【漢詩望郷(50)


『唐詩三百首』を読もう(41)杜甫を読む(21)

                 棚橋篁峰


 キ州(重慶市奉節県)に住んだ杜甫は、尊敬していた諸葛孔明の遺跡をまわります。「詠懐古跡」は杜甫の思いを託した詩ということが出来ます。五首ありますが今回は、「其の五」を読んでみます。

 杜甫は孔明に関する詩を多く残していますが、「唐詩三百首」の中だけでもこれ以外に三首あります。よほどあこがれていたに違いありません。

  西の草堂は、孔明の「八陣図」の遺跡とほぼ同じ場所にあるほどです。なぜ杜甫が孔明に傾倒したか考えてみるのもおもしろいと思います。

 杜甫の詩に現れる社会に対する観察と人々に対する深い思いの底辺にあるものは、善政を敷き唐王朝の盛んな時代を長続きさせ人々の喜びの日々を願っていたからだと思うのです。そのためには自らが朝廷に出仕して皇帝に善政をしてもらわなければなりません。そのモデルが古代の賢者たちであったのです。特に諸葛孔明はその歴史的評価から尊敬をしていたのです。

 しかし、杜甫と諸葛孔明には優れた才能はあったとしても大きな違いがあったと思います。

 軍事的才能や政治機構を総覧する能力は、杜甫にはあまり認められません。ひたすら真面目に唐王朝への忠誠心を持っていた杜甫には、政治家としての資質に不足していたと思えるのです。ですからなおさら杜甫にとって諸葛孔明は偉大であり、尊敬の対象になったのではないでしょうか。

 杜甫の路を歩いてみると意外に孔明の遺跡と重なることに気づきます。長安を捨てて秦州(現在の天水)へ向かう路の左手には、孔明終焉の地、五丈原が横たわり、陳倉(現在の宝鶏)と秦州はその付近が全て蜀と魏の戦場でした。

 また同谷(現在の成県)の杜甫の草堂の前の川は孔明が物資を運んだと伝えられています。更に杜甫が成都に向かった路は孔明の北伐の路でもありました。成都の草堂は武公祠に近く、三峡はまさに孔明の江だということが出来ます。

 この詩はそんな杜甫の孔明への思いの丈なのかもしれません。

 詠懐古跡 其五  杜 甫  

諸葛大名垂宇宙、宗臣遺像肅清高。
 諸葛の大名 宇宙に垂れ、
 宗臣の遺像 肅として清高。

三分割拠紆籌策、万古雲霄一羽毛。
 三分割拠 籌策を紆らし、
 万古雲霄 一羽毛。

伯仲之間見伊呂、指揮若定失蕭曹。
 伯仲の間に伊呂を見る、
 指揮若し定まれば蕭曹を失せん。

運移漢祚終難復、志決身殲軍務労。
 運移りて漢祚は終に復し難く、
 志は決するも身は殲く軍務の労に。

【通釈】
 諸葛孔明の名声は天地に知れ渡り、人々が仰ぎ尊ぶ孔明の像は、厳粛で清らかな気品をたたえている。

 孔明は、劉備のために天下三分のはかりごとをめぐらし、永久に大空を飛ぶ霊鳥のような才能を示した。

 孔明と優劣を定めがたい人物は伊尹と呂尚(共に古代の名宰相)がいるだけで、孔明の指揮がきちんと行われていれば、蕭何も曹参(共に漢代の賢臣)も必要ないであろう。

 運命は転移して漢の正当の皇位はついに再興できず、魏を伐つ決意はしたものの、軍務の労苦で帰らぬ人となってしまった。

 この詩はさほど難しい詩ではありません。杜甫の心情を読むことも比較的容易だと思います。よく読めば、ル迴Bでの杜甫にとって諸葛孔明は遺跡の中に見える幻のように思えるのです。

 過去の英雄への懐古の情は現在の自分への失望と対をなしているのではないでしょうか。若き日に抱いた志を果たせぬまま老いてゆく杜甫の後ろ姿が見えるような気がします。