3000年眠りから覚めた青銅器たち

                              文 丘桓興 写真 馮進

 

 今年1月、中国の西北、陜西省のある農村で、27件の銘文の入った青銅器が一挙に出土した。鑑定の結果、この青銅器群は、今から約3000年前に栄えた西周時代に造られたもので、銘文には当時の王の系譜や社会の状況が記されていた。

「今世紀になってから最大の考古学上の発見だ」と、考古学や歴史学の研究者たちはこの発見に驚喜している。北京でも展示され、反響を呼んだ。

青銅文化は、古代中国の燦爛と輝く文化の主流であった。今回の発見は、中国の青銅文化の発展を知るうえでも重要な意義をも持つ。

本誌は特にこの青銅器群の撮影を許された。中国の著名な考古学者、李学勤氏の解説とともに、新発見の青銅器群をご紹介しよう。

 

特集 (その1)
農民が見つけ、守った「国宝」

青銅器が発見された陜西省宝鶏市眉県楊家村の現場と発見した農民たち(北京歌華文化発展集団提供)

 地面に突き立てたシャベルが異常な音をたてた。そこをツルハシで掘って見ると、ぽかっと小さな穴が開き、一筋の青い光が溢れてきた。今年1月19日、陜西省宝鶏市の下にある眉県の農村、楊家村で、5人の農民が、村はずれの丘で土の採取をしていたときのことである。

農民の一人、王寧賢さんが穴の口ににじり寄って中を覗き込むと、四つの大きな銅の鼎が並んでいた。「これはきっと墓に違いない」「わが村からまた宝物が出た」と農民たちは口々に叫んだ。

 楊家村ではこれまで4回も、青銅器などの文物が発見されたことがある。周王朝(紀元前11世紀〜同256年)の発祥の地は、「周原」と呼ばれる地域である。「周原」は、楊家村のある眉県の北の岐山県や扶風県一帯を指す。最近50年間に、周原地区からは300以上の周代の墓や大型建築物の遺構、窖洞(地下埋蔵室)が発見されてきた。

 近年、周原地区の遺跡は、全国重要文物保護単位に指定されたばかりなのだ。だから楊家村で周代の文物がまた出土しても何の不思議もなかった。

 しかし農民たちは、この嬉しいニュースを、すぐには村の人々に知らせようとはしなかった。彼らの脳裏に、あの忌まわしい思い出がよみがえってきたからだ。

 それは1985年のことだった。やはりこの楊家村で、18件もの青銅器が発見された時のことである。その青銅器は、西周時代(紀元前11世紀〜同771年)の編鐘(古楽器の一種)で、貴重なものであった。だが村人たちの文化財保護の意識は薄かった。発見と同時に、彼らはワーッと集まってきて、出土した青銅器を奪い合い、隠匿した。そればかりでない。密売してしまったのだ。

 これは明らかに、文物保護を定めた国の法律に触れる行為である。検挙された農民は懲役刑を受けた。それから18年、その農民は、最近になってやっと釈放され、村に帰ってきたばかりなのだ。

 「あの事件の二の舞をしたくない」。5人の農民は相談のすえ、青銅器発見のニュースを秘密にし、すぐに政府にだけ報告することにした。そこで彼らは、土で穴の口をふさぎ、現場にもっとも近い王寧賢さんが家に帰って電話で連絡し、残りの4人は現場に残って警備に当った。

 この日は日曜日だった。連絡を受けた宝鶏市の文物局は、直ちに人を現場に派遣するとともに、眉県政府とも連絡し、現場の保全に乗り出した。夜8時ごろには、宝鶏市文物局の張潤棠局長と考古隊の劉軍社隊長が現場に駆けつけてきた。そして現場を観察し検討した結果、救急的な緊急発掘を行うことにした。

 発掘は、村の中から電線を引いて電灯をつけ、窖洞のそばの崖に梯子を立てかけて作業が始まった。まず窖洞の穴の口を広げ、数人の文物専門家が、ある者は穴の中に入って文物を外に運び出し、ある者は写真を撮り、ある者は文物の大きさを測ってこれを記録した。また、テレビ局はカメラを回した。

「単五父の壺」(その1) 西周(紀元前11世紀〜同771年)。高さ59センチ、口は縦14・8センチ、横19・6センチ。底は縦23センチ、横30センチ、腹部の長さ36センチ、幅26センチ、重さ25キロ。2003年、陜西省宝鶏市眉県楊家村出土

 最後に、梯子の上の人たちが、文物をリレー式に手渡して地上に回収した。現場の整理が終わったのは、午後10時半を回っていた。

 その後、北京や西安から招かれた著名な考古学専門家の李学勤(清華大学教授)、李伯謙(北京大学考古学学部主任)、馬承源(中華世紀壇芸術館名誉館長)の各氏の手でこの青銅器が鑑定され、いずれも国宝級の価値があることが分かった。そこで国家文物局は、これを北京に運び、3月9日から、中華世紀壇の円形大ホールで、この青銅器27件すべてを展示する展覧会を開催した。

 3000年の時空を超えて今よみがえった西周時代の青銅器。礼器、酒器、水器、食器がきちんとそろっていて、その形は大きく、つくりは精巧で、飾り文様は美しい。国内外の学術界の人々だけでなく一般の人々をも魅了した。

 この展覧会の開幕式に、青銅器を発見した5人の楊家村の農民が招かれた。彼らは赤い絹の襷を掛け、嬉しそうに開幕のテープをカットした。そして文物保護に功績があったとして、一人に2万元(約30万円)が贈られた。これはまったく異例のことである。