる観光客は、この小島の「積載能力」に新たなハードルをつきつけ、管理部門に大きな注意を促した。彼らが制定した新しい保護区発展計画の中には、たとえば、@保護区の中心から観光地を遠く離す、Aいくつかの人工建築物をとりのぞく、B観光客の登山を禁止する、などがある。こうして、アカゲザルの生息地環境を完備し、自然の野趣を保ち、人と自然の調和のとれた交流を実現しようと、期待が高まっているのである。

漁排の海上レストラン

見た目はこわいが、白身がおいしい

 南湾猴島の山から下りると、新村港にある漁排のレストランへ「漁排料理」を味わいに行こう。それは、いかだの上に建てられた木造家屋のレストランである。窓から外をながめると、紺碧の海に整然と並ぶ漁排が見える。ゆらゆらとした波の動きを足元に覚え、まるで船上で漂いながら食事をするかのような不思議な気持ちになるのである。

 レストランの傍らには、養殖用のいけすがあった。その中に放たれている魚やエビ、カニ、貝などは、必要なときにすくい出し、その場ですぐにおいしい料理になってくる。

 レストランには「ダン家魚粥」という独特の粥料理がある。煮込んだ米も魚の身も白いが、その中には青いネギのみじん切りが散らされている。あっさりとした配色であるが、とてもおいしい。コショウの香りも食欲がわく。

 この魚粥は温かく、胃にもやさしい。滋養と美容の効能もあるという。観光客の疲れをいやし、スッキリとした気持ちにさせてくれる。店の主人は「大勢のお客さんがこの粥に夢中になります。あるお客さんなどは、一度に十杯以上も召し上がったんですよ!」と教えてくれた。

 魚粥につかう魚は「刺帰魚」というフグの一種だ。大きな目、灰色の体、白い腹、そして全身トゲだらけである。海から刺帰魚をすくい上げ、地上でたたくと、魚は怒ってトゲのついた体をボールのようにふくらませた。その姿も、愛嬌があっておもしろい。

新村港はパラダイス

 新村港の港は、東西の幅が約6キロ、南北の奥行きが約4キロ。干潮時の最大水深は11・1メートルである。港の風は穏やかで、波は静かだ。回流が速く、プランクトンは豊かで、水質、水温、塩分のいずれも養殖には向いている。87年、国連が組織した九カ国の農業専門家が新村港を視察し、「ここは世界一流の養殖港である」と評価したという。

朝、新村港のにぎやかな魚市場

 新村港の天然海洋生物の種類と数は、世界の似たような漁港の中ではトップクラスだ。ここで最も有名な「経済魚類」(商品として経済効果を生み出す魚)は、ハタである。マハタ、アオハタ、アカハタ、マダラハタなどが漁獲される。そのほかエビ、カニ、アカガイ属の貝など、地元の人でも名前がわからないほど多い。

 早くも67年、ここに中国最大規模の真珠養殖場が興された。養殖されたのは中国最大の真珠であった。83年には、香港からのバイヤーと地元漁民の協力で、「ハタ養殖」がためされた。それは予想以上の成果であった。ハタは成長が早いだけでなく、品質も味もよく、香港市場では飛ぶように売れた。その後、香港をはじめ台湾や日本からのバイヤーが続々とここに来た。そして、海上にハタの養殖場が次々とつくられ、新村港は中国最大規模の「ハタ養殖基地」となったのである。

 新村港の住民は、そのほとんどが明代末期から清代初期に、福建省の泉州や広東省の湾仔、陽江、順徳、台山、珠海などの沿海地区から移住した「ダン家人」だ。ダン家人は漢民族の一支族で、代々漁をしながら船上で「水上生活」をしている。

 ダン家人については、このような伝説がある。清の高宗皇帝(乾隆帝)の妃が河を遊覧していたときに、うっかり玉を落としてしまった。皇帝はちょうど舟でそばを通りかかった 家人に、「玉を拾いあげよ」と命じたが、なかなかうまくいかなかった。そのため、皇帝は「私の食糧を食べるのはいいが、私の土地に住むのは許さない」と彼らを処罰した。このときから、ダン家人は船上にだけ住むようになったのだ、という。

 「往来しても足跡はなく、海での漁が三分の命」(非常に厳しく、危険な仕事であることを指す)という 家人の苦しい生活は、新中国成立後に一変した。60年代になると、新村港のダン家人は次々と、陸地に木造家屋を建てはじめた。80年代以降は、養殖や漁獲によって彼らの暮らしも大きく変わった。昔の木造家屋は、漁業の特色をかね備えた一戸建ての住宅に取って代わった。養殖作業に便利な漁排も、昔のような粗末さはなくなり、家電製品や設備など何でもそろった。前述した漁排のレストランも、 家人が経営している。

漁から帰ったダン家人

 家人が居住している新村鎮は、海南島唯一の「一家二地」(一家が陸上と海上に住むこと)の町である。多くの家では、年寄りと子どもが陸上に住み、若い漁師が港の「漁排村」に住んでいる。こうして、仕事は漁排村で、祝祭日や冠婚葬祭は陸上で行うという、新しいライフスタイルがつくられた。

 養殖業は、新村港の人々の生活に大きな変化をもたらした。80年代初め、新村港で養殖業を営む家はわずか十数戸でしかなかったが、その後は急速に発展、最も多いときで1000戸以上に達した。それは新村港にきわめて大きな負担を与え、ついに赤潮が発生した。

 そこで現地政府と海洋、水産などの各部門は、新村港に新しいガイドラインを設け、総量を制限するなどの策を講じた。――養殖家の数を減らし、港内の真珠貝やハタなどの養殖区を調整する。科学的な方法を使って養殖をする。多すぎる漁排を港外の近海に移す。港周辺に生育するマングローブや防風林、原始林をきちんと保護する。現在、新村鎮で利用している清掃船は、都市の清掃車と同じように毎日2回、漁排村にやってきて、生活ゴミを収集している。

 数年来、新村港の人々はこうした保護計画を厳格に守っているが、それは彼らが生きるための「家」だからである。現在、新村港の水質は、国家一級レベルを保っているという。この「青いパラダイス」は、これからもずっと人々に幸せをもたらしてくれるに違いない。