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「庶民派」をみとめる総領事の誕生である。李鉄民さん。中国の対日交流の窓口である中日友好協会に長年つとめ、今年7月1日より駐札幌中国総領事に就任、「地元の人たちと交流を深めたい」と意欲を燃やしている。日本との「草の根交流」をすすめる中日友好協会の出身者としては初の総領事への就任であり、地域に根ざした交流の拡大に期待がかかる。着任前の心境や今後の抱負などについて、北京の事務所でうかがった。
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【プロフィール】1945年、黒竜江省生まれ。69年、北京外国語大学日本語学科卒業。駐日中国大使館、駐大阪中国総領事館での勤務をへて、79年から中日友好協会に勤務。同協会の理事兼副秘書長をつとめる。91〜93年、東京の(財)日中友好会館に文化事業部長としてつとめ、帰国後は、中日友好協会の理事兼副秘書長。2003年7月1日より、駐札幌中国総領事に就任した。趣味は卓球とカラオケ。 |
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「たいへん光栄に思うとともに、重い責任を感じています」
札幌総領事の就任を前にした、李鉄民さんの率直な心境である。大学を卒業後、東京の中国大使館や大阪の総領事館に勤めたことはあったが、若いころでもあり、責任者という立場ではなかった。中国のいわゆる「民間団体」である中日友好協会につとめてからは、訪中団の受け入れや訪日団の手配、大型会議やイベントの開催など、日本との「民間交流」に力をそそいだ。親しい友人も数多く、みずからも「民」を意識してきた。それがこんどは、総領事という「官」の立場に変わるのだ。責任もグンと重くなる。
「大使や総領事はふつう、中国外交部(外務省)の高官から選ばれますが、このたび、中日友好協会からは初めての総領事に抜擢されました。外交部の決定です。そういう意味では、就任は、中国外交がいかに日本との交流を重視しているかの表れだと言えるでしょう。もっとも、協会にとっても私にとっても初めての経験で、身のひきしまる思いがします」。そう、磨きぬかれた流暢な日本語で語る。
総領事館の役目と仕事は、多岐にわたる。日本には、東京の中国大使館をはじめ、札幌、大阪、福岡、長崎にそれぞれ中国総領事館が配されている。札幌総領事館の管轄区域は、北海道と青森、秋田、岩手の一道三県。掌握されているだけでも、地元には留学生や就業者など、約1万人の中国人が住むといわれる。地元の日本人らが訪中するさいに必要なビザ申請も、札幌総領事館がうけつけている。
「総領事館は、国家の代表機関です。その役割は第1に、国の利益を代弁し、かつ守りぬくこと。第2に、管轄区域に住んでいる中国人の利益を守ること。第3に、地方自治体や地元の人たちとの交流を深め、よりよい協力関係を築くこと」
中国と中国人の利益を守るためにも、日本人との関わりを深めることが重要だ。そうしたことからも、30年来培ってきた日本人とのつながりや、新しい友との出会いに期待がかかる。
「赴任を前に名刺を整理しましたら、北海道と東北三県の知り合いだけでも数百枚に上りました。地方自治体や日中友好協会、労働組合のみなさんなどで、それはもう数え切れないほどです。中国には『在家靠父母、在外靠朋友』(家では父母を頼り、外では友だちを頼る)ということわざがありますが、日本ではぜひ、こうした友人の力添えをいただきたい。また、新しい友人もたくさん作りたいですね」
交流を深めれば、両国の利益につながる。とりわけ、観光開発とPRに力を入れる北海道は、中国でも団体観光ツアーの目的地として人気が高まっている。広大な自然と新鮮な海の幸、山の幸に恵まれた北海道や東北地方の魅力を生かせば、より多彩な交流がはかれるのではないか。また、地元の日本人にも、どんどん中国を訪れてもらいたい――。そんな希望を抱いている。
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夫人の張健さん、一人娘の李怡嵐さんと北京の郊外で(2000年10月)。今回は夫人を伴って赴任した |
「2000年に、中国人(北京、上海両市と広東省在住)の訪日団体観光旅行が可能になりましたが、桂信雄前札幌市長は観光プロモーションのために何度も中国へ来られました。また同年からは毎年、中国の報道関係代表団を札幌に招いて観光地を取材してもらい、中国の人々にそのすばらしさをアピールしました。中国での報道は好評で、ここ数年は毎年、約一万人の中国人団体客が北海道を訪れている。年間訪日する中国人団体客のほぼ一割にあたる数で、PR活動がみごと功を奏したと言えるでしょう」
「地元の皆さんにも、自分の目で中国を見ていただきたい。新型肺炎SARSの影響を心配される方がいるかもしれませんが、WHO(世界保健機関)の新型肺炎に関する北京への渡航延期勧告も解除されました。北京では今、市民がふつうに暮らしています。考え方によっては、消毒がゆきとどき、衛生的になった中国は、今が絶好の訪問チャンスかもしれませんよ(笑)」。観光旅行や経済、産業、人と人――。地元と中国の関係が深まるような交流を、支援したいと考えている。
心に残る思い出はいくつもあるが、中日国交正常化20周年の1992年、東京の(財)日中友好会館に勤務していたときだった。会館で開かれていた「周恩来展」に、車いすの田中角栄元首相を案内してまわったことは、忘れられない。
「開催にあたっては、関係者から周総理との思い出の品を借りました。岡崎嘉平太さん、清水正夫さん……。田中元首相からは、国交正常化のとき周総理から贈られたという蘇州の両面刺繍を借りて展示しました。赤毛のネコの刺繍です」
長年親交のあった田中家の希望により、閉館後に、広い会場を李さんが一人で案内をした。田中氏は、正常化のときに周総理と自分が握手をしているパネルの前で車いすから立ち上がり、当時をたいそう懐かしんだ。
「案内が終わると、私にも握手をしてくれました。言葉は不自由でしたが、その固い握手から、周総理への深い思いと感動が伝わりました」
人と人との交わりが、国をつないだ。田中氏の思いがヒシヒシと感じられた瞬間だった。昨年は国交正常化30周年。中日両国には、さらに成熟した関係が求められている。
「歴史認識や靖国神社参拝などのギクシャクした問題はありますが、両国関係がこの30年で大きく発展したのも事実です。昨年の両国の貿易額は一千億ドルを突破し、30年前の90倍以上に。昨年訪中した日本人は300万人で、これも30年前の1万人未満から劇的に増加しました。今年5月の胡錦涛主席―小泉首相の中日首脳会談は、協力関係の強化で一致しました。両国はまさに共同発展に向かって、幸先のいいスタートを切ったのではないでしょうか」
そうした時期の札幌赴任を喜んでいる。ふるさと黒竜江省と友好関係を結んでいる北海道には、人一倍の親近感を持っている。
「私は民間交流の出身者です。人とのつきあいが好きだし、カラオケも好き。演歌の『北国の春』などは十八番ですよ(笑)」
「こんどは正に『官』の立場になりますが、『民』の交流を積極的に支援したい。地元の皆さんや『人民中国』の読者には、ご支持とご支援をお願いします。私も大学時代からの愛読者の一人ですから、皆さんと仲良くしたい。なにかお手伝いできることがあれば、ご遠慮なく相談ください」
「庶民派」総領事の活躍が期待される。
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