陽明洞内の石刻遺跡

貴州省の竜場は、修文県の県城(県庁所在地)である。省都・貴陽市の北郊外40キロの場所にある。その竜場から東へ1キロの「陽明洞」は、明代の思想家であり、大学者である王陽明の「竜場悟道」(竜場で道を悟る)のゆかりの地である。早速、訪ねてみることにした。

 

王陽明の筆跡

 貴州省の竜場は、修文県の県城(県庁所在地)である。省都・貴陽市の北郊外40キロの場所にある。その竜場から東へ1キロの「陽明洞」は、明代の思想家であり、大学者である王陽明の「竜場悟道」(竜場で道を悟る)のゆかりの地である。早速、訪ねてみることにした。

  王陽明は、字は守仁。1472年に、浙江省の余姚に生まれた。かつて浙江省の会稽に、「陽明洞」という部屋を設け、学問を教えたために「陽明先生」と称された。

 明の正徳元年(1506年)、兵部の主事(下層役人)を任されたとき、地元の権力者であり、宦官であった劉瑾が、ある人々を無実の罪に陥れた。王陽明は正義にのっとり上奏し、彼らを助け出そうとしたが、朝廷の怒りを買って、40回の杖刑に処せられた上、貴州省の竜場駅(宿駅)の長に左遷された。

 当時の竜場は、山ふところに抱かれた僻遠の地で、風土病が蔓延していた。宿駅には彼と勤務員が一人、配されていただけだった。逆境におかれたものの、若いころに打ち立てた「成聖」(聖人になる)という志は、けっして曲げることはなかったという。

 古い駅舎が風雨に耐えられなくなったとき、竜岡山に「東洞」と呼ばれる岩穴を見つけて移り住んだ。岩穴は「陽明小洞天」と改名された。その後、付近に住むミャオ族、イ族の人々が、陰湿だった岩穴を見て、その右横に彼のための木造家屋を築いてくれた。それは「何陋軒」と称された。

陽明洞の傍らにある「王文成公祠」(王文成のほこら)

 厳しい条件下ではあったが、王陽明はひたすら学問に専心し、儒学を研究していった。ある夜、彼は「格物致知」(物の道理をきわめ、知的判断力を高める意で、理想的な政治を行うための基本的条件)の意味を悟り、「知行合一」の学説を打ち立てた。これが有名な「竜場悟道」である。のちに、彼はそれを「致良知」(良知を最大限に発揮させること)という思想に発展させ、「陽明心学」(良知心学)体系を形成した。竜場に住んだ3年の間、王陽明は貴陽に招かれ「竜岡書院」を創設し、学徒を集めて授業を行い、その学風を起こしたのである。

 王陽明の「成聖」学説においては、禅宗仏教の精髄を取り入れている。禅宗は「愚人も智人も、その仏性にはもともと差がない」、その本性を認識すれば、人みな仏になることができる、と説いている。王陽明は「人の心には、いずれも聖人がいる」と語り、「愚夫も愚婦も聖人も、その本性はみな同じであり、その本性を発揮し、心の純粋さを追求し、学習と修養をよくし、自己を鍛練しさえすれば、すなわち聖人になることができる」と説いた。

 その後、弟子が広がるにしたがい、「街じゅう、聖人で満ちている」という説まで現れた。こうした「主体精神」の高まりは、人々に精神的な解放をもたらした。封建思想の束縛から解きはなたれて、中国思想界を覚醒させるという、大きな作用を及ぼしたのだ。

 王陽明の心学思想は、たちどころに日本にも伝わった。それは、中江藤樹らにより、「陽明学」として紹介された。日本では明治維新のさいに、維新運動の一部の思想家、指導者たちが陽明思想から影響を受け、反体制の批判精神を高めたという。たとえば、代表人物の吉田松陰は、時勢への適応と変革の支持、慣例にとらわれない思想を主張した。これに対し、近代中国の民主革命家・章太炎は、「日本の維新は、陽明学もまた、その先導である」と語った。

 王陽明が竜場にいた日々は、生活は苦しかったが、貧しい人や下層の小役人らに対し、深い同情を寄せていた。ある日、「都からやってきた小役人と息子と下男が、飢えと寒さで風土病にかかり、二日のうちに相次いで亡くなった。その屍が、蜈蚣坂で野ざらしになっている」と耳にした。彼はさっそく弟子を率いて彼らを葬り、『エイ旅文』(埋葬の文)をしたためて、浮かばれない魂をなぐさめた。それは切々と胸に迫る文章で、古代中国における散文の名作となっている。

有名な「果実の里」に

地元特産の「貴長」キウイ

 蜈蚣坂は、市の西北10キロの谷堡郷に位置している。自動車は、山あいのアスファルトの道を走っていった。路辺には、民家や稲田、果樹園、ダムがあり、バイクに乗って走り去る農民の姿が見えた。かつて風土病で知られた土地は、いまや繁栄する山村になったのである。

 谷堡郷は、貴陽の「果実の里」である。その村の一つ、紅心村のある農家のキウイフルーツ(キウイ)園を訪れた。果樹は枝葉を茂らせており、ふさふさの褐色毛に覆われたキウイが、一つひとつ垂れ下がっていた。まるで、サルの頭にそっくりである。

 農家の主人が、果樹周りの除草や土おこし、肥料をまく準備をしているところであった。「この果樹園は、面積20ムー(1ムーは6・667アール)以上あります。1ムーあたり74本を植えており、千キロ以上収穫ができますよ」と言う。

操業した「貴州仙霊薬業股フン(株)有限公司」

 品種について聞くと、「あの丸い果実が『秦美』で、陝西省の品種です。四川省のは『川蜜』といい、そのほかニュージーランドから輸入した『海沃徳』という種類もありますよ。でも、地元特産の『貴長』は、形が長く、毛がふさふさとして皮が厚い。保存がきいて、口当たりもいい。貴州っ子の口に合うのです」と教えてくれた。

 キウイは、ビタミンCをタップリ含み、「くだものの王様」と呼ばれている。谷堡郷がキウイ栽培をはじめたのは遅く、1989年、元農業局局長だった馬懐麟さんが、退職してから谷堡郷下村に帰郷した。そのとき、彼はふるさとの土壌や気候がキウイの栽培に適していると気づき、荒れ山を開墾して400ムーの土地にテスト栽培を行った。入念なまでの栽培や管理を通して、大成功を収めたのである。

 村人たちも、キウイが人気商品で、高価格で売れると知ると、次々と競い合っては栽培をした。現在、谷堡郷にある19の村はそれぞれキウイを栽培し、栽培面積は合わせて2万ムーあまり。1万8000ムーの梨園を加え、郷の人口は2万人だが、一人当たりの果樹園面積は2ムーにも上るという。果実の栽培は、村人に富をもたらした。少なからずの人が、かつての茅ぶきの家を取り壊し、瓦屋根とレンガ造りの家にした。バイクを買って情報を集め、商売している者もある。

 数年前のことだ。収穫前に買い付け業者がやってきて、収穫時期を待っていた。その後、果実は豊作となり、価格は下落。一部の農家は、いがみあいから騒ぎを起こした。こうした悪い競争を避け、農家の利益を守るために、村人たちは「果樹協会」を設立。それによって栽培農家を育成し、果樹の栽培技術を高め、市場管理を統一するなど、谷堡郷の果樹園管理と経営販売を徐々に発展させたのである。

 谷堡郷郷長のオヒ竜江さんの話によると「郷の政府も、果樹園建設を全力をあげて支持していますよ」。インターネットの「農業経済ネット」を通じ、栽培農家に市場案内などの情報を提供している。また、750トンの冷蔵庫も建設した。2カ月あまりキウイを冷蔵保存して、春節(旧正月)を待って売り出せば、くだものが少ない時期に高値で売れるというわけだ。先ごろ投資建設された「くだもの加工工場」は、キウイを砂糖漬けと飲み物に加工する工場だ。建設により、果実の売れ行きを心配してきた農家の不安はなくなって、経済効果も高まるだろうと期待されているのであった。

漢方薬バレーをつくる

美しい六広河

 修文県城の東20キロにある扎佐鎮は交通の要衝で、その昔は、軍隊が駐屯していた。現在ここは、近代化された漢方薬の工業パークを建設中だ。近い将来、この里は貴州の「薬谷」(漢方薬バレー)になるに違いない。

 近年、人々の生活レベルが向上し、だれしもが健康と長寿を願っている。医薬品市場も、さらに発展するだろうと見込まれている。貴州には山が多く、河が縦横に流れている。さらに「一山に四季あり」といわれる通り、あらゆる気候が山上に垂直分布し、薬材がきわめて豊富だ。

 調査によると、『本草綱目』(中国明代の代表的な本草学研究書)に記載される1698種の薬材のうち、貴州でとれる薬材は300種あまりに上る。その数の多さでは、全国第四位にランキングされている。しかし以前は、わずか上海、広州、深センなどの製薬工場に薬材を出荷するだけで、経済効果は低かった。

 近年、貴州省政府は、医薬資源を開発し、中国における「医薬の省」を築き上げ、各種漢方薬材の栽培基地を40カ所あまり(面積合わせて4万ヘクタール)建設することを決めた。また、さまざまな優遇政策を設けて、民営企業による近代的な漢方薬生産基地の建設を奨励している。

 扎佐鎮が「薬谷」に選ばれたのは、この里が山々に抱かれて、森林が生い茂り、空気がきれいで、河川の水が清らかだからだ。省都の貴陽市からわずか40キロの近さで、鉄道や道路など交通の便もよい。こうして、貴陽市がここに漢方薬の工業パークの建設を決定したさい、空気や水質などの厳しい規準をクリアした製薬企業が、つぎつぎと進出してきた。すぐにも13の企業がパークに入り、出遅れたほかの9企業は、やむをえず省政府にパークの敷地拡大を求めたほどだ。

蘆笙(ろしょう)を吹く貴州省恵水ミャオ族の人(鳥居龍蔵博士顕彰会・提供)

 「貴州仙霊薬業股キン(株)有限公司」は、すでに操業をした民営の製薬企業だ。優秀な人材がそろい、実力があり、薬材となるイカリソウの栽培基地を1300ヘクタール以上持っている。また、2万平方メートルのGMP標準の工場と、各種の製薬生産ラインが八本そなわる(GMPとは、製造管理及び品質管理規則。世界保健機構で作成され、加盟国各国がそれを採用し、国際貿易においてそれに基づく証明制度を採用、実施するよう勧告されている)。

 「仙霊」公司では、骨の病気や心臓血管病に効果が見られる漢方薬を生産しており、患者たちの信頼を集めているという。たとえば、薬品の「仙霊骨葆カプセル」は、現地で栽培しているイカリソウ、ナベナ、ハナスゲなどを配合したもの。腎臓の滋養と、骨や体の強壮のほかに、中高年の骨粗しょう症、骨折、大腿骨の無菌性壊死、関節炎などの治療に効能がある。評判がよく、国内外で売り上げを伸ばしているということだ。